梟がこつり、と窓の外からガラス戸を叩く音に気が付き開けてやれば嘴には丁寧に噛まれた手紙が挟まっていた。それをありがとう、と云い引き取れば梟も鳴き声で返事をし空へと帰っていったのを見送り窓を閉めた。封筒を何気なく裏返してみれば、無意識の内に息が止まる。は息をする事を思い出したように直ぐに深呼吸をし、もう一度手紙に眼をやる。確かにそこにはホグワーツ、アルバスダンブルドアと書かれていた。あまりの懐かしさには眼を細め、指先に残っていた煤がそれについてしまい慌てて布ではらう。丁度暖炉の掃除をしていた処だった彼女の掌は黒かった。

手を洗いに戻り、再度その手紙を手に取れば幾分落ち着いた自分が居る事に気付き苦笑いを零す。はそこの卒業生だった、あれからもう三年が経とうとしている。魔法を生かせる仕事をするでもなく日本に帰り家業を継ぐ事となった彼女はこの封筒によって、魔法学校での出来事を思い出し胸が苦しくなった。魔法は嫌いじゃあなく、寧ろそっち方面の仕事をしたかったのだが魔法を使う度、同じように思い出してしまう感情を抑えられなくなり、は大人しく日本に戻った。そうすれば忘れられると高を括っていたのかもしれない。一年目は淋しくてどちらが家か分からなくなる程だった、ホグワーツでの生活のあまりの密度の高さに驚き、これほどまであそこに執着していたのかと思った。二年目は家業にも慣れ、あの学校での出来事を少しずつ薄ぼんやりとしか思い出せなくなった。けれどふとした途端に洪水のように溢れ出てくる記憶が彼女を苦しめた。三年目になると思い出しても少し胸が痛むくらいで嗚呼、若かったなあと笑えるようになった。日本では珍しい暖炉を掃除出来るのもその所為かもしれない。

「何だろう、」

封を切って中身を見れば薄い手紙が一枚と、書類のようなものが数枚入っているだけだった。眼を丸くしながらはもう少し沢山書ける事があるだろうに手紙が一枚なんて、とがっかりした。開いてみれば更に短く羊皮紙の半分くらいしか書かれてない。用件のみの質素なものだった。


大股で歩く男の黒いローブが盛大に広がり廊下を占領する。まるでその行動が心の荒々しさを表しているかのようだ。少し乱暴に扉を開けば部屋の主は然程驚く事もせず、逆にそんな行動を起こした男を待っていましたと云わんばかりの笑顔で出迎えた。煌きを眼に宿している白髭を蓄えた翁は緩やかに両手を組み、一歩一歩が重たい男を見据える。男は鼻息を荒くしながら、翁に視線を持っていくがその表情は明らかに不機嫌を通り越していた。翁はそんな男に動揺もなく、口元を緩める。

「おお、セブルス。何用じゃな?」

セブルスと呼ばれた男は白々しい翁に対し苦々しさを持った顔でどういう事です、と何とか怒りを抑え問いかけた。翁の名はアルバスダンブルドア、この魔法学校の校長であり、偉大な魔法使いと称される人物だ。そんな彼に鋭い視線を向ける男も只者ではない、名はセブルススネイプ。魔法薬学の担当教師で皆からは圧倒的な支持を得ている。とは云っても好かれる方ではなく嫌われる方ではあるが。男、スネイプは荒々しく手にしていた書類を机に叩きつける。怒りでだいぶ皺が寄ってしまっているのは愛嬌という事にでもしておこう。ダンブルドアはその書類を一瞥しただけでさも今気付いたと云うような表情をスネイプに向けた。

「これがどうかしたのか、」
「私は一度もこういう話を聞いておりませんでした。どういう事か一から説明を」

鼻息荒いスネイプにダンブルドアは茶目っ気のある笑顔を向けるがスネイプがそんな事で諦めるとは思っていない。その書類にはホグワーツを三年前に卒業をしたの名前が載っていた。それだけならまだいい、その次にその者を魔法薬学の助手にするというとんでもない書類だった。自前に云ったとしても許可しないこの書類にはもう既に相手の方のサインがしっかりと記されており、今週中にはホグワーツに来るという段取りになっているらしい事が事細かに書かれている。季節外れも善いとこだとスネイプが憤慨する中ダンブルドアは笑顔を絶やさず最後まで彼の云い分を聞いた後また口を開く。

「セブルス、最近昔より余計に眠れてないのではないかね。わしは心配なんじゃ、何事にも誠意を尽くすお主の事じゃから尚更」
「だったら何故、!よりによって彼女を…。彼女じゃなくても、」
は魔法薬学に長けておった。今は日本で魔法界とは疎遠じゃ、何故か分かるかのう」

煌きの中からわずかに鋭い視線を交えたそれにスネイプは押し黙った。
彼女が何故あれほどまで魔法を愛していたのに魔法から離れていったのかを知りえていたからだ。忌々しそうにローブを翻し、部屋から出て行ったスネイプにダンブルドアは残していった書類を手元に手繰り寄せた。複製ではあるがそこには確かに彼女の了承のサインが入っていた、それを確認した後ダンブルドアは口元に皺が寄るのが自身でも分かった。

「お久し振りです、ダンブルドア先生」
「おお、少し見ない内に美しくなったのう、セブルスもそう思わんか?」

何故我輩に振ると思いながらもスネイプは何も言葉を紡ごうとはしなかった。それには少しだけ悲しげに眉を下げたかと思えばそれは刹那事で直ぐ笑顔に戻り迎えに出てきたマクゴナガルに抱きついたのだった。助手、と云うからには魔法薬学を一から憶えなおさなければいけないと手紙が届いてからホグワーツに戻るまでの一ヶ月間、埃をかぶっていた魔法薬学の教科書を片っ端から出してきて思い出そうと躍起になった。少しでもスネイプの役に立ちたいと思ったからこその苦労も先頭を切って歩き一度もに声をかけない男に早速挫折しそうになった。後から見ても彼は何も変わってはいなかった、全身黒尽くめも眉間の皺も薬草の匂いが染み付いた身体も健在だった。ただ、彼女が卒業する前と違っているといったら顔色が以前にも増して益々酷くなっている事だけだ。それだけでもは泣きそうになってしまったのだが、何とか堪えてスネイプの後に続く。特別変わっていない学校に案内は必要はないが助手としてスネイプの下で働くのだから部屋の場所等を教えて貰わなければいけなかった。来て直ぐに二人きりになるとは思っておらずは無言でさっさと進んでいく背中を見ながら振り返り誰もついてきていない事に落胆し、向直りだいぶ距離が開いてしまったのに対し慌てて追いかけた。

「此処が研究室だ、我輩の隣の部屋がお前の部屋だ。好きに使い給え」

やっとの事口を開き言葉を発したスネイプは義務的な事を吐き出し、相も変わらず眉間の皺を濃くし、まだ認めていないと云った顔をしていた。研究室へ足を踏み入れた途端匂いだす香りには眼を瞑りかけて、隣で急かすように眉を顰めた男に気付き直ぐに止め、すみませんと呟いた。それに何の反応を起こす事なくスネイプは踵を返しさっさと自室へと篭ってしまうのだけれど、は宛がわれた部屋へ行ってみる気にもなれず研究室の扉前でぼうっと突っ立った。とても懐かしい匂いだ、薄暗い部屋に篭る薬草の匂いと紙の古めかしい匂いが混じってそれが彼の身体に纏わりついていた匂いと同等だと思えば思う程胸に染みこむ度合いが変わっていく。戻ってこられたのだと目尻に涙が浮かぶのを誰も居ないと云うのに必死に堪えこれから自然となっていくであろうこの匂いに彼に向けた想いと同じような気持ちが溢れていくのが分かった。

レトロ・フレグランス