はのんびりとしていた。久しぶりに与えられた休日を書物で満喫する事に決めたのは村田健こと大賢者が地球から眞魔国に戻ってきたからである。村田健が何故休日の内容を左右するその理由は以下の通りである。第一に普段から行く処、する事全てにおいて何故か近くに居る。第二にその度に声をかけてきては話を繋げようとする。第三に休日は前にあげた二つの事柄をよりしつこくして向かってくる。からして彼女は村田健が眞魔国に戻っていると聞いたその瞬間から今まで姿を現した事のない書物へと足を向けるのだった。そうでなければ街へ繰り出して中々出来ないお洒落を愉しみたいものだが、それが出来たのは村田健と渋谷有利こと眞魔国王が眞魔国へとやって来る前の話。今では彼女の休日が近づけば村田健は水がある処何処からでも戻ってきてはしつこく付きまとうようになった。その為は可愛い服を買いに行くのも着るのも止め、此処を見つけるまでは村田健から逃げる日々を送っていたのだ。そこで何度か厚かましいこの上ない事なのだが眞魔国王陛下へと進言した処、彼は快く了承し、村田健にリードを付けてくれるとまで云ってくれたのだがその綱がちゃんと眞魔国王の掌に掴まれていた事は皆無だった。

「ですので猊下、私はこれから雑務をこなさなければなりませんので今猊下が立っていらっしゃるその道をあけて戴けると助かるのです」

村田健こと大賢者である猊下と呼ばれた少年はうん、解っているよと云いながら水の入ったバケツと箒を手にしているに道を開けてやる気は更々ないと見える。その証拠に狭い通路の壁にもたれて此方を彼女ににこりと笑いかけている。掃除をしなくては叱られるのはだと云うのに少年は気にも留めていない様子。先月やっと水の中に眞魔国王陛下と共に飲まれていき願ったり叶ったりだったというのにいつの間に戻ってきたのか頭が鈍い痛みを訴えた。確かに大賢者が居なくては困る事の方が明らかに多いのだがその男に付き纏われているからしてみれば大迷惑な話でしかない。好意を向けられて厭だと思う人は稀であり、彼女も最初は真っ直ぐな想いのたけをぶつけてくる村田健に緊張したことは紛れもない事実である、がしかし断ったにも関わらずこうまでしてちょっかいをかけられては当初感じた胸の高鳴りも見事吹っ飛んでしまうと云うものだ。大賢者はからバケツを素早く奪い取るとそれを外へと放り投げた。悲鳴を上げる侍女に対しその原因を作った張本人は相変わらずの表情をして彼女を見ていた。

「なっ…何をするんですか…!」
バケツが庭で無残な音を立てて転がっていく。大賢者は悲鳴が面白かったのか、それともその行動に唖然としている侍女が面白かったのか、笑顔は三割増しされた。要らない特典だとは箒の柄を握りしめつつ思った。

「だってさ、いつになっても遊んでくれないじゃない。だから今日は僕から誘いに来たんだ」

バケツはもう音を立てておらず、の前に立ちはだかる村田健は悪びれるという事を知らないらしい。どうしたら自身の職務に戻れるだろうかと思案する内に壁に持たれていた少年は箒を手にしていない方の手を握り締めた。身体を硬直させたがまたもや彼のツボを付いたのか愉しげに笑う。にはそれが心の奥を痛めつける要因である事を知らない。

「だからってバケツを投げてしまうのは横暴です、猊下」
「その横暴な猊下に少しだけ付き合ってよ」
「職務を怠る訳には参りません」

頑固だなあと洩らす少年にどっちがだと云い返したいのをぐっと堪えているのか箒の柄を握る手が益々強くなった。日頃好き勝手発言しているでも云えない事はまだごまんとあるのだ、幾ら容姿は村田健であろうと大賢者には変わりなくそして黒髪双黒を併せ持つ少年に楯突くのは眞魔国でなくともこの全世界に置いて恐れ多い事である。勿論人間世界では別の意味で恐れ多いのだが、は偉人と云う点で少年に遠慮をしているようである。それが少年には気に入らない。

って何で僕に遠慮するのさ」
そう云いながら口元を窄めた処で侍女の仕事が無くなるわけでもなく、ましてや遠慮するという理由を聞きたがっている前世大賢者には倒れこんでこのまま少年の姿が見えなくなればいいのにとさえ思った。しかし、世の中そう上手くは出来ては居らずは箒を手に飛んでいったバケツを見ているし、大賢者もまた然り。心の思いとは裏腹に一向に視界は黒くならない。

「それは猊下だからです」
「ふうん」

何故当たり前の事を聞くのですかと云いかけては止めた、猊下に云う言葉ではない気がしたからだ。普通ならばそこで納得出来るものだろうに彼女の前に立ちはだかる少年は小首を傾げた。納得いっていないのか、それともそれだけでは足りないと云う事なのか。侍女は考えあぐねた。

「それだけじゃあ足りないんだよね、僕は君の本音を聞きたいんだ」

悩むまでもなく、少年の方から紡がれた言葉に侍女は身体を固まらせた。
本音ではない、建前上の言葉である事を既に見抜かれていたというのか。その身体の硬直に少年はほらねと云わんばかりの視線を侍女に投げた。何も云えなくなった侍女に何が可笑しいのかくすくす笑い出す。その意味が分からない侍女は顔を顰めた。

「そう、その調子」

緩やかに細められた眼、目蓋が光で白く光る。胸が痛い程鳴り、どうしたものかと自身で思う。一気に抵抗する気が失せた侍女の態度を見た大賢者は腕を退けた。からからと少し離れた場所でバケツが啼いている。何がその調子ですか、と声を上げそうになり口元へ指を持っていけば大賢者は侍女に向かって妖しげに笑うのだ。

のそういう困った顔とか、見ていて厭きないなあ」
「……お腹真っ黒ですね」
「どういたしまして」
「……」

2011/02/26|る|類義語だけをありったけ