なにかしら怪我を負っていても、闇色のローブの下に全てを隠して、身近でありたいという私を、知らん顔で去って行く。時々、過去の呪縛を彷彿とさせる人間に会った時、彼は、冷静という枷を落としてきてしまうようで、矜持の鬼のような人が、容易くそれを突き破ってしまう。不確かな、宙に浮いて、危うい存在であるものを、信用してしまう人になる。それが酷く、厭だった。

「貴様には、分からぬであろうな」

その時から、彼は闇と光を交互に行き来して、自らを危機に晒し、守ろうとしたものを私は汚すような発言を、目立たせたように思う。何故、と抱いた疑問を口に、彼を見上げれば彼は一時だけ、口を閉ざし何かを咀嚼して包み隠そうとしているようだった。彼は、何も云わない。彼の場合、わたし、という人間に固定されたものではなく、全てのことを遮蔽して分からなくさせる。その上セブルス・スネイプという男は閉心術の手練だから、覆うベールは何枚にも及び、形が見えていても、触れられない人だった。

その年は三大魔法学校対抗試合がホグワーツで開催され、近年では最も賑わいを見せ、他校の生徒達が混じり合い、眼が追いついていかないくらいの人波だった。彼は、闇の印が出たということを、聞いて以来、気難しさに拍車をかけ、益々無口な人になる。外部の出入りに、真っ向から反発した彼を、時折見せる厳格さを孕んだ、視線が制した。その後の、当たり具合も非情さが目立ち、暫くはお互いの足先に顔があるかのような、生活が続いた。前年に起きたシリウス・ブラックの逃走、襲撃、釈明、からの和解と行きたかったが、因果はそう容易いものではなく、私の苦手としていた彼が全面に出る。何も聞く耳の持たなくなった、頑迷な人間ほど、手強く厄介なものはない。逃げ出したシリウスと、無になった功労の数に、地下室に降りた彼の横暴振りは、慣れていた私でも手に負えなかった。

珍しいことをすると、錯乱の呪文でもかけられたのでは、と遠巻きで噂の的にされるくらいに、彼はイベントと呼ばれるものには姿くらましをする人だった。親睦と唄われたダンスパーティの開催の折、いつものようにと目論んでいた彼に、ダンブルドア先生は「全員がじゃよ、セブルス」と容認しないと告げた。当日、渋々と華やかな場に姿を現した彼は、場に似つかわしくない機嫌の悪さと、服装で堂々と異彩を放ち、それがせめてもの抵抗らしかった。

「馬子にも衣装とは、、お前の為にあるようなものだ」
「……ひどい」

彼が、黒以外のローブを身に纏い現れた日には、次々と卒倒者が出て、パーティどころではなくなってしまうだろうから、いつも通りの彼で良かった、と思う反面すこし残念ではあった。彼は私を見るなり、通常運行である口で悪びれもせず吐く台詞に、非難をすると、場のきらびやかさにやや、色移りした闇色が左右に揺れる。

「折角のパーティに、その服ってどうです」

横目で見ると、所々ほつれに気を取られ、秘かに距離をつめると嗅ぎ慣れた薬草臭がローブからも、彼からも漂って、ついさっきまで実験をしていたことを物語っていた。定着してしまっているべったりとした髪の毛は、愛嬌だと受け入れていたから、気にはならない。仕返しとして、呟けば、彼はさして気にも止めないようで、思惑はあっさりと砕かれた。

「服装まで指定はされていなかった筈だが?」

そう云われたら、云い返せなくなってしまうし、ひと味違った自分を主張したくて、粧しこんだ事が羞恥心を煽られた気がして、普段よりも厚めに塗った化粧の下で熱が暴れた。
「…にしても、そのままって」
「本来ならば、こんな場に顔を出すのも憚られるのだ。別によかろう」

壁の華になる私の隣で、気を利かせようとはせず、壁に身体をあずけ早々に場から離脱しようとした。彼が隣を占めていては、余計に近寄る相手も居らず、ふたりで華を咲かせることに専念するしかない。踊りましょう、という言葉を受け入れたい人間は、至近距離にいながら無関心な為、もしかしたら、という淡い期待は消し去るほかなかった。

「……次で最後、ね」

食の細い彼の手前、ひとりがっつく訳にもいかず、少し無理をした服でお腹を満たされていたから、何もするでもなくただぼんやりと、眺めているだけの催しは、さながら映画を鑑賞しているよう。誘いに身を委ねた組み合わせは、終わりに近づくにつれてハッピーエンドで締めくくろうとしていた。これも悪くない、と思い始めた頃、賑やかさを占めていた会場はしとやかな音楽と共に、終わりを知らせる。

「………お付き合い頂けませんか、?」

どうせ、最後、恥はひととき忘れよう、と腕を組んで疲弊した表情の彼に、手を差し出した。その時の顔は今でも忘れられない。涙袋が引きつけを起こしたように震え、眉のつり上がり具合に、後悔が押し寄せて、突っぱねられる、と思った。

「すみません、迷惑で…」
「………」
「…教授?」
「、最後だからな」

ローブの中で温存していたのに、冷ややかなままの手のひらが、引っ込めた腕を掴み、舞台上へ繰り出そうと足を進める。半ば強引さが目立つ、彼の行動はまるで、気恥ずかしさからくる行動と似ていて、驚く。手を差し出したのは、こちらの方なのに、彼が申し込んだような、錯覚を起こしてしまう。そんな筈はない、と思い直しても、胸から込み上がる緊張はなかなか収まってはくれなかった。中心へ出てきた、蝙蝠に悲鳴があがるのでは、と危惧した思いは、雰囲気を掴みきったふたりには関係ないようで、誰も気に留めるような者はいなかった。

「……セブルス…踊れたの…」

普段の陰険さとは裏腹に軽快さを孕んだ足先に、うっかり留め金をし忘れ、漏れた名に、頭上で顰められた眉を、見る。両手を合わせ、色気の漂わない唯一のふたりは、そのまま続行され、ゆるやかに揺れる。場の空気に酔い、判断を緩めたのかもしれなかったそのことが、純粋に嬉しかった。彼は、やや不満げではあったけれども、それ以上の追求は野暮だと理解していたから、沈黙のままに、身が揺られる。普段、交わることのない、指先が長い間触れられているのは、初めてのことで、数分の短さが一生続くのでは、と詰まる胸の内をひた隠しにした。細く、骨張った指は、緻密さと繊細さを象徴していて、頭を下げれば、背の高い彼の胸に、全てを委ねているような心持になる。彼と云えば、始めの一言に遺憾を表したぐらいで、どぎまぎしている私とは違い、普段通りだった。

「ただでさえ危うい、足なのだから、気をつけろ」

感情に意識を持っていかれ、要領の悪さが足下に及び、暗がりに身を解合わせていたものに、足を取られる。大きくなったゆらめきを、細い腕に守られる。「ありがとう」と云えた時には、パーティは終わりを告げ、力強さを見せた両腕はするりと、私の身から離れた。パーティの余韻が残るのは、好意の抱くふたりで、片割れの場合、それは残らないのだと彼を見て、思った。さして、気に留めていなかったらしく、先を行く背中は「何のことだ」と紡いだ。その些細なことが永遠となることを、彼は痛いほど、身に焼き付けて、それに私も、自ら巻き込まれに行ったのも同然だった。

「…及第点くらいはくれてやろう」

彼は、振り向き、暗闇であまり表情の読み取れないまま、呟きざまに口角を上げた。その日は、珍しいことばかりが身に降りかかり、既に許容量を超していた私にしてみれば、ただ受け止めるだけで精一杯だった。余韻は彼を微かに酔わせていたらしく、笑いの少ない彼の口角が物語っていた。音楽を身に染み込ませた、彼の姿が、とても心地よくて、何か気の利いた言葉のひとつでも云えたのなら、物事はもうすこしいい結果を残せたのかもしれない。指先に感じた冷たさが、私の指先で暖まればいいのにと思った。


「いい加減に、しなさいよ」

ソファーでうずくまっていた身体は、一週間目に達しようとするとさすがに辛くなり、床に簡易布団を置いた。弾力のあるベッドの上には何故だか、横になりたくなくて、薄っぺらい煎餅布団を引きずり出した。無造作に置かれたそれを、スペアキーで入り込んだ友人は一目見て、我慢が出来なくなったらしい。仕事前の早朝六時頃、刀のような鋭さを含んだ声が、耳にまっすぐ、刺さる。一向に軽くならない瞼に、少しだけ力を分けると、表情も鋭く、鬼のようだ、とぼんやり思った。彼女の斜め後ろから覗く留守電を知らせる、明かりがチカチカとして、眼が痛い。落ちようと、手放しかけた意識を、友人は呆気なく怒気で吹き飛ばして、開口一番に叫んだ言葉と同じ事をまた、告げた。

「アンタがそんな様子で居たって、誰も喜ばないわ」

彼女は後ろの電子ボタンを、乱暴に押した。そうしなくても従順な機器は、私とは違い素直に仕事に入る。ピー、と鳴るそれには溜まりに溜まった、会社からの叱責と、少しの友人の言葉が流れる。聞き入っている間に彼女は、仕事に出て行き、一人の空間がまた出来上がる。しんしんと、静けさが床に吸い込まれて、追いかけていく、留守番電話の声が合わないと思ったのに、すんなりと胸に溶けた。

『ーーーです。暫く前から連絡がとれません。こちらとしてもーーー』

事務的な声が跳ね返って、なんとなく、私はクビになったのだ、と感じた。
視界を態々自分の手で悪化の一途を辿らせて、友人の云う誰も喜ばない状態に、陥ったのだと、処遇を与えられるまで自覚は湧かなかった。彼が居れば、きっと「打開策も講じず、ダマになるのは薬草でも出来る」と叱咤したに違いない。主にそれをダマにしてしまうのは私の方だけで、彼はいつだってするすると流れていってしまうのだ。

大体の留守電が会社からの手続きの話で過ぎ、そろそろ鬱陶しさが胸に宿る頃、曜日感覚が正しければ、昨日の日付を機器が呟く。それは、事務的でもなければ、会社からでも、友人からでもなかった。

『ーー……先生…?』

電話口では一瞬誰の声か、分からない時があって、不意をつかれた私は、敬称を云い電話番号を知る、限られた生徒を思い浮かべる。久しく呼ばれていなかった、先生、という言葉は、今の私には彼を彷彿とさせて、いいものではなかった。

『ハリー……ハリー・ポッターです。……僕、どうしても先生に伝えたい事があって…』

2015.11.28 | x