サクラサク

ずっとヤマト先輩が好きだった。でもそれを一度も口に出すことはなく今日はヤマト先輩の卒業式になってしまって、私は泣き出したくなるのをぐっと堪えてヤマト先輩が卒業証書を受け取るのを在校生の席ではなく一番後ろの壁に背中を預けて見ていた。前のほうで拍手されているのを少し悲しく思いながらも私はステージを降りて、席に戻る彼をずっと見ていた。先輩は隣の席の人に言葉を交わすと同時にステージの上でこの学校校長が声をマイクに入れて私達に語り始めた、口が数度動き、止まり前に向き直った彼の横顔はもう私からは見えない。来年からは先輩が居ないこの学校をどう過ごせばいいのか途方に暮れた。

「おめでとうございます!」

人間の道の間に卒業生が通っていく。その人の外に私はぽつりと中の賑わいへ視線を向けているだけで特に何をするでもなく、背の高い黒髪の先輩を目で追う。女子生徒の声に彼には珍しく口元を緩め、笑い返す姿が映りここで呆けていた事をとても後悔した。まだ人間の作った道は続いている、私は走り出そうか否か迷い同じ場所で突っ立っているだけ、こういう時心より頭で考えてしまうからいつも動けずにその場に立ち尽くして後悔してばかり。それを分かってはいてもこうやって動く事も出来ず彼の姿を脳に焼き付けるだけで精一杯の辺り情けない。

その時誰かが意図せず私の背中を叩いた。多分あの人間の輪に入り損ねた人なのだろう、と私はその反動で前のめりになって固まって動かずに居た足は自然と前へ前へと進んだ。地面から剥がれなかった足は意図も簡単に動いてしまい先輩へと一歩一歩ずつ進む。先輩は私を見ることはなく少しずつ校門へと、人間の道から外れていく。私はゆるりゆるりとした歩みに速度を加えて先輩へと向かった。人の声は酷く煩いけれど私は一言先輩に向けて叫んだ。

「ヤマト先輩、っ!」

ざわりとした空気の中私の声は黒髪の背の高い彼には届かなかったのか振り向くことはなく門の外へと彼は吸い込まれて見えなくなった。嗚呼駄目、と泣きそうになる私に何が背中を押してくれたのか、先程のような誰かの攻撃もなかったというのに私は門の外へ向かって走った。最後の在校生が外へと出て行ってしまったから人間の道は一気に崩れ好きな方向へと散り私の行く先を邪魔する。何度も知らない顔の人の肩にぶつかっては迷惑そうな視線を投げ掛けられるけれど私は謝る余裕もなく彼の姿を探しに走った。

「っと、危ないよ」
「…先輩、」

門を超えた処、曲がり角に飛び出した私をあろう事かヤマト先輩が身体を受け止めてくれた。咄嗟に離れ、先輩を見上げようとして触れられた処が火照るのを感じ顔を上げられなくなる。云ってしまおうと覚悟をして走ってきたのにまた私は口を閉ざして自分の殻に閉じこもってしまう。小さく先輩、と云うとちゃんと返事が返ってきて私は顔を上げた。

「…、ヤマト先輩」
「僕に何か用かな、」
「わ、私…」

私、で止まってしまった。式場では淋しくてこれからヤマト先輩の姿が見れなくなると思うと胸が詰まった、それだけだったのに彼の顔を間近で見た私は何処か可笑しくなったらしく目からはぽろぽろと雫が落ちてきた。驚いたヤマト先輩の顔を見て私はやっと自分が涙を流している事を知り、私も驚いた。傍から見た私達は可笑しい二人組みだろう、冷やかしの声が幾つか飛んでは空気に溶けた。あの、好きで仕方ない声が野次に向かって一喝したからだ。私はぽろりぽろりと落ちる涙を袖で拭いながら言葉を云おうと必死になる、けれど涙に気を取られる、しゃっくりが喉を突っ返させて邪魔をした。

嗚呼もう格好付かないな私と心の中で嘆きながら、涙で湿り続けている袖を目尻に押し付ける。困ったような視線を向けられているのがぼやけた視界から微かに感じられてまた涙が出て来そうになったのだけれども何とか踏み留まった。本当は好きですと云いたくて玉砕覚悟で来たのだけど先輩の大丈夫、の一言でそれはそんな事、と云えてしまうくらいどうでも良く思えた。そのヤマト先輩を祝福するかのように風が一気に私達をすり抜ける、空からひらりひらりと薄い桃色の雨が降って黒い髪の毛に幾つか乗って綺麗だった。袖は相変わらず湿っぽくて、涙も乾かず、しゃっくりは不規則に喉からこみ上げてくるし、視界はぼやけたままだったけれども、それを全て抱えたまま私はヤマト先輩に卒業、おめでとうございますと云えた。ぼやける視界でよく分からなかったのだけれど、彼から笑顔が浮かんでいた気がして私は涙で余計不細工になった顔のまま笑い返した。