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「むらむらむらけんず」
「ず、ってなによ、ずって」

突然私の目の前に飛び出してきたのは同じマンションに住んでいて部屋がお隣さん、ただそれだけの接点を持つだけの関係上にある私と村田健、通称ムラケンというらしいけれど私は村田君と何処か他人行事に呼んでいる。他人だけれども。私は村田君の一個上で彼はその一個下、女子高に通っている私には村田健という男子に巡り合うことは皆目ない筈なのだけれども、ある日隣が騒がしいと思えば知らず知らずの内に今まで空き部屋だったそこに誰かが住んだ、それが村田健だった。家族は居るらしいけれど私は一度も村田君の両親を見たことがなく、聞いたところで気まずさが残るような内容だったらと思うと聞けずに私は私の両親と同じで海外で仕事をしているんだと思うことにしていた。海外に居る両親に対して淋しさがないと云えば嘘になってしまうけれど一人暮らしを始めてから何日か後に測ったかのように村田君が引っ越してきたものだから淋しくはなかった。仲良くなった経緯は色々と濁したいことばかりだけれど、こうして村田君が居てくれたお陰で私は淋しさを蓄積せずに生活出来ているのだ。

は今帰り?」

そうだよ、見れば解るじゃない。紺色のスカート丈が少し長い制服を着て重たい教科書がぎっしり詰まっている鞄を持っているのを見れば。村田君はいつにもまして元気が良くマンションの入り口付近にある垣根を割って出てきた。その村田君が出てきた場所は大穴があいていて大家さんに見つかったらどうするんだろう。もしこの場で見つかったとしても私は知らない振りをするつもりだからいいのだけれども。村田君一人で怒られるのは少し可哀想な気がする、あ、でも村田君のことだから上手くひょろりひょろりと交わすんだろうなと思い笑えた。

「一応私が年上、呼び捨てにしないのせめてさんとか付けてよ」
「なんでさー、いいじゃん。なんだし」

良くない、いつの間にか呼び捨てにされている。
私は村田君って云っているのに、と思ったらだからも健でいいよ、とどうでもいいことを口走った彼を垣根に押し戻したい衝動に駆られたけれど年上の余裕というやつがあって思うだけで止めておいた。今日はいつもの倍近くしつこい、私はちゃんと断ったのだからそれでいいじゃないか。何なんだ、本当にもう。

「今日さ、の部屋でご飯食べて良い?」
「駄目」
「えーなんでさ」
「どうしても。大体村田君をどうして家に入れてご飯まで食べさせなきゃあいけないの、」

あの日から彼は私に話しかけてくる、あの日というのは一ヶ月前からだ。その日に村田健はここに引っ越してきて、ただそれだけだったら私と彼の共通点は同じマンションで、お隣さんだということだけだっただろう。越してきたという挨拶を態々しに来たお隣さん、それが初めて会って、初めて声を聞いて、初めて見たその人に拍子抜けする程、こっちが逆に恥ずかしくなってしまうくらいの告白をされたのだ。一目ぼれというやつだろうか、理由は聞いていない。それからお隣さんとの交流とは云えないような毎日が始まる。何かしら理由をつけては私の家に遊びに来ようとして私はそれを精一杯阻止する。何でかは解らないけれど私は、彼だけは絶対に家に入れないように、精一杯のことをする。

「だって、僕はが好きだから」

話を元に戻すと村田君はまた唐突な言葉を云って笑顔で私をいつでも抱きしめられるように両手を広げてウェルカム状態になるけれど私はそれをああそうと受け流した。マンションの玄関口でよくもまあこんな恥ずかしいことを云うし行動をする、本当どうかしている。けれどそれが厭ではない自分もどうかしているんだと思う。最初に会って、声を聞いて、姿をこの目に映した時から私は村田健という男に惚れてしまっているのだと思う。だから今日みたいな、バレンタインというお金の浪費だと思っていた私が作ってしまうくらいに好きなのだけれどもどうにも素直になれない。彼に背を向けて一気に足を動かしエレベーターに急いで乗って後ろでって呼んでいる声がしたのだけれども閉じるボタンを閉まった後も何度か連打した。気付くだろうか、郵便受けに入った箱の存在に。彼が学校に行く時間に、私は遅刻していることも気にも留めずにそこに箱を入れたのだ。思い出しただけで顔が発火した。

やさしい音をぜんぶあげるよ