先生と呼べば眉を盛大に顰められ、と云いたい処だけれど元々皺の寄った眉に今更一本や二本増えた処で違いは分からなかった。先生は羊皮紙にかりかりと羽根ペン先が突っかかるのを傍から見ても苛々しているのが分かった、こういう時の眉間の皺の増えようは半端ではなく直ぐに危険だから近づくなという事が分かる。けれど極偶にそれを察知し切れなかった生徒がそんな不機嫌な先生に声をかけてしまい散々な眼にあった挙句減点までされるのだからたまったものではないと傍観しながら思う。その内自分も含まれるのだけれど懲りずに何度も話しかける内に相手が先に折れてしまい今では地下室に居座っていても何も云う事もなく空気のように扱われるがそれでも満足だった。
かりかり、がり、音が止まり静かな部屋では煩いくらいの舌打ちが聞えた後直ぐその羊皮紙は塵箱へと突っ込まれていく。嗚呼勿体無いと声を洩らそうものならば空気的な存在に位置している自分はあっという間に先生の視界に入り不機嫌の元を吐き出されるだろうと分かっているからこそ何も云わずに黙っておく。
スネイプ先生はとても善い先生だ、と告げれば十人中十人が嘘だと叫ぶだろう。それくらい陰険で嫌われ者で秘かに行われている人気投票で常にワーストナンバーワンだと自負する。ちなみに一位を誇っているのは今年入ってきたばかりのリーマスルーピン先生だ。誰が見ても彼はぼろりとした貧相な格好の上に疲れ果てた顔をしている何とも哀れと云える先生なのだけれどその彼がする授業は一言で云えば面白く、判り易く、一回一回の授業が短いと感じられる程なのだ。そんな彼と最下位の先生は切っても切れない学生時代からの友人と云うことになっている。(リーマス先生曰く友人)最下位と最上位を陣取っている二人組は相性抜きにしたら最強だと思っている。スネイプ先生に告げようものならば今後一切この湿りきっている上に薄暗く、薬品の匂いが半端ではない部屋に授業以外目的では二度と入れてもらえないだろう。此処に居ても得なんてなく、寧ろ何か褒美を貰いたい程の部屋に何故居座っているのかと問われる時がある、しかし私の見解としてはそんな場所に何時間もただ座るだけだなんて目的は一つしか行き着かない筈だ。そんな野暮な事を聞くものじゃあないと思っているからか、スネイプ先生からは一度もそんな事を聞かれた覚えはなかった。可能性として上げれば尋ねるのが億劫なだけか、抱いている気持ちを知っているからか、聞く事自体私と同じく野暮だと感じているのか。
未だに知りえていないスネイプ先生の気持ちを私はソファーに身を沈めながら考えた。相も変わらず先生は新しく引き出しから引っ張ってきた羊皮紙に書き物を再開し、珍しく失敗続きで塵箱には無残な姿になったもの達がついに塵箱に収まらず床に散らばる。それを先生に気付かれないよう、立ち上がり溢れかえったそれに無言呪文で小さくし床に落ちた羊皮紙達を収める。ちらりと見えた文字は蚯蚓がのたくったような地球人でも読めないようなものばかりだった。
(ご乱心…?)
此方から背を向けて机に向かっている先生を一瞥すれば先生は忙しそうに利き手を動かしている最中だ。暫くその様子を眺めてみるも気になって仕方なくなった私はそろりと床に足を落としながら進み、音を立てないよう気を張る。かりかり、がり、また羊皮紙に引っかかった羽ペンからインクが勢い善く飛び散る。息遣いが聞える処まで近づき背中越しから机を覗き込めば、鋭い視線と顔が眼に入ってきた。
「うわ…っ!び、吃驚させないで下さい…!」
「我輩が気が付いていないとでも思ったのかね、」
「気付いているとは思ってましたけれど!驚かせないで下さいよ!」
「不躾な態度を取らねば我輩もこんな事はせずに済んだんだが?」
くっと口の端が綺麗に上がる先生の顔との距離は十センチにも満たない。
驚きから来ている心臓の高鳴りがその歪んだ笑い顔によって違う方へといくのを感じ、身を引けば羽ペンを握っていた先生の手が近づいて腰に手をかけられる。羽ペンは魔法のように(魔法だけれど)くるくると宙を舞いながら指定位置へと戻っていくのが、机に背を向けた先生の肩の端から窺える。腰に来た手は急に力を持ち、陰湿な笑い方をしている先生へと距離を縮めた。
「……ひゃ、!」
「随分と悩ましげな声で啼きますな?」
耳元に来た先生の腰に圧力をかけるような声が響き、それに反応すれば揶揄する言葉を吐き捨てられる。自分の意思で身体が動かず、困惑している私の脳を知りながら、それを弄るのが愉しいと云わんばかりの含み笑い。爆発しそうになった私は、人気度が最下位のスネイプ先生に翻弄されていた。耳に近かった唇が頬まで伝い、そのまま行けば唇と合わさる、そう感じ恥ずかしさに耐え切れなくなった私は思わず目を瞑ってしまう。そうすれば先生の思惑通りになる事を何度も経験し、積み重なっている筈の先生への攻略はいつも呆気なく崩される。案の定、先生の唇は離れていき元々少ない光を眼に入れ込めばもう自分に背を向け羊皮紙に向かっているスネイプ先生が映る。定位置に戻っていた筈の羽ペンはまた先生の細い指に捕まっていた。