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無駄になったチョコレートの箱を投げ捨てようかと何度か考えたが、止めた。そもそも何故このチョコレートが無駄になったのかと云うと話せば長くなるし、完結に云えば一言に尽きる。想い人には彼女が居たのだ。私は好きな癖にその人に彼女が居るということを知らずに居た、なんて愚かな話。そんな愚かな私がそれを知ったのは彼にこれを渡そうと声を掛けた時、計ったかのように彼女が出てきたその一瞬で彼の視線を奪っていったのだ。それを見れば十分彼と彼女がカップルだと云うことが分かる、もしそうでなかったとしても両想いは確定していた。嬉しそうに彼女に笑顔を向ける彼を見た時それを思い出すだけで恋心は痛みを増し、どうしようもない悲しみに襲われそうになる。なんでバレンタインだと云うのにこんなに哀しい想いをしなくちゃいけないのだろうかと屋上で叫びたい気持ちだ。

儚くも散った恋は痛みだけを残して、否要らないと云うのに形まで残してくれた。バレンタイン、自分自身が気持ちを沢山込めたチョコレートという形が。屋上から落としてやりたいのは山々なのだけれども人の迷惑になることだけは避けたい。だけれども一刻も早くこの箱とおさらばしたいのは確か。それでも自分でこれを捨てられる勇気なんて持ち合わせてもなかった。捨てようと思えば学校何処にでも設置されているゴミ箱というものがあるのだから。

「、はあ」

コンクリートに倒れこむと頭をぶつけてとても痛かった、生身の身体がこういう時少し恨めしかったりする。はあ、本当についていない。せめてチョコレートを渡した後だったならもう少し違った感情を持っていたかもしれないのにどうしてこうも私は運が悪いのだろう。思い出したらきりがない運の悪さが走馬灯のように次々と厭な思い出が甦ってくる。来年のバレンタインは貰う専門になってやる。もう作ってやるものか。

「こんなの、要らない」
「へえ、だったら俺がこれを貰っても何の問題もないな」

低めだけれども幼さが残る声に驚いて振り向くとそこには屋上から降りる為の唯一の回路がある扉だけで誰も居ない、空耳なのかと前を向くとまたあの声が今度はせせら笑い付きだった。扉の方をもう一度向くけれど相変わらずそこにはそれ以外何もなくいったいどこから声がするんだろうとふいに上を向くと男の子と呼べるくらいの小さな子がいた。私は悲鳴を上げそうになり、手にしていたチョコレートの箱を自分の体重で押しつぶしてしまいそうにもなった。誰も学校に小さな子が居ても然程驚かない、迷い込んだか好奇心旺盛な年頃というものはこういう所に忍び込んだりしたがるものだから。だけれども私が驚いているのはそんなことではなく、男の子が浮いているのだ、宙に。そしてこの時代には不釣合いな真っ黒な和服を着ていて腰に刀らしきものを差している。

「おい、聞こえているんだろ」
「……」
「おい、」
「何も聞こえない何も見えない、私は今日一日疲れたんだ。もう帰ろう」

宙に浮いているなんて普通じゃない、そうだ失恋の痛みで疲れているんだ。
今日だって友達に大丈夫なの、と聞かれたくらい私はきっと憔悴しきっていたに違いない。だからあんな幻覚幻聴までするんだ。鞄と箱を手に持ってさあ帰ろうと立ち上がってはみたもののよくよく考えると屋上から下に降りるには小さい少年が居る方にいかなくてはならない。幻覚だとしても一度だけとは限らないのだ。まだ疲れは身体に染み付いているのだし。

後はこの柵の向こう側から飛び降りるしかこの屋上から下に行く方法はない、が後者は推奨しない。命があったら奇跡だと云えてしまう程の高さなのだから。帰ろうと思っても良くよく考えて見たら帰る道は浮いている少年がいる下の扉を開いて階段を下りなければいけない、それ以外はこの柵の向こう側から落っこちるしか方法はない、のだ。消去法でこれは頭に浮かんだ瞬間却下だが。どうしよう、どうしよう、どうしよう。

「った…!」

がつんと殴られたような衝撃が頭に降りかかる。痛いと一言で済むような痛みではなかった。
「おい、無視すんじゃねえ」

少年は私の背後にまで来たらしく背中に声がする。もう幽霊でも子供でもおかしくても容赦はしない。私は失恋の痛みで疲れているんだ!鞄と箱をまた地面に叩きつけて勢い良く振り返った。

「ちょっと!痛いじゃない!」
「てめえが無視するからだろうが」
「無視ってそりゃあするでしょう…!?」

小さい少年は私を見て一度息を吐き出した。
そしてそれに私は驚いた。浮いていただけで、服装がおかしいだけで他は何も変わらない私と。透けてもいないし、ホラーに出てくるようなでろでろしているわけでもなかった。拍子抜けだ。ぽかん、と口を半開きにしている私に彼は仁王立ちをして立っていた。

「間抜けな顔」

まるで小莫迦にするような笑い方に我に返った私は口を閉めて、気を取り直し少年を見た。遠くから見ても小さいなとは思ってはいたが近くから見たら拍車をかけての身長の低さ、見た目の割りに合わず眉間にはシワを寄せ、口元はきゅっと閉まっていて子供特有の可愛らしさのかの字もない。しかも吐き出した息はまるで呆れたような、見下されているように感じて居た堪れなかった。何だこの変な子供は。

じろじろ見てくる無遠慮な態度に見下ろすと彼は私から視線を思い切り逸らし地面を見やる、そしてもう一度先程云っていたような台詞をまた云った。

「これ、貰っていいんだな」

少年はそう云って鞄の上に叩き付けた用無しチョコレートを手にとった。余程動揺の色を見せていたのか少年はまた私を見上げた。

「なんか問題でもあんのか」
「や、別に…ないけれ、ど」

どうせもう貰われる予定のない可哀想なチョコレートだ、捨てられるのなら食べてくれると云ってくれているこの少年にあげた方がいいではないか。見るからに甘いもの駄目そうな顔をしているのにこういうのは好きなのかなと見るとそれが相手に伝わったのか、少年は眉を寄せて好きじゃねえと云いのけた。ぽかん、と口を開きそうになる私を尻目に少年はあっという間に私の立っているコンクリート地面から浮かんで数メートル上にまで舞い上がった、その右手にはしっかりと私のチョコレートが握られていて思わずチョコレート泥棒!と叫んでしまったら名も知らない少年は私でも分かるようにゆっくりと口を動かして莫迦、と捨て台詞さながら消えた。相変わらずぽかん、としている私の脳裏には眉間にシワを寄せた少年の小さく笑った笑顔が焼き付けられていた。

たいようみたいって、心から思った