ウフフ、いやあねぇ、艶かしい声が耳に入る。厭な気分に支配されていく心をなだめながら一瞥すれば案の定の光景が眼に入った。小島であるレガーロにしては美女ぞろいだ、と女であるも思うほど男の周りに過ぎる影は世間で云うナイスバディな女性ばかり。足下にも及ばないと嫉妬心さえ四散するのだと実感したのは記憶がすり切れるほど過去のものだった。細く、長い肢体は着こなしの難しいであろうロングドレスを難なく身に纏う。隣に腰掛ける男は普段、怠惰の化身のような人間の癖に着ているものはノリのきいたスーツ。それにワックスによって綺麗にまとめ上げられた髪の毛。悔しい程魅力的な男と女。否、悔しさなんて小さなものはとっくに消失済みだった。喉に突っかかったものは先ほど気休めに口へ放り込んだ氷の所為だと決めつける。
金貨のセリエである幹部が油を売っていていいものだろうかと胸のもやを払拭するように考えを変えた。それもいつもの事だと云われたらおしまいではある。はカジノ内に幹部である男、デビトが居れば問題ないだろうと腰掛けていた椅子を置き去りにした。
「やっぱりレガーロ島にいるんだから外に出なくちゃね」
長時間耐えていた拷問からの解放に身体は喜びを訴えた。ぐぐっと思い切り身体を天へ伸ばせばついさっきまでの鬱々とた感情は早くもどうでもよくなった。男への感情が抑えきれる自信を失いかけていたからこそ外部への長期任務を受けて一年間島を離れた。それだというのに帰還したに待っていたの島の色男としての看板を立てる程に格好良くなった男だった。益々色事師として名をはせた男の口説き現場を一度、二度(数えるのも億劫になる程)見たところでどうってことはない。知らない。と子供が拗ねるような言葉を吐き出した。こんな事ならば戻ってくるんじゃなかったと後悔を胸の内に燻らせた。
「たまにはお前も羽目を外せよ、ナァ?」
太陽の光を浴びているにも関わらず身に染みていた男の言葉が頭痛と共に響く。「折角戻って来たんだからよォ」と云いながらデビトは限りなくゼロに近い距離を保っている隣の女に笑いかけた。の叱咤などものとはせず、腰に回す手の力がこもるのを視界の端で見つけても飲み込む感情を理解しているのか男は「ククッ」と笑い薄明かりの下に光る碧眼は愉し気だった。手玉に取られた女性は積極的な腕に気を良くして背後に居るの存在など気にも留めず男の首筋に彩られた唇を寄せる。
「オイオイ、まだそんな時間じゃあねェだろ?」
「あら。じゃあこの手はなあに?」
敵わねえナァ、と薄く笑みを浮かべた男の顔が浮かんでは消えた。この後の二人の関係性が何処まで進展するのか巡りの良くなった思考を留めるように岩石を置く。それも男の一言でひび割れてしまう弱小の石だ。ため息でごまかして、「カポ、程々にして下さい」と言葉を濁した。このまま塵と化してしまえばいい。と物騒な考えを廃棄するように踵を返し定位置へ戻った私への興味を無くした男の色声と女の艶やかさが反芻した。
「あれ、!久しぶり!」
レガーロ晴れと称される程の晴天の上を行く能天気な声に振り向けば顔なじみのパーチェが立っていた。太陽の光が良く似合う男だ、と呆れ顔のを他所にパーチェは再会をおおいに喜んだ。このタイミングで犬のような人懐っこい笑顔は救いだった。一年経っても変化の無い底抜けの明るさはお楽しみの最中である男を追い払うには丁度良いと利用する事への罪悪感を抱えるが彼がそれを批難するような器の持ち主ではないことは嫌という程知っていた。
「パーチェ、元気だった?」
「ああ!俺は元気だったよ。このとーり」
自慢するように腰に手を当てて踏ん反り返った顔なじみは眼鏡がずれるのも厭わずに破顔させる。「ラ・ザーニア!」と叫ぶ姿が容易に想像出来ておかしかった。
「そうだね。変わってない」
つられて笑い返したの頬は先ほどの出来事を引きずっているのか微かに痙攣を起こす。それを見破られぬようにああ、そういえばと顔を背けた。一年外へ出ていた間にすっかり感情を隠すのがへたくそになってしまったみたいだ。突然居なくなっても何故と皆が首を傾げる程には考えを悟らせない技術は備わっていた筈だった。
「デビトは一年で随分……浮き名が増えたみたい、だね」
世間話をするように軽やかに口にした名前に無意識が全てを奪おうとする。帰って来てから一度も呼べていない男の名をもう一人の顔なじみの前で口にするとは思ってもみなかった。去年の今頃も少ない訳ではなかったが、行く先々金貨の、デビト様、と眼を潤いに満ちさせた女性達で溢れ返ってはいなかった。顔合わせにしたって、消息を絶った自己の可愛さあまりの行動の癖に緊張をしたのはだけでデビトはくびれに手をまわしながら「よォ」と口にした。は些か憤慨するように、けれども嫉妬心からくるものだとパーチェに悟られぬように唇を緩めながら放った。
「随分な挨拶でしょ?」
事の顛末を吐き出してしまえば楽になれそうだった。けれども口にした事によって自身の惨めさを実感するだけに終わってしまい早々に後悔した。レガーロに戻って来てから後悔ばかりだ、と両指を交差させる。惨めさをこれ以上洩らさないように網を張る指先に労るように添えられる力強い手のひらに驚く。
「はさ、」束縛を酷く嫌う男だ、こんな感情ひとつでも拾われたら消そうと必死にあがいていた努力が水の泡だ。パーチェに云わんとする言葉を悟り、「駄目」と言葉を刺した。駄目、駄目、金貨のセリエで居たい。喩え報われなくても、デビトの側に居るだけでいい。そう心で唱えると同等の数だけ身に穴を開けた。レガーロの陽気さに気が狂れたみたいに首を何度も左右に振るの襟首を随分温かみのある手のひらが包み込む。
「………」
「云わないよ。見つかりたくなかったからレガーロから居なくなったんだろ」
首筋の暖かさは全身に行き渡り、気がつけば身は全て一回り大きな男の中だった。「すごく心配したんだ、これくらいの罰は受けてよ」との細い髪の毛が息で揺れるのが分かる。罰だと云った行為は安心感を受け付けるものでパーチェの云う事柄は全くもって意味を為していなかった。張っていた気の糸が緩むと共に強がりで引き止めていた涙までもが決壊しそうだった。胸の上に顔を寄せたの頬が何度か揺れる。魅力的な女の姿とデビトが重なる。
「ハハハ、こんな処デビトに見られたら殴られるだけじゃ済まなさそうだ」
冗句を飛ばしたパーチェにつられて綻んだ口元が鍛えられた胸板とぶつかった。
「デビトなら今頃美女と好い仲になってる筈だから」
大丈夫だ。と云う。自傷がお好みなのか、口にすればする程身を痛める事になる。晴天の所為か、反芻する痛みの所為か、眩暈が酷い。そうだ、デビトはあの細い腰に指を、綺麗に縁取った口紅を自身にもつけるつもりだ。頭上ででもさ、とパーチェの優し気な声が落とされる。
「が消えてからのデビトを知ってからでも遅くはないと思うよ」
子供をあやすように大きな手はの頭を何度も撫でた。それ以降の男を知る術のないはつられて視線をパーチェに持って行くがそこまでが罰だと手厳しさを垣間見せた。どちらも親友だから甲乙つけないように公平にしたらこうなるよ、といつもの笑いを浮かべながらパーチェは不安定な背中を押す。棍棒のセリエ幹部兼、幹部長代理を務めるだけの能力を持つだけあってか後押しをする言葉選びが上手かった。離れたぬくもりに名残惜しさを感じながらもパーチェの云うこの一年のデビトを知ろうと頭の片隅に残した気持ちを恐る恐る引っ張ってみれば息が出来る喜びに跳ね上がった。
「パーチェ、」
「ん?」
「ありがとう…」
疾走感を持った背中は勢い任せに金貨のセリエ達が仕切っているカジノ場へ向かって行く。些か不安を落としている後ろ姿を太陽光が邪魔をして眼を細めた。「ね、デビト」去った背中を眼で追ったままパーチェは自身の背中へ向けて言葉を投げかける。そこには誰も居らず、木々が風でざわめくだけ。それなのに男は核心をもって呟いた。
「油断できねェ奴」
いつも通りのひょうひょうとした男のふて腐れた声が木々に混じり響き、次第に姿が浮かび上がる。それを一瞥しても然程驚きを見せないパーチェに舌打ちを落とし、隣に足を向ければ普段と何ら変わらない男の笑顔が浮かんだ。
「だってデビト、動揺が気配を悟らせていたよ。気がついていない訳ないよね」
「ハッ……テメェがあいつにちょっかいかけるからじゃねェかよ」
幼なじみの手前では女を手込めにする技は通せず、自身では格好悪いと感じている素が顔を見せる。デビトが優しくしてあげないからじゃん、と笑うと今にも食ってかかりそうな視線を刺す男を制した。余裕を見せた男のスーツとやらは慌てたからかシワの寄りが目立つ。決まっていたと云った髪型はぱらぱらと額にかかり右目の眼帯をも隠していた。何処が余裕のある男なんだか、とパーチェは笑いそうになれば直ぐに汲み取ったデビトは面白くないと、歯を剥いた。
「デビトのモノじゃないんだからさ、は」
(今はな)と尖らせた唇が紡いだ言葉を耳聡い棍棒の幹部は逃さなかった。嫉妬心で相手を振り向かせようなんて子供染みているよ。男は誤差の範囲である身長差の男の首に腕を回す。「オイ!」と未だに不機嫌から脱却出来ていない男を励ますかのように羽交い締めにした。
2015/11/04|せ|せめて私くらいは足掻きなさい