幼い頃から培ってきた退魔師としての才能はもとより身に纏う雰囲気から姿、態度全てを磨き上げたが、遺伝から来るものは中々直せず器量まではどんなに努力をした処で変えられるものではなかった。自身の磨きの限界を知り、神楽坂の娘の神楽坂要の器量の善さは成長と共に浮き彫りにされそれを目の前で見てきた家の娘、は何度羨んだ事か知れない。古い記憶には共に遊んでくれた青年の姿が思い浮かぶがそれを要に共有しようとすれば要は何を云っているのか分からないと首を傾げた。忘れてしまったのだろうかと落胆すると共にこの想いは自分だけでも持っていようと決意した、それから十年の月が経ち、幼い頃からの約束を忘れてはいなかった彼女の想いは遂に叶う事となる。神楽坂要と共に潜入捜査で編入した学校には彼女が求めていた男が教員として在籍していたのだ。青年はもう青年と呼べる容姿ではなくなっていたがは男を忘れるわけがなかった。念願の安倍忠義との再会に驚くも彼女に気が付いた様子は全くなく初対面のような態度で自己紹介をせがまれたは一気に天へと昇る気持ちを呆気なく突き落とされ、心も粉々に砕け散ったのだがそんな素振りを見せるへまはせず貼り付けた笑顔で応える事が出来た。

成長して幼子の時には分からなかった顔の一部の崩れが原因であろうと憶測で考え、推理し、昔は見れた可愛らしい幼子の自分が今はこんな風になってしまったのだと自身から進言するのは憚られた。もしも仮に男が自分の未来図を想像していたのならきっとこうはなっていない筈だからだ、期待を裏切ってしまうのは男にとってもましては彼女にとっても善い事とは思えなかった。

「かな、」
「要ー!」

兵頭十馬がの声に丁度善くかぶさり要は彼女の声に気付く事なく兵頭へと視線を寄せた。そうではくとも兵頭十馬の声は一般人よりも煩い事から彼女の声が気付かれるのは至難の業だ。潜入捜査が始まってから一ヶ月が経った今では要はすっかり男子校に馴染みクラス中から愛されるマスコットキャラクターになっていた。愛嬌のある笑顔と身体の小ささ、とっつき易さ、数え上げればきりが無い彼女の長所には要を呼び損ねたのを多少残念に思ったが早々に諦め、家から持ってきたお弁当を片手に教室を出た。要とは正反対に彼女の想像通り、クラスにも馴染めずただひたすら任務を遂行するだけに体力を費やしていた。放課後学校を徘徊したり授業中には要と共に式神を使ったりしたがそれでも大した事は全く掴めていない状態なのだから救いようが無い。

「任務の為に此処に居るのだから」

自身の都合のいいように言葉を選び出したは屋上の扉を開いた。夏が過ぎ秋へと季節を変えたこの時期は温度差が激しく屋上は彼女にとって酷いものだったが食堂や教室で食べる気にはなれずどんなにしても我慢をして食事を取っているのだが流石に今日は冷え込んでいた。

幾ら足が隠れていたとしても華奢な女の身体にはそれも足りない。
早々に食べる力を無くしたは柵近くにお弁当を置き、自慢の式神を呼び出した。まだ力が安定していない要と違い幼子の頃から修行に明け暮れていた彼女は唯一要より勝っていると云えよう。式神は呪文を唱えた数秒の内に現れた。

「今日もお願い。不審な動きが少しでもあったなら知らせて」
「御意。にしてもご主人、此処は冷えませんか」
「大丈夫、慣れているから」

言葉を返そうとしかけた式神に余地を作る間を消してしまったのはあまり人通りの少ない屋上の扉を開ける音だった。風を切る音で式神は一瞬にして彼女の前から消え、屋上の扉を開いた何も知らない人物にはその姿を捉える事は出来なかった。扉へと視線を寄せると思いも寄らぬ人物が式神の言葉を消してくれたのかと思うと複雑な気持ちだった。気だるそうな雰囲気を身に纏い此方へ歩んでくるのは安倍忠義であり、兄のように敬愛していた彼は今はからは教師と云う立場に置かれていた。些か彼女は男が実は気が付いているのではないだろうかと訝しんだりもしてみたが男は全くの無関心であった。

「こんな寒い処で飯を喰ってんのか?」

俺でも寒いと感じる程だからよっぽどだと眉を顰める男にはそうですと素っ気無く答えた。初対面の頃とは随分違う彼女(男は彼だと思っているだろうがややこしくなるので此処は彼女にしておく)の雰囲気に男は顰め面をしたが向けられている相手は一向に気にする様子はない。寧ろ投げやりにも見える、期間の決まった編入である事を知っている彼女からしてみたらどうでもいいと思うのは頷けるが男はそれを知らないのだから言葉をかけるのは教師の立場上当たり前なのかもしれない。案の定男は溜息と共に言葉を紡いだ。

「おいおい、そんな若いうちから枯れちまってどうするんだ」
「それならもう元には戻れませんね」
「屁理屈を云うな、莫迦もん」

屁理屈ではなく本当の事だ。一度知ってしまえば元には戻れなくなる、一つ前の知らなかった自分には戻れず進んで行くだけでそうなってしまった以上自然感情を抑える事を覚えて安全な道を選ぼうとしだすのだ。しかしは安倍の言葉が酷く胸に刺さるのを感じた。ああ、これは善く知っているものだった、滞りだ。約束も顔も古い記憶だとしても忘れてしまった男から莫迦だと云われるのは男にとっての常套句であれ彼女にとっては大打撃だった。私の事なんて忘れてしまっている癖に、約束なんてこれっぽっちも覚えていない癖に、と言葉にしかけて自身の冷静さを欠いている言動を発する直前に思い留まり男にそれが届く事はなかった。男は何故かくっと口元を歪めたがにはその心が分かりかねた。

早く此処から降りて男から離れたい一心で彼女は些か冷静さをまたしても欠いてしまった。お弁当を片手に男の隣をすり抜ける時、故意なのかは頭が真っ白になった彼女が判断出来る筈もなく兎にも角にも男の靴に足を取られ身体が傾いた。退魔師は呪術だけではなく体術も専攻している事からも身体能力には自信があったのだがその時都合善く足を攣ってしまい受身さえも取れぬ状態に陥った。あ、と声を洩らし倒れる衝撃を待ち望むだけとなったのだがその望さえも悉く壊された。男は片腕で華奢な身体を押さえ倒れる事を阻止してくれたそのお陰では地面に身体を打ち付けずに済んだのだからお礼を云うのは当たり前だと唇が動く前に男から先に言葉を発せられた。

「気をつけろよ、御姫様」
「——…っ」

言葉が出ない、突然の暴露に頭がついてこられず男がまた言葉を発するまでそれは続いた。

「お前さん、俺が気付いていないと思っていたのか?随分見縊られたもんだな」
「い、つから…」
「最初からに決まっているだろうが、」

芝居に付き合っていると思っていたらしい安倍は本心から気が付いていなかったの経験不足を笑った。身体全体の重心を軽々と片手で持ち上げてしまえている男はの動揺を益々誘うかのように(しっかし胸が貧相だな)さらしを巻いた肩甲骨辺りを撫でた。直接胸元に触れずとも男の腕が当たっている為、ある程度の大きさが分かってしまいは自身が男装中であり冷静さをとっくの昔に捨て去って悲鳴を上げた。

直ぐに安倍によって超音波のような甲高い声は封じされたのだがはまだ頭を落ち着かせるまでに至らなかった。くつくつと笑う音が震動で分かる。これ以上の屈辱はない。

「昔から変わらんな、要といい…ある意味奇跡に近いぞ」

変わらない、その言葉により頭は一瞬で冴え渡った彼女は茶化す男の脛を蹴り上げようとする。会わなくなった十年の間であの優しかった男の見る影もなくただの嘘吐きだとは眉を寄せた。変わっていないなんて事はない、内面的なものから外見まで。同じ処なんて男とのどうしようもない夢のような、子供の戯言のような約束事それだけだと自負も出来る。しかしその肝心の男でさえ嘘吐きになってしまっていたのだから百年の恋も冷めると云ったものだ。は安倍の腕の中からどうにか抜け出し思い切り睨みつけた。

「、平気で嘘を云うようになったんですね。安倍先生」

失礼します、と今度は捕まらないように神経を研ぎ澄ませ屋上の出入り口を超え、階段を駆け下りた。彼女を襲った衝撃は何を盾にしても守備漏れを余儀なくされるものだった。自覚があるものに変わってないと云う嘘はただ残酷なだけだった、大きくなったらお嫁さんにしてという子供の頃の約束事は暫くは忘れる事は出来ないだろうけれど頑張ってみる事にした。

2011/02/22|く|苦労のしかたが正しいのかもわからないまま