が笑った、とアレンは少し離れた席から彼女を見ていた。
くすくす、と豪快でない笑い方はアレンの恋心を擽るのには十分な代物だが彼女が笑いかけているのはアレン相手にではなく彼はまだ見た事のない隊員相手にだった。彼女の目の前には線の細さと比例した控えめの料理が並んでそれを口に運びながら、アレンの知らない隊員に相槌を打っていた。アレンはそれを尻目で追いかけながらも自身の前に並んだ料理を食べる、その量は身体の大きさからは想像もつかない程膨大な量にも関わらず彼は満足しないのか食べ続け遂には平らげてしまった。

隣で普通の食事を取っているラビの方が可笑しいのではないかと思わせる。
彼は胃に流し込む液体と、パンの間に牛肉と野菜を挟んだものを食べていた。隣で繰り広げられている何処に消えているのか解らない食べ物の行方にすっかり食欲が失せてしまい四分の一程度残ったそれは結局彼の胃袋に納まった。ラビは何度も見ている光景に慣れる事がなく、その度に気分を悪くしていたのだから共に食事をする事を控えればいいのに何故かいつも気が付けば隣にいるのだった。今日も例外ではなく、ラビはアレンと食事を取る、その彼はやっと手を止め、彼女、の方を向いていた。

「ラビ、」
「んー、なんさ」
の隣に居る彼って誰ですか」

そう尋ねるアレンの顔はラビからは窺い知る事は出来なかったが声が酷く冷え切ったものからしてラビはあえて彼の表情を見ようとはしなかった。ああ、先月入ったばかりの隊員さ、と答えれば空気はあっという間に氷つくのだけれどそれはラビが居る小範囲でしか伝わらないものだった所為で周りは誰一人として彼の変化に気付いたものはいない。何てこったと逃げ出さなかった、否逃げ出せないこの状況を一人で嘆いてみた処で彼がその新入隊員に対して向ける敵意のような(殺意とも云える)不穏な空気が無くなる訳ではないのだ。

「…あ、でもそんなに気にする事ないって」

ラビは取り繕うようにアレンの肩を叩いてみたが一向に雰囲気が柔らかくなる事はない。自身の身が可愛いからと云っての本音をアレンに教えてやるような不躾な真似をラビは出来る筈もなく、アレンの怒りの矛先が此方に向けてこないかと云う心配だけをする事にした。は向かい側に腰掛ける隊員に悪い印象は持っていない笑顔、殺意をラビの周りだけにばら撒いている少年以外は普通の会話なのだが恋は盲目、恋は曲者と云う言葉があるように、恋する相手の事になると周りが見えなくなるのはこの少年も例外ではないらしい。目の前の皿が無残な音を立てる、ラビが恐る恐るそれを見やればフォークが綺麗に皿の真ん中を突き刺しその皿は可哀想な事に真っ二つ、よくよく観察すれば皿ではなくテーブルにアレンの手腕によって鋭利な刃物にされたそれが刺さっていた。ラビは声を懸命に声を抑え腰を上げかけたのだが、彼女から眼を離さないアレンが都合善く振り向いて視線で彼を突き刺せばもう逃げ場はなかった。


「あ、ラビ!…とアレン!」
「やあ…」
さん、こんにちは」

彼女がやっとの事二人に気が付いた時にはラビはげっそりとし、まるで長期任務の帰りのようだった。心配そうに顔を覗き込まれたラビは隣の今だに振りまいている只ならぬ雰囲気に冷や汗を流しながら席を立ち、まさに脱兎の如くの速さで食堂から姿を消した。彼の不可解な行動の真意を知っているのはアレンだけであり、逃げていく背中を見てはどうしたの、と疑問を口にした。

「さあ、お腹でも痛かったんじゃあないですか?」
「そうかもしれないわね、顔真っ青だったし」

ええ、と如何にも紳士らしい笑顔をに向ければ、あまり祖国では感じられないものを直に浴びせてくるアレンに頬を微かに染める。嗚呼、なんて可愛らしいのだろうとアレンは割れた皿を先頭に積み上げた。もっと彼女と話していたいがそろそろ任務の時間が迫ってきているのだと肩を落とし、は頬の朱さなど無かったかのようにそれらを見た。大変そうだねと彼だけに向けた笑顔にアレンは僅かな(理性を働かせている為)独占欲と云うものが心臓辺りを軸にして身体全体に行き渡るのを感じた。先程の、もう居なくなった隊員に対し殺意を向けてみたが意味の無い事だと視線を笑う彼女に向ければ何も知らない顔がまた些か憎らしくもあり愛しくもあるのだろうと、アレンは込み上げてくる胸の熱さを感じながら思った。

さん、と呼んでみた処でこの胸は治まらないのだとアレンは元来人間誰しもが持ち合わせているであろう欲望が前線を行き、理性を吹き飛ばし場所も考えもしない心だけ動かした結果、自身のものとはまた別格な滑らかさを持つ頬に指先を這わらせていた。驚く彼女に対しアレンはそこで隊員に勝った気がし、またそれが子供っぽいのだと自身を貶した。驚いているの瞳をもう少し近くで見たくなった少年は人も疎らになったとは云え、食堂の席で唇が触れそうな程近く顔を向けるのだった。

溶けるシアン、透ける青、笑う魚