行って来ると云ったエドワードの言葉にいつものようにいってらっしゃいと優しげな音を出して送り出しをしているのは彼の妻であるであり、はいつもと何ら変わりのない笑顔でエドワードを見送ったのだった。彼と出会ったのは数年前、ミュンヘンの郊外近くにある花屋の二階に住んでいたエドワードと出会った。何故二階に住んでいたのか彼女が知っている訳は至って簡単である、花屋を営んでいるグレイシアと仲が善かった為度々上で一緒に食事を取る事があったからだ。突然二階に住み始めたエドワードに最初は警戒をし、グレイシアに何度か理由を問いただしてみても彼女は優しい性分の為、他に行く当てがないようだからとしか云わなかった。

「優しすぎるわ、そんな事云っていたら家が無い人全員に貸さなくちゃあいけなくなる」
「あら、その辺の分別はちゃんと弁えているわよ。取るに足ると思ったから貸したの」

優しすぎるのも考えものだと彼女が頭を抱えている内にグレイシアはそんな事もお構いなしに紅茶の用意をし出した。気にも留める様子のない彼女にはとうとう折れ何も紡がなくなった。それからと云うもの何度かエドワードエルリックと名乗る彼と食卓と共にし、話していく内にグレイシアの云う取るに足ると云っていた意味が分かってきた。そしてそれを感じていくにつれて彼女の観察眼も中々侮れないと云う事が分かり、は暫くは頭が上がらない自身の姿を思い浮かべ苦虫を噛んだような顔つきになった。

「アルフォンスは前からエルリックさんの事を知っているのよね」

彼の事が知りたい、と云う欲求が出てきたのはそれからもう暫く経った頃だった。エドワードが花屋の二階に住み始めて半年となろうという頃だろうか、は意を決して前々から仲の善いアルフォンスに声をかける。彼は少し前のの態度を知っていた為、些か驚いた表情になったが直ぐに此処最近のエドワードに対する株が上がっていた事を思い出したのか唇が弧を描いた。

「ああ、うん。知っているよ。でもこっちに移ってきてからの彼は前と違うな」
「…違うって、どんな風に?」
「昔のやる気は何処に行ったのか、サボってばかりだし。やる気が出たのかなと思えば殆ど図書館に篭りっきりになるか、ふらりと居なくなるか」

まるで別人のようだよ、とアルフォンスが口にしたのと同時に幸か不幸かそのふらりと居なくなっていたエドワードが姿を見せた。話の核となっていた人物の突然の帰宅に驚いた二人はそれを隠す事が出来ずそのままエドワードに向けた。彼にしてみれば状況が読めない上に帰宅早々視線の的となっては居心地が善い筈がなかった。

「なんか顔についてるか?」
「あ、いえ…おかえりなさい、エドワードさん」

が返事をする間もなく只今と返し階段を上っていってしまったエドワードに苦笑いを禁じえなかったのは彼女の方ではなくアルフォンスの方だった。(仕方ないよ、あれがいつものエドワードさんなんだから)暗に慰めてくれているのだろうアルフォンスの言葉は静かにしとしととの胸に落ちる。

「アルフォンスは優しいなあ、」
「そ、んな事…ないよ」
「やだ、謙遜なんて。私達そんな仲じゃあないでしょう」

褒められる事になれていないアルフォンスは顔を綺麗に朱く染め上げた。
くすくす、と云った笑い声は暫く二人の間で途切れる事はない。そんなやり取りがあってから数日経ったある日、はグレイシアから誘われた食事をしに花屋に顔を出したのだが肝心のグレイシアは居らず、店までもが閉店していた。訝しがりながら裏の通路へと行けば誘った当の本人は当日熱を出してベッドから出てこられない状況だと態々部屋から出てきてエドワードが告げた。どうしたのだろうかと悶々していた彼女にとって救いの手となるべきエドワードは笑うでもなく淡々としていた、そんな彼を置いて二人個々で話すのは初めてと云う事に気付いたは直ぐに返答出来ず口をもごつかせエドワードに疑念を抱かせてしまい、慌てて(成るべく外には洩れないように)笑顔を取り繕いながら言葉を発した。

「…あ、アルフォンスは?」
「ああ。アルフォンスもグレイシアさんの風邪がうつって部屋で寝込んでる」

肝心のアルフォンスもまた生来身体が善くない為、簡単に他人の病原菌を貰ってしまう処があった。持病があるのにと心配そうにした彼女にエドワードは内心驚いた。アルフォンスの恋人だと思っていたの様子があまりにもそれらしくなかったからだ。そんな思いを抱かせているとは露知らずは帰ろうかと思案していた。どちらにせよ自身は邪魔意外の何物でもないのだからとエドワードと視線を合わせる。

「私が居てもきっと邪魔になるだけだから、もうお暇するわ」
「…ああ」
「エルリックさんも気をつけて。風邪は侮れませんから」

踵を返したになあ、と意外な呼び止めがあり思わず声につられて振り向いてしまえば当たり前の事なのだけれどもエドワードが些か恥ずかしそうに頬を掻きながら振り向いた彼女に何を云おうとしたのか分からなくなったような間延びした音だけを発した。訳の分からないエドワードの突然の言動に眼を丸くするが珍しかったのだろう、エドワードは突然笑い出し、益々云いたい事が分からなくなっていた。

「エルリックさん…?」
「ごめん、何か初めて見たからさ。あんたのそんな顔」
「……」
「いつも澄ました感じだったろ、だからなんかさっきのが意外で」

心外だ、とは眉を寄せる。エドワードは意味を直ぐに汲み取り詫びをいれるのだけれども口元は緩みっぱなしであまり謝られた気がしないとは感じていた。けれども、今まであまり笑顔さえも見た事のないエドワードがこうも感情を露わにしてくれると云うのはとても貴重である気がして、はまじまじと彼の顔を見た。

「あー…俺の顔に何か付いてるか?」
「いいえっ…私も貴方のそんな笑顔見るの初めてだから、吃驚しちゃって」

エドワードも彼女の言葉によってその事に気が付いたのかそういえば、と思考を巡らす。エドワードはが居る時は大体気を利かしてくれているのか時々出てくる部屋から全く出てこなくなるし、感情の端さえも見えない程に彼は警戒をしていた。けれども、そういえばと思い直すのだからエドワードは無意識にしていた行動なのだろうと思うと可笑しかった。くすくす笑うに今度はエドワードの方が彼女の顔を凝視する番になった。

2011/02/21|し|知る権利、知る覚悟