排水溝に消えたあなた

※わたしはつばめ.彼女

私は早速、スネイプ教授とやらに会う算段を立てた。方法を企てるような、大層なものでもないのだけれど、暇な頭を動かすには、丁度よかった。夕方頃に仕掛けられた、悪戯道具は、不発で幕を閉じたらしく、彼の意図せぬ相手に当たり、風評被害もいいところ。フレッドの愉しみは、呆気なく四散したと、最近仲良くなった(と勝手に思っている)ビルから聞かされて、私はわけもなく、安堵した。なんだかんだ云って、このウィーズリー兄弟は親切で、ゴーストの私にも声をかけてくれる。ビルは双子とは違い、まっとうな人間だった。

「スネイプなら、地下室にいつでもいるからいつでも見に行けるじゃないか」

ビルはそう云い、背中を押してくれたけれど、まっとうな人間である筈のビルには、ひとつだけ不満があった。
スネイプ教授、について語る時、敬称を飛ばして、苦虫を潰したような顔をして云うこと、それだけが何故かとても気にかかった。純粋な疑問ではなくて、胸の底から、そう、ビルがスネイプ教授について話す様を、私は同じように不愉快に感じること。初めて聞く人物に対して、こうも気になるのも珍しいし、その上、彼の不評判には、反論したくなる。スネイプ教授について、無知な自分が、弁論を述べようとしても、一言めには云い返せなくなって、打ち負かされてしまうというのに。


それを突破できる切り札を、早々に身につけたくて、彼の云う通り、善は急げと、昼間の移動時間に地下室へと続く廊下を横断する。地下室へと近づくにつれて、五感はなくなったというのに、ジメリとした不快感が、身を包んでいくようだった。生前には分からなかった、スリザリン寮の入り口が隠された場所の付近に、地下室へと続く階段がいかにも、という雰囲気を醸し出していて、少しだけ、彼への恐怖心が湧いた。

地に足をついたところで、感覚のなさは変わらないし、今更死んでしまったことへの、負の感情なんてとっくに昇華したつもり。だけれど、階段を降りる、という行動は何故か少し悲しさを持たせて、関心の人である、スネイプ教授に会えるというのに、気分は湿度と同じように重たくなった。ゴーストになってもネガティブでいることが耐えられずに、浮遊する身を闇の中へ、一気に落とした。

「ここが…スネイプ教授の、いる部屋……」

重々しい扉の取っ手口には、一際厳重な鎖がかかっていた。
中を覗く前から、禍々しさを醸し出した出入り口を、上から下まで何度も眺めて、どうしようか、と往生際の悪さを発揮させる。口頭にすると、一層重たげに響き、スネイプ教授とやらが、いかに恐ろしげであろうか、噂はあながち間違いではなさそうだ。

ゴーストである私には、鍵の存在はついているだけ、で本来の意味を打ち消してしまえて、腕を伸ばしていけば、物理的な障害は呆気なく突破できた。全体を一気にいれてもよかったけれど、万が一、の保険として頭と腕を先陣きって入れると、中は廊下以上に薄暗く、気味の悪さは校内一、というフレッドの言葉が思い出され、独り頷く。

「確かに、これは、弁解の余地もないかも…」

ビルに対して不満を抱いていたけれど、これでは、云われても仕方ない、と思った。暗所になれた眼が見せるのは、壁際に沿って作られた棚には、びっちりと様々なものが並べられている。薬学教授、ということで所狭しとある瓶の中には、歪な形をした、何かが液体に浸かり、こちらを睨みつけているようにも見えた。

あたりに鎮座している蝋燭立てに灯りを入れていないところや、静寂の続く部屋では、主人は不在だと知らせている。日中はここで作業をしているのではなかったのか、と口からでまかせを伝えられたのだと知り、ふつふつと怒りが湧き上がった。

「愉しみにしていたのに…!あとでしめてやる…口頭で…」

自身がゴーストであることや、ポルターガイストを起こせない、首無しニックなどと同じであることを思い出す。薄暗さに背中を押されて、気分の落下具合に拍車をかけられ、ため息を落とした。普段なら仕方ない、と諦めることへ、執着を覚えないのに、何故こうも気になってしまうのだろう。神出鬼没の存在として、名を知っているからだろうか。もやり、とする心内を悟るように、突如、奥に置かれた蝋燭が温かみを持った。

「…え?」

不意をつかれて、揺らめく灯りを凝視していると、そこかしこに置かれたそれらが、次々と灯されていく。憮然として、見つめている視界の端で、黒々とした何かが、素早い動作で過ぎった。

「…そこで何をしている」

地底から湧き上がる、恐怖心をそのまま声にしたような低さが、背中を這い、身体を強張らせる。耳元で囁かれているような、よく通る言葉に振り返ると、物言わぬ冷ややかな壁があるだけで、視線を四方に向けると、どこかで嘲笑するかのような含んだ音がした。蝋燭が灯ったくらいでは、死角の多い部屋には不十分で、なんて隠伏するのが上手な人なのかと、関心する。謎のベールに包まれた人、と云われているくらいなのだから、スネイプ教授にとっては、朝飯前のことなのだろうと、結論に行き着いた頃には、黒衣が目と鼻の先ではためいていた。

「あ、あの…貴方は、スネイプ教授…?」
「いかにも」
「私…一目貴方に会いたくて…その、勝手に入ってごめんなさい」

スネイプ教授を見上げると、彼は暗闇の中であっても、規律正しさを身に纏うような佇まいに、鷲鼻の上に乗せられた苦悩の縦筋が年齢を大幅にあげてはいたけれど、その他の張り具合にまだ若い人なのだろうと、思わせる。不法侵入したことにより、叱責を問おうとしていたような、口元は謝りを先に入れてしまったことで、云い逃したと、固まっているように思えた。幾ら相手がゴーストであろうとも、不愉快極まりないのだろう、と容易に想像がつく、彼の性質が黙認は赦すまじと 、きゅっと唇が閉じられる。想像していたよりもずっと、格好良い人だ、とゴーストの身分でありながら、生者に対して、緊張が走った。

「お会いできて、光栄です…スネイプ教授」

彼は私の言葉に驚愕したように、眼を思い切り剥き、幕のように垂れ下がった前髪の間から下され、鋭い視線はそれによって幾分か、危険から遠ざかる。賛辞を云われ慣れていないのか、スネイプ教授は詳らかな様子を見せた。そして、固く閉じられた口元を、最低限の動きでありながら、全身を振動させるような声で呟かれる。

「…ご期待に添えられず、まことに残念至極であるだろうが」

ゴーストには物足りないだろう、と暗示されているようで、「そんなこと」と声を荒げると、一層驚きに満ち満ちたスネイプ教授と視線が交わる。しがらみのように、ねっとりと絡みついたそれに、眩暈が引き出されるほど、彼の落とす眼力には勢いがあった。私が会いたかった彼は、想像以上なのだ、と受ける衝撃度で理解する。高く立つ黒衣のスネイプ教授は、佇まいからでも矜持を重んじている、教師らしい人だと分かる。初めて会う筈なのに、くっと、引き延ばされる唇は、既視感を覚えた。

「単なる興味とかではなくて、何ていうか…引力のようなものが、貴方に…ああ…何を云ってるんだろう」
「…記憶が欠如していると聞いたが」

蝋燭の灯りでは、はっきりしない彼の表情は、辛うじて認知できる程度で、貴方が何故それを、と疑問点を思い浮かべなければいけない筈なのに、興奮気味の私にはそこまでの配慮は届かなかった。

「はい。何故か…大切な事だったような気はするのですけれど」
「………」
「大事なのに無くすなんて、生者でもゴーストでもこんなところは変わらないなんて」

無理やりに繕った、と分かる笑いを浮かべずにはいられなくなると、彼は沈黙を守り、私を闇色で覆うかのように見下ろす。初対面である筈なのに、揺らぎのない瞳は懐古を彷彿とさせて、無性に泣き叫びたい気持ちにさせる。彼、だからだろうか、私をこんな心持ちにさせるのは。見落とすことなく、すべからくすくい上げて、肯定も否定もしない彼は、噂とは違う人だった。

「落としたくない為にしまい込みすぎて、居場所が見出せないだけだ」
「……それは、」
「偽善で固めた笑いは不快だ」
「…はい」

彼は、実直にモノを云うところから、人に冷酷さや非情さを指摘されがちなのだと、分かる。
生者でも、ゴーストでも彼の持ち味は不変で、きっと誰に対してもこうして、唇を微かに震わせながら、告げるのだろう。ビルの云う、スネイプ教授像が僅かに重なって、どっちつかずの彼が浮遊する。少なからず傷ついたような感情が胸に残るけれど、スネイプ教授の云う言葉は、心地悪くは無くて、敬遠される対象の私にもこうして接してくれるのは、稀なのだから、喜ぶべきだ。

薄暗い部屋で浮かぶ、青白い顔は眉を顰めて、まだ何か云いたげにしているも、その他を指摘するつもりはないらしく、口元は貝のように固く結ばれていた。生徒として、教師として、近しい存在であれたのならばきっと、この人に惹かれていたのかもしれない、と思わせる。けれども、それも夢想で終えられるのは、覆りようのない事実で、目と鼻の先で佇むこの人に、触れたいという衝動が背中を押そうとも、するりと抜けていってしまうこの身体では、実行に移そうとは思わなかった。

「幻滅したかね」

さも当然であろう、と云わんばかりのスネイプ教授の声が耳元をくすぐった。物を云わなくなってしまった私を、慄いたのだと解釈をした彼を見ると、崩されることのない風格のまま、瞳が合う。火花が散るような、衝撃が幾度か胸をかすめたけれど、見てみぬふりをした。

「思った以上に、」

思い描いていたスネイプ教授以上の、魅力に溢れている人だと云う気持ちを込めて、呟くと、伸ばされても強く残された眉間の縦じわが、一層、濃くなるのを見て、変な区切り方をしてしまった為に誤解を与えてしまったと気づく。慌てて否定に走った言葉は、思いの外強く出てしまい、またスネイプ教授を驚かせる。眼力の強烈な彼の視線は、私の全てを飲み干して、彼自身に馴染ませてしまいそうな、勢いがあった。

「ごめんなさい…本当に、嬉しくて…」
「我輩に対し、そう反応をする人間は、居ない。君は…やはり、変わっている」

スネイプ教授は、誤解だと元より理解しながら、私を泳がして愉しんでいたようだった。現に彼の口元は、歪だったものから、意地悪を働き、成功した人間のものとそっくりだったからだ。陰湿だ、なんて云われる彼も陽気さを隠し持っていて、それにも遅れて気づき、血の気の無い頬に赤みが差す、感覚を思い出す。恥ずかしい、と感覚の無い頬に両手をやりながら、スネイプ教授の云う、言葉の食い違いに気付いた。「…やはり…って…?」代わり番こに私が驚きを表現すると、彼らしいしたり顔で、目元を弓なりに広げる。

「…さあ、何ででしょうな」

顔色は相変わらず青白としているし、部屋の薄気味悪さには変化ないのに、くっくっと笑う彼の笑いは、眼を逸らした私の心臓の中心核に当たったような痛みがした。彼らしい、と咄嗟に浮かんだ思いや、既視感の理由は浮かんでこないのに、ゴーストになってから一番、幸福だと云うように、脈が早まるのを確かに感じていた。