見上げた先にはいつも彼が居たと錯覚してしまう程に彼を見ていたらしい。
気が付けば目の前にはいつも彼が誰かに笑いかけ、からかい、弄り弄られを繰り返している姿が眼に焼きつく。それを眼にする度に心臓辺りが疼くのを感じてしまうのだけれどもそれの真意を知りえるには未だは幼かった。太公望は旅の途中だと云うのに寄り道を働いては四不象とを困らせるような事をするのだが、それは何かしら意味を持っていた事に気付いた時少女は少年のような道士に恋をする。

今日は此処で宿を取ろうと云った太公望に四不象が訝しげな視線を送るのは、二、三日前にお金が無くてあんまんさえも買えなかった事を思い出している。その視線に動じず道士はさっさと二人、否一匹と一人を置いて宿先へと入っていくのだが少女、も霊獣の四不象も懐が心配でならなかった。それにいつもならば野宿で十分事足りるというのに宿を態々借りるのも可笑しな話だ。いつもの彼ならば寝る場所よりも食い物と云った思考の持ち主なのだから、連れである一匹と一人が訝しがっても変な事ではなかった。

「大丈夫なの、師叔」
「何がだ?」
「お金っすよ!三度の宿より飯なご主人が信じられないっす!」

そうだよ、大丈夫なのと四不象に加担して不審な行動を取る太公望に詰め寄れば何かを堪えるような表情を見せ嗚呼やっぱり何か隠しているとと四不象は瞬時に理解するも偶にはという太公望の言葉にまんまと乗せられてしまった。部屋は閑散としていて外とだいぶ違いがあった。四不象は敷物を寄越せば直ぐにでも眠りにつけると投げられた布を床に敷きお休み三秒と言葉のまんま本当に三秒で眠りについてしまった。呆気に取られたに太公望は苦笑いをし疲れていたのだなと溜息を洩らした。お休み三秒の四不象は放っておいては窮地に立たされていた、宿、と云ってはいたがどうやら前の町で溜めたお金が想像以上に少なかった為一部屋しか借りられなかった。溜めた、というのは勿論の事彼の十八番である占いだ。前々回の時は鰯占いだったが前回の時はそれが秋刀魚占いに変わっていた。何が違いがあるのかはにも四不象にも理解出来なかったのだがいつもの如く大繁盛しているのだからそこはあえて突っ込まない事にする。部屋自体は狭くはない、四不象は寝る場所(床)があるから十分な寝床はあるし手が届いているのか綺麗だが、只唯一を震撼させたものがあった。

「一つしかない、んだけれど」
「どうもそうらしいのう」

太公望は頭を縦に何度か振り納得したような顔をしていたがは一つしかないそれに顔を青くすれば善いのか朱くすればいいのか困惑した。定年超えた翁さながらの考えの道士には問題ないかもしれないが、つい最近その翁のような青年に恋している事を自覚した少女の容姿をした三十代に入るは寝る場所が一つしかないと云う事は大問題だった。四不象に助けを求めようと視線を向けてみるも霊獣は早くも深い眠りへと落ちているらしく鼻提灯を綺麗に膨らませたり萎ませたりする事に忙しくて此方の状況を理解するのにはたたき起こすしか術はないだろうと諦める。慌てる少女に対して、平然と寝るかと声をかけてくる翁に苛立ちのような恥ずかしさのような変なものが爪先から頭のてっぺんまで行くのを感じ、ひゅと息を吸った。

「おぬし、何故そんな処で突っ立っておるのだ」

早くも布団の半分を占領した太公望に声をかけられ部屋の隅っこで固まっているは鈍感な道士を殴りたい衝動に駆られる。がしかし、そんな事をした処で軽々と避けられてしまうのは旅を共にするようになる以前から知りえていた事なので無駄な体力は使うまいと両掌を擦り合わせるぐらいに留めておいたが布団を共同で使う等と言語道断、是非とも避けたい状況だった。

「わ、私はいい…!四不象の隣で丸くなって寝るから!」

思い切り首を左右に振り断りを入れるのだが、布団に半分身体を滑り込ませた太公望は納得いかない顔つきでを見遣り、それから四不象の方へ目配せすると疑問を口にする。何故だ、とその答えくらい仙人界でも頭脳はずば抜けて素晴らしいと謳われる男が何でこんな簡単な事くらい分からないのだと憤慨しそうになったがお門違いの滞りを彼にぶつけるわけにも行かずは先手必勝とばかりに行動に出て、床で丸くなっている四不象の元へと足を向ける。布団は四不象の外套で十分だろうと思いながら霊獣へと近づければその前に背後から呆れた溜息が聞えた。

「おぬしのような貧相な娘に色欲を抱く程飢えてはおらん」
「…なっ…!」

何を云い出すのかと抗議の声を上げ損ねた、と云うのもが云う前に布団の中に身体を寝かせていた太公望がいつの間にやら少女の背後に立ち軽々と持ち上げ布団へ落としたからだった。吃驚するの隙を余すことなくその間に太公望は自身も布団の下へ潜り込ませ、二人、褥を共有する事となり、あれ程恐れていた(恥ずかしいの間違いだが)事が起きたとは逃げようとするも太公望も腕が背中に廻り抜け出すのは困難だった。いつもならば草の香りで太公望と一メートル程度離れて眠りについている為、自身の頬に異性の胸板が当たるのには驚いた。小柄な方である太公望であっても、女性(にょしょう)とはまた異なるのだと初めて気付かされる。もぞりもぞりと身を動かして頭を上げてみれば当の本人は四不象と同じくお休み三秒と云った処らしく微かに寝息を立てていた。

自分ばかりがどきどきして莫迦らしいと思ったのはこの寝息を聞いてしまった所為で、は眠りにつくのが早い一人と一匹に習って眼を閉じれば案外疲れが身体に溜まっていたのか睡魔は直ぐに少女の世界を支配した。暫く経った丑満つどきであろうか布団の中で片方が動いた。勿論それは睡魔に襲われている少女の方ではなく、直ぐに眠りについたと思われる太公望の方だった。年寄りは早起きと云うがこれでは早すぎやしないだろうか云う時間だ。もぞり、と動いた塊の眼はしかと開かれておりあまりの目覚めの善さに、寝ていないのではないだろうかと思わせる。

「全く、わしの方が眠れぬではないか…」

悪態を付いた処で、深い眠りについたの腕が太公望の背中から離れていくわけでもないと知りつつも無意識に声に出してしまう。その声が意外にも大きく響いたのは寝静まっている時刻だからと云うものもあるがあれ程鼾が煩かった四不象が今は呼吸のみの音で済んでいる事が大きかった。噤んだ唇、眼下にある少女の唇が自然と眼に入り、歳だと云われているが案外自身もまだまだなのだと思わせる。現に好いている者が隣で寝ているだけで眠れないのだから、翁を返上しなくてはならないらしい。とは云え、相手の気持ちを勝手に推し量って手を出す程落ちぶれてはいない道士は頭一個分低い少女の頭に唇を落とした。これくらい赦して貰わないと公平じゃあない、数時間ある夜と眠気に対峙しなくてはならないのだからと自身に云い訳をしつつこんな日が一日でも長くあればと道士は思った。

ファンタスティック・レモネード