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春華ちゃんに、ヨーコちゃんに、スギノ様に、ひとつひとつ小さいカードに名前を書いて可愛い包装紙に包まれたチョコレートを見てしっかり頷いた。今日はなんていったって女の子が唯一勇気を出して好いている人に告白するチャンスを掴める日、バレンタインデーだ。街行く人は皆甘い香りをさせてそれぞれ義理チョコレートと云うものや本命チョコレートを渡しにいくに違いない。私もその中の一人だったりする。勘ちゃんと知り合ってから一年と少し、その間に知り合いが数え切れないくらいにたくさん増えた私には今まで作ったことのないような膨大な量のチョコレートを作る羽目になってしまった、それはバレンタインという憎っくき…否普段感じている感謝の気持ちを形に出来る素晴らしい日だ。気持ちの良いくらいに手持ち金もひらひらとチョコレートに変わった日でもあるのだけれど、それでもそれでいいと思わせてくれるような笑顔が貰えるのは案外悪いものじゃない。そんな気がする。

「こんにち、はっ!」

がらがらと勘ちゃん家の玄関の扉をいつものように開けるとそこには見たこともないような量の綺麗に包装された箱が天井まで届くのではないかと云うくらいに積んであった。驚いて末尾が変になってしまったがそれどころではない。箱は部屋の奥にまで続いており、一目で見ただけでは解らないがもしかしたら一ノ宮家はこの箱たちで出来ているのではないかというくらいの量だ。この量は多分、と予測しなくても今日の日からしてバレンタインのチョコレートだろう、特別気合が入っていそうなものばかりを見る限り本命ばかりが目に入る。誰がこんなに貰ったのかとふと頭を過ぎるのは春華ちゃんだ。多分、じゃなくて絶対。確定だ。

春華ちゃんは美形だし、性格も悪くない、一目惚れする女性がこの箱の数だけ居てもおかしくはない。そう一人で納得していると箱隙間からヨーコちゃんの声が聞こえた。庭から入ってと、云っていた気がしたので庭の方に回ってみるとこれもまた吃驚、やっぱり一ノ宮家はバレンタインチョコで出来ているんだ。

「こ、んにちは、ちゃん」
「うん、勘ちゃん、昨日振り」

勘ちゃんがひょっこりと自室から顔を出した。
茶の前の隣にある勘ちゃんの自室はあの箱の山とは無縁で、どうやら勘ちゃんの自室は死守したらしくのびのびとしている、それに比べ茶の間はぎちぎちと云う音を立てながらチョコレートの波が入ってこないようにと襖をつっかえ棒で押さえている辺り大変そうだ。勘ちゃんはまだ貰ってないんだろうから仕方なしにあげると理由付けしなくちゃあげれない私は、そうやって勘ちゃんに渡そうと思っていた。茶の間で窮屈そうにして座っているヨーコちゃんとたくさん貰って要らないだろうけれど春華ちゃんにチョコレート入りの箱を渡すと各々の違った感謝の言葉に嬉しくなった。やっぱりバレンタインは素敵な日だと思う。隣の勘ちゃんの部屋に行くと勘ちゃんはにこりとしながらそこにいた。

「勘ちゃんー」
「なあに、ちゃん」

勘ちゃんは分かっている癖に態と知らない振りをする。
嘘つきだ、けれどその嘘つき勘ちゃんが好きでたまらないのだ私は。今だってほら、分かっている癖に何も知らないよと云った声で私に返答はしているものの顔は分かりきったものだ。なんだか悔しくて、一番綺麗に出来たものをあげるのを躊躇ってしまうのだけれど、本命は勘ちゃんなんだからその勘ちゃんに綺麗なものをあげないで誰にあげるというの。と考えていた理由を口にした。

「勘ちゃん、あの箱って全部春華ちゃん宛て?」
「それがさあ、」
「うん」

とても厭な予感がした。けれど勘ちゃんの言葉を待った。
「僕の書いている本のファンっていう人達が沢山僕にくれたんだよ、あれ、半分は僕が貰ったものなんだよ」

きゃ、僕ってもてるんだ!と一人で盛り上がっている勘ちゃんを前に私は袋に伸ばした手を止めてしまった、厭な予感は見事に当たってしまっていて理由付けしないとあげれない私は、理由をなくして袋に伸ばした手を持て余してしまう。どうしたの、ちゃんと云う勘ちゃんにどう返事しようかと思考がぐらぐらとする。理由、そんなものあの言葉ひとつだけだった、新しい理由を考えようにも頭の中が真っ白になってしまってない。勘ちゃんは今か今かとチョコレートの箱を出すのを待ち望んでいるけれど私はそんな顔をしている勘ちゃんにどんな顔であげればいいのかということで躊躇っていた。私は今年の勘ちゃんしか知らないから去年貰ったかなんて知らないことと、私がこんなにも勘ちゃんが好きなのだから他にも好きになる人が居てもおかしくないんだということに今やっと気付いて恥ずかしくなった、今すぐにでもこの窓から見える池にこのチョコレートを投げ捨ててしまいたい、鯉には申し訳ないけれども。伸ばした手を膝に戻して態とらしく笑顔を作る。

「あ、っ…ごめん、勘ちゃんの家に忘れてきちゃった…から、家に戻るね」

この場を早く去ってしまいたい気分で頭が朦朧としていて自分でも変な云い訳をしているとだけはわかっていつつも逃げたい気持ちでいっぱいだったから気に留める余裕はない。畳から腰を上げて自室である勘ちゃんの部屋から忍者の如く出たら運よく春華ちゃんもヨーコちゃんもそこには居なくて、勘ちゃんに捕まる前に私は靴の踵を踏むのも無視しながら庭から玄関まで走った。庭を走り去る時、驚いた勘ちゃんの顔が窓から見えたけれど私はいっぱいいっぱいの走りで一ノ宮家から脱出した。もう暫くは恥ずかしくてここに来れないと心の底から思った。

「あれ、勘ちゃん、ちゃんは?」
「んー?用事があるって急いで帰っちゃったよ」
「ふうん、どうしたんだろうね」
「さあ、ね」

ヨーコちゃんはお客様用にいれたお茶を仕方なさそうに僕の机に置いた。それは出涸らしじゃなくてちゃんと色が濃くて有難くそれを啜るとヨーコちゃんは忙しそうに部屋から出て行いこうとするのを呼び止めて、春華はと聞くと屋根の上じゃないのと云って襖が閉まった。がさがさと音を立ててちゃんが置いていった袋の中身を見るとそこには本命ですと云わんばかり主張している箱がひとつ、入っていた。そこには女性らしい細くて美しい文字で勘ちゃんへと書かれたカードが刺さっていて、思わず笑みを零す。ちゃんの性格からして理由を付けて僕に渡すつもりだったみたいだけど、それじゃあつまらないから春華の貰ったチョコレートを僕のと偽らせてもらったらいとも簡単に騙されてくれて、本音が聞けると思ったのだけれど天邪鬼は僕が考えていたよりも頑固な作りらしい。本当は袋も持ってくつもりだったんだろうけれど気が動転して忘れていっちゃったのかな。どうしようかなあ、僕宛になっているんだし、食べても問題ないと思うけれど、まあカードがなくても僕は食べるけれどね。君は知らないんだ、僕が他の人のバレンタインチョコを断ってまでちゃんの虜だってこと。

ぼくを虜にした責任は取ってね