君の自己犠牲で救えるもの

※緋色の傘をさした迷子のこども.彼女

少女が、地下室へとやってくることが日常化した頃には、月日は更に半年、進んでいた。初めの勇気が、少女の隠されていた勇敢さを解き放ったのか、それ以来から一層、恐怖で慄く同学年達に混ざらず、スネイプを見上げるようになる。確かに、勇気をうまく使えるように、と男にしてはやんわりとした諭し方を、したと思う。その使い道が、自身に向かって、だとは微塵にも思っておらず、焦りを心情の片隅に飼いながら、スネイプは終業の合図を出した。無駄口を叩かずに、提出物を機敏に、教卓へ置き、上界へ繋がる階段を、一目散に駆け上がっていく背中をフン、と鼻を鳴らしながら一瞥する。

それをするのはグリフィンドール寮生が大半で、原因はスネイプにもあるだろうが、どうにもソリが合わずに、つい、他の寮生に比べて当たり易いという処もある。理不尽な、と顔を顰められようが、教師であろうが、男も人間の子ということも考慮に入れていただきたい。魔法薬学に対して、真摯ではないし、不得手なのも理由の中に含まれていようが、この際何がどうであれ、男に対する嫌悪感が覆されることはない。その為、どうでもいい、というのが本音だった。

「今、お時間は空いていますか?」
「…入りたまえ」

その中でも、グリフィンドール生であるに対して取り分けて、贔屓しているという自覚はある。それは、少女が魔法薬学に対して真っ向で、膨大な知識を吸収しようと、スネイプの言葉を取りこぼすまいと、真剣であるから、というのが表向きの理由だ。は閑散とした地下室へと足を踏み入れると、戸惑うことなく男の前までやってきて、屈託のない笑みを成す。

「いつも時間を割いてくださって、ありがとうございます」
「礼には及ばん……疑問点は…?」
「はい、」

両手に抱えた本が、模範的な生真面目さを表していて、スネイプが催促すると、小さな手が重量感のある本を捲る。ここです、と指差した文字の羅列よりも、ブラウスから覗く腕の細さに、気をとられそうになり、スネイプは表向きには変化のない表情で、に顔を寄せた。思いがけずに、縮まった距離感に、目を丸くさせたに気付きながら、見知らぬふりをする。男の卑怯さに慣れていない、少女は、素直に受け取り、ひとりで何を驚いているのかと、もやついた気持ちを隠すように、教科書へと視線を戻した。

伏せ目がちになった、少女の大きな瞳は、他の部分よりもひときわ目立ち、保護として生えている睫毛は、それ以外の意味を提示しようとしている。真剣そのものであるの唇が、疑問点に対して、力が込められて、すぼめられる。多くを経験してきた男にしてみれば、学生レベルの魔法薬の羅列など、他愛もないことで、隣で夢中になっている少女を盗み見ながらでも、片手間で事足りた。

「では、ここはそのままよりも、刻んだ方がいいのですか?」
「左様。そのまま熱してしまうと、種を覆っている皮が硬化してしまい、薬品と溶け合わずに失敗する」

なるほど、となぞられる唇は、まだ幼く、小さい。それなのに、スネイプは少女に対して邪な感情を、抱きつつある自身に、留め金をつけるほどの、自覚はまだ無い。綺麗に縁取られた、アーモンド型が、長年閉じ込めていた男の情を、解き放とうと誘っているように思う。その中にはめ込まれた、緑色のガラス玉は、地下室の暗室であっても、輝きが損なわれることなく、関心を寄せる度に違う顔を見せる。

「ありがとうございました。助かりました」

片手間でしていたことに、礼を告げられるのは些か不本意ではある。本来の目的とは別の考えを抱いていたスネイプは、の言葉で我に返った。少女にとって、その間は極わずかなものだったが、スネイプにしてみれば、緑色の瞳が闇色に捕まり、囚われた時間があったため、永遠のような錯覚を起こした。は、魔法薬の差異には目聡く見つけられたが、相手が人となると、年相応の観察眼らしく、スネイプの些細な変調には気付かなかった。

「その結果が次回に反映されるよう、」
「はい。スネイプ教授の期待に応えられるように努力します」

声と共に引き出される笑顔に、スネイプは立ち眩みを起こしそうになる。期待、というのは教師に対しての信頼からであって、決してスネイプ個人へ向けたものではないのに、勘違いに手を伸ばしかけてしまう。それというのも、が見せる、純真さからであったり、突然変異で生まれつきだという、赤毛に、だ。

「過度な期待はしないでおこう」

純粋な好意に対して、皮肉屋らしく、曲がり角気味な言葉を返しても、はそれをひとつにしてスネイプという教師を認めているようで、笑顔が曇ることはなかった。過度な期待、というのは自身にも向けて云える言葉でもあった。教科書の空気が抜ける音をさせると、小さな身体は地下室から出て行こうと支度をする。できることならば、この地下牢と呼ばれる部屋から、まばゆいばかりの少女を閉じ込めてしまえれば、と如何わしい心理が、芽吹こうとしていた。

「Ms.…」
「はい」
「君は、同級生と遊戯に勤しまないのかね。勉学ばかりでは、退屈であろう」

あくまでも、教師らしい疑問を投げかけるつもりで、少女とのしがらみを少しでも減らそうと、スネイプは告げる。そうすれば、この芽も枯渇してしまい、二度と咲こうとなどとは思わなくなるだろうと、思ったからだ。はスネイプから、自身の身辺について問われることはあまりなかった為、出口に向かおうとしていた身体を捻る。随分見慣れたと思っていた赤毛が、薄暗い部屋からでも、ひときわ美しく輝いてスネイプを魅了しようとしていた。

「私、魔法薬学を習っている時が一番愉しい時間なんです…教授にはご迷惑かもしれませんが、こうして教えていただいている時間も…」

スネイプの手で培ってきた、少女の果敢さが、背中を押すかのように、紡がれる。初めの頃の脅かされた、不安げな少女の残骸が散らばってはいるものの、緑色の瞳が、意思の強さを持ち、スネイプを見た。まるで、と喩えが頭をよぎり、奥歯を噛み締めた。その喩えの相手を彷彿とさせる瞳は、スネイプが無意識に育てたようなものだった。

「………」
「あ、あのっ!失礼します…!」

朱く染まった頬と、髪色がスネイプを通り越して、階段をかけあがる音だけを残していく。憧憬にも似たような少女の感情を、利用するような野暮は働こうとは思わない。信任しているだけのこと、理解に及んでいる結果に対して、何故、自身は終止符を打たないのだろう。表向き、と偽った代償は少なくなかったようで、慢性的な頭痛と共に思い出される、少女の羞恥心に溢れた表情は、狡猾さを信条とした男らしい欲をかき乱すのには充分だった。