万事屋の引き戸をガラガラと音を立てながら開け、挨拶を奥へと飛ばせばこの家の主である坂田銀時こと銀ちゃんが返事を返してくれる。それが私の日常だ、大体は二日酔いで死にそうだったり、寝起きで低血圧の少し苛立った声色だったりするのだけれど今日はそのどちらとも違い脳に真っ直ぐ届く綺麗な声だった。どんな声でも私の耳に掛かれば銀ちゃんの声は脳と心臓を一気に覚醒させるものだけれども本人はそれを知る由もなく、私もそれを態々云うような性質でもない。靴を脱いで奥へと進めば定位置となっている入り口から見て右側のソファーにジャンプを顔面に乗せて鼾をかいているのが銀ちゃんだ。声からして起きているものと思っていたのだけれどもこの調子では私の予想が外れたらしい。

あれ、でもさっき返事返したよねと気付き狸寝入りを決め込んでいる(返事をしてしまっては意味がないのに)銀ちゃんの上に思い切り乗ってやる事にした。

「ぐふうっ、」
「この狸男」

無駄な抵抗はやめろと云わんばかりに全体重を銀ちゃんのお腹にかけてやればジャンプが床に叩きつけられるのも厭わずさっき呑んだ苺牛乳が穴と云う穴から出ると叫び出した。もし噴出したとしても後片付けは本人にやってもらうのだから此方は別に困りはしないのだ、としたり顔で銀ちゃんを見下ろせば年中無休でぐうたら生活していて糖尿病予備軍にしては引き締まったお腹を持っている銀ちゃんは楽々と腹筋の力だけで起き上がり私を床に落とした。ジャンプと同じ扱いなの(!?)と声を張り上げそうになったのだけれどもまあ、今日くらいは自粛しよう。

「あーなんだァ。毎日毎日お前も暇人だな」
「銀ちゃんと一緒にしないでくださいーっ、バイト帰りなんだから」
「そのバイト帰りのちゃんは他に行く処もないんですかー?」

そう云われれば返す言葉も無い。本音を云えば銀ちゃんに会いにきている、のだが天邪鬼な私はそんな事を堂々とは云えない。床に正座したまま押し黙ると銀ちゃんはまたあーだのうーだの呻いた。もうお腹に体重をかけている訳ではないのだから、と思ったのだが銀ちゃんを見れば云いたい言葉は常に半分以上は四散してしまってる。

そんな私の小さな悩み事を知る由もないぐうたら男は好き勝手はしゃいでいる銀髪を通り越し皮膚をがりがりと掻いた。髪の毛の跳ね具合と云ったら銀ちゃんの性格そのものじゃないかと誰もが頷く暴れん坊だ、きっと若い時に無茶な事を沢山してきたんだろうと過去の事はあまり知らないけれどもそうだと思った。と云うか、何でこんな空気が重くなっているんだろう、ああ、そっか、銀ちゃんの言葉に対してまだリアクションとってなかった。

「神楽ちゃんと新八君は?」
「知らねーよ。多分、妙の処じゃねえの」
落としたジャンプを拾いに掛かり、それを床から見守る姿は変である。けれども銀ちゃんはそれを口にしない、本当に今日は可笑しい。いつもなら直ぐに突っ込みが入るのに。

「知らないって、適当だなあ。まあ銀ちゃんの予想は大体合ってると思うけれど」
「だろ」

にやにやと下品に笑う銀ちゃんは助平丸出しだけれども本当はとっても恰好善い事を知っている私の視界ではそれさえも輝いて見えてしまう。大体さっきの会話の中でどう変化させればそんな笑い方が出来るのか疑問で仕方ない、でもまた銀ちゃんだからと彼が存在するそれだけでそのささやかな疑問はどうでも善くなるのだから私は相当危ない処まで来ているのだと自覚はある。自覚はあってもそれを打破する方法が見つからないのだから知った処で何の意味はない。

「そういえば、珍しいね。起きているなんて」
「銀ちゃんもやる時はやるんですぅ。いざと云う時はきらめくんだよ、覚えとけ」

覚えとけって云われなくても覚えているし煌いている銀ちゃんもちゃんと記憶されておそらく私の中では大切なものを保管する場所へと入っていると思う。それも云える事は多分これから先ないと思うと同時に銀ちゃんが折角拾ったジャンプをまた床に叩きつける音がした。(した、と云うのは私は自分の世界に旅立っていて視界は零、聴覚だけ機能していた)その音で我に返った私はすぐさま銀ちゃんを見上げるのだけれど、そこに銀ちゃんの顔はなく腰のベルト、渦巻き模様の描かれた着物の袖が見えただけだった。銀ちゃんは私が別世界へ旅立っている間に立ち上がっていたのだ。

「ぎんちゃ…?」

目線を上げ銀ちゃんの表情を眼に入れようとすれば、今まで見た事もない驚きと戸惑いと切なさ(最後は善く知っていた、)が銀ちゃんの顔には表れていた。それは私を見てではなく(勿論そうであったならどんなに嬉しい事か、今まで隠していた事全部話しちゃうだろう)私を超えた場所、辿っていけば簡単に分かる。玄関入り口此処への出入り口を凝視していた。入り口には見た事のある人が立っていた。前に万事屋のお手伝いで居たらしい人で、(何故知っているかと云うと新八君から写真を見せて貰った事があったからだ)端から見ても綺麗な着物を着込んでいて持ち前の美しさを際立たせていた。銀ちゃんは空気を振るわせる力もないくらいの小さな声で女性の名前を呼んだ。

「久しぶり、銀ちゃん」
「あ、ああ…」

銀ちゃんにしては珍しく冗談も揶揄も含んでいない声が確かにあの坂田銀時の唇から発せられた。彼女は銀ちゃんの変化に気付く事なくふわふわとした雰囲気を言葉に纏わらせて一つ一つ声にしていた。確か(実は)(私)(云う為)だった。と云うのもまた聞く事をボイコットしたわけでも何でもなく只単に私の小さな脳みそが理解するのを拒んでいるだけだった。その断片的なものをやっと台詞にするとこうなる。

「実はあれからずっと考えていたのだけれど、私はこの万事屋と銀ちゃんがやっぱり好きです。だから今日此処に来たのはその事を云う為だよ」

彼女よりも近い位置に居る私からは善く分かる、銀ちゃんが唾液を飲み込む音。喉が上下するささやかな音。そして本当に小さな声で彼女の名前を呼んだ音。それが何を意味するのか莫迦で小さな脳みそしか持ち合わせていない私でも流石に判る。銀ちゃんの返事を聞きたくなくて、そして銀ちゃんも聞かれたくないだろうと云うのから(まあ私が居る事なんて忘れちゃっているんだろうけれど)私は立ち上がる。(その時銀ちゃんの爪先に踵が当たった)

「わっ…私お邪魔みたいだからもう帰るねっ。またね、銀ちゃん」
「え、あ…ああ。わりーな」
「じゃあ次来た時にパフェ奢ってね!」

判ったとだるそうな声に戻っていた銀ちゃんの視線は弾かれやっと私を見たのだけれど私は云うだけ云って床を蹴った。女の人とすれ違う際に小さく会釈をして、私は玄関へ行きつっかけを履いてさっさとその場を辞退した。いつもならもっとゆっくりと降りる階段を乱暴に下っていきながらこの音が少しでも銀ちゃんに聞えて、私の苛立ちが分かればいいのにと思ったのだけれど、それじゃあ性格が悪過ぎると思い直して半分くらいの処で歩みを止めた。何を思って今足を止めたのか、私には分からないし分かりたいとも思わない。万事屋の看板を見上げ、玄関口を見るけれどもふわりとした銀髪の駄目侍は居なかった。きっとあの様子だと銀ちゃんは彼女を受け入れるのだろう、そして万事屋はまた元通りになる。銀ちゃんは見た事もない笑顔で彼女と笑ったり泣いたり怒ったりするんだろうか。私はと云えば銀ちゃんに云った次来た時は暫くは訪れない事だけは分かっていた。そしてまだ半分しか下っていない階段をかんかん音を立てて下りた。

2011/03/08|お|おそすぎた恋をいつかのみほして