ああ、駄目そこじゃない、そのタイミングでその言葉を云うの、彼女は今苛々していた。目の前に繰り広げられている男女の会話に聞き耳を立てながら思わず指図してしまいたくなる衝動をどうにか抑えつつも心の中では大乱闘を繰り広げていた。上手く言葉を紡ぐ事が出来ない男に話しかけられている女の方はうんざりしているようだ、折角お茶に誘ったのにこんな会話の続かない男ならば向こうから手を切ってしまうだろう事が容易に想像出来る。テンゾウ、彼女行っちゃうわよと心で叫んでみた処で彼が気付く訳もなく声をかけた彼はあっさりと振られて電柱で隠れているの前まで戻ってきた彼の脛を思いきり蹴り上げれば顔には似合わない悲鳴を上げたテンゾウには満足した。

「莫迦ね、何でもっと上手くやらないの!」
「そうは云っても、あまり他人とは喋りませんし」
「ほら、それがいけないの!好きな子を落としたいって云って来たのはテンゾウでしょ」
「…まあ、そうなんですけれど」

だからと云って全く知らない子に声をかけてお茶に誘うって云うのも、と口を篭らせるテンゾウに眉を吊り上げたはもう一度きつく叱咤した。とテンゾウは云わば仕事仲間、忍者だ。暗部でも普通の任務上でも共に過ごす事が多い二人の関係性は周りから見れば恋人同士に見えるらしいのだ、テンゾウがどう思っているかは知りえない事だがはテンゾウと恋人等と考えた事はない、仕事仲間で、後輩で善い弟分のような存在だと考えていた。そんな彼から恋の相談をされれば黙っていられないのが先輩なのだと相談を受けた翌日には二人して休暇を貰いこうして街での云う特訓をしているのだが中々上手くはいかなかった。テンゾウは忍としては勿論の事先輩であるから見ても善い男だと思う(この場合キナ臭い男は除外する)話かける女の子達は訝しげな表情で振り返るもテンゾウの容姿を見てぱっと笑顔がこぼれる、がしかしどうにも言葉が続かない彼に愛想を尽かしさっさと道へ戻っていってしまう。

「ここまで来るともはや死活問題よ、」

容姿、収入、性格、どれをとっても引けを取らないと思うこの人物をどうやってその好いている子にアプローチをかければいいのだろうと頭を捻ると目の前に居るテンゾウは必死になり自身の事を考えてくれている彼女が愛おしく感じているのだが、それを彼女が、が気付いているとも思えない。しかも自分はそんなに女性受けするような顔つきではない、感情が表に出ない、何を考えているか分からないと云うのが一般の妥当な意見だろうに彼女は格好善いと云う、そういう言葉もテンゾウにどういう意味をもたらしているのか彼女は気付かないのだろうと苦笑いを零した。それを落胆していると解釈したは大丈夫だとテンゾウを励ます。この先輩はどうしたら自分の気持ちを察してくれるのだろうかと頭が痛いのだが、自分の事のように必死になる健気さに顔が思わず緩んでしまうのは惚れた弱みと云う処だろうか。

「あ、ほら今度はあの子にお茶を誘いなさい」
の言葉にテンゾウが振り向けば此方に向かってくるのはカカシの後任として担当している班の生徒、サクラだった。え、と固まっているテンゾウにまた何を勘違いしたのかは大丈夫と意気込んで彼の広い背中を思い切り掌で叩き死角である電柱から突き飛ばした。テンゾウは行き成りの背中の襲撃を止める事が出来ずそのまま道へと出てしまい此方に向かってくる桜色の髪の少女はテンゾウの姿を視界に入れた途端に顔から笑顔が滲み出した。ヤマト隊長、と声を張り上げ小走りでやってくる少女、サクラをテンゾウは服の下で冷や汗をかきながらいつもと変わらない平然さを装ってやってくる少女に近づいた。これでが勘違いしなければいいのだがと内心緊張しつつも眼はサクラへ向く。

「どうしたんですか、こんな処で」
「あ、いやあ…今日は休みなんだ」
「そうなんですか、だから私服なんですね。とっても似合ってます」
「へ…あ、ありがとう」

私服と云っても家にあるものを適当に着込んだ格好、これでもが態々テンゾウの家にやってきて指示した結果なのだけれどいかせん、服に興味等ない彼の家には忍服の下に着込んでいる黒いシャツばかりで怒りを買ったのを思い出しテンゾウは背後で監視している彼女の視線を感じながら頬が固まりそうになる。サクラは買い出しに出てきていたのか手の中には買い物の紙袋が抱きかかえられている、女の子が重たそうに荷物を持っている時は進んで持って上げなさい、と云う言葉を思い出しテンゾウは出来る限りの笑顔で重そうだね、と言葉を発した。サクラの訝しげな視線が飛んでくる。それもそうだ、いつもならこんな言葉滅多に云わないのだから。

「もしかして何処か頭でも打ったんですか」

疑問系ではなく確定で問いかけてくるサクラにテンゾウは身体が硬直する。
電柱から溜息が聞こえその緊張は最高潮になる。嗚呼こんな事ならばさっさと本人に想いを告げるべきだったと後悔先に立たず、テンゾウは仕方ないとばかりにサクラの耳元へ顔を持っていく。何だ、と云う顔をしているサクラは素直に彼のする事に従った。

には聞えない何かを二人で話した後、サクラ色のほわりとした女の子はそのまま去っていった。テンゾウはその後姿を見送った後電柱へと姿を現しは善い雰囲気だったのにと落胆した。別れ際に微かに聞えた声にはテンゾウから相手へじゃあ、と云っていた処から断ったのはテンゾウの方となる。は何であんな可愛い女の子を断ったんだと睨みを利かせて見上げれば、困ったように少し嬉しそうに笑う後輩が眼に入る。もしかして、と間抜けにも口を開ければ、それが笑顔になる。そんなテンゾウには心臓が跳ね上がるのを感じた。

「上手く、いったの?」
「いえ、全く」

何も可笑しい質問などしていないと云うのにくつくつと笑いを堪えるテンゾウに今度はあからさまに心臓が痛み出した。突然の変化には戸惑いながら自覚する。もしかして自分は彼に恋をしているのだろうか、と。思えばこんなに他人に世話を焼くなんて事をした事はあるだろうか、幾ら可愛い後輩からの相談だとしても休日を返上してまで付き合っているなんて考えられない。嗚呼、どうしよう。彼の恋の手伝いをする処ではなくなってしまった。途端にテンゾウの笑顔が身に染み込んで、知らず知らずのうちに顔が朱くなっていく。嗚呼もう、何て顔をしているんだろう。突然顔を背けたの変化に気が付かないテンゾウは暢気にどうしたんですかと尋ねた。

アン・ドゥ・トロワで恋に落ちよう