人混みの中で首を左右に振った。背伸びしてみてもその姿は見つけられない。確かにさっきまで隣には、手の中には自分以外の手が握り返してくれたというのに運悪く人の雪崩が襲いはぐれてしまった。人混みに向かって、天祥、と声をいつもよりも余分に音量を上げてみたところでその中に掻き消されるだけだった。

「どうしよう」

その言葉はこの人混みでは誰の耳に入る事なく消える、それが淋しいと少し感じるのがこの場所だ。賑わいの中独り取り残された気分にしてくれる市を少しだけ疎んだ。買い出しに出掛けて欲しいものは全て買い、大事そうに一番上に乗せたそれは太公望に頼まれた丼村屋のあんまんだった、その袋を無意識に握り締めたら、紙袋は簡単にシワが入ってしまい慌てる。中身は潰れはしないだろうけれど何となく厭だったからだ。離れてしまうなんて、とは重たい袋を提げて来た道を戻り始めた。こうしているうちに温かいあんまんは冷めてしまうし、天祥も自分を探してくれているのではないかと感じながら重たいそれは歩く度にずしりと彼女の肩にのしかかった。侍女として毎日大変な仕事をこなして西岐城に居る彼女だとしてもこれは重た過ぎて腕に小さな痛みが生じる。両手で袋を持ち直した時、名前を呼ばれた気がし後ろを振り返って見てもそこには探し人は居ず、見えるのは遠くなるばかりの城だけだった。天祥、は一体何処にいるんだろう。

「てん、」
ではないか!」

天祥が自分の声に気が付いてくれるかもと再度張り上げた声は人混みによってではなく、聞き覚えのある声によって掻き消された。その唐突な事には驚き持っていた荷物を盛大にぶちまけてしまう。彼は袋から飛び出し落ちたものを慌てて拾いにかかり、それにが気が付いたのは全てのものを太公望が袋に戻した後。慌ててありがとうございます、彼の名前を呼ぼうとしたのだけれど上手くいかない。まさか彼が目の前に居る等と思わず彼女は驚きのあまり言葉が出てこなかった。

「た、たた…太公望、さん」

なんでここに、という言葉は云わずも太公望は察してくれたらしくその言葉を云わずにすんだ。彼は頬を掻きながら言葉を濁しそっぽを向いた。気まずさから来る彼の分り易い行動には大体察しはついてじとりとした目で太公望を見た。

「また、サボり…ですか」
「またとはなんだ、またとは。サボってなんかおらんわ、今日は」

勢いよく此方を向いて憤慨だとばかりに叫んだ後にこそりと放った言葉は気になるが彼がサボりを働くことなんて日常茶飯事なのでは聞かなかったことにする。それよりも太公望に失態を見られたことと、落としてしまったあんまんの生存が気になって仕方がなかったからだ。

「にしてもまた随分買い込んだのう」

と云って生存が気になって仕方がないそれを気にする事も無く太公望は懐に入れた。あ、とが声を漏らすと太公望は笑った。顔が火照る。ほら、と袋を手渡してくる太公望の顔をは俯き加減でその袋を受け取ったらあまり身長の変わらない太公望は少しばかり屈み顔を覗かせたことにまた落としそうになる袋は太公望の手で回避された。また慌てる太公望の声がの耳に入る。

「あ、危ないのう!」
「た、太公望さん…っが、いきなり顔を、覗き込んで…くるから、です!」

今度はが顔を逸らして云い放つ。そうじゃなくてもいきなりの登場に緊張しているのに、と心の中では呟いた。何故かと聞かれたら答えることは酷く簡単なことだけれど難しい。彼には気付かれていないだろうかと顔を上げると太公望は酷く愉しそうな表情。

「おお、それは悪いことをしたのう!」

口では謝りの言葉を云っているが太公望の顔の筋肉は緩んでいる。はからかわれていると知ってはいても朱くなっていく頬を止める事はできない。それを隠すように太公望に背を向けた。離れてしまうのは勿体ない気がしたけれど天祥を探さなくてはいけない、と朱い頬のまま太公望に云う。

「天祥を、捜しているので、」
失礼しますと云い踵を返すに太公望の声で止まる。その言葉で半分そっぽ向いている身体を太公望の方に向けた。太公望の口元は意地の悪いような歪み方をした。

「奇遇だのう、天祥ならば先程会ったわ」
「え…?」
「うむ、先に城に帰るように云ってある」

だからわしらも帰るぞ、と天祥を探しに行こうとしていたから重たい袋を軽々と片手で持ち、もう片手はの右手を握り先を歩きだすという魔法を使ったのかと尋ねずにはいられないような程の早さに驚き、は太公望に引っ張られるがままに城への道を辿る。呆気に取られて数秒。そして、気が、ついた。太公望と自分が手を繋いでいることに。前を歩く太公望に気付かれない程小さく悲鳴を上げた。(ひっ…)それが多少大きくても人混みに溶けていくから聞かれる心配はないだろうけれどとても緊張したし、心臓の音が手から漏れていかないだろうかと思ったら恥ずかしくて意思とは反対にその鼓動は早さを増してしまった。

「……」
「……」

太公望もも手を繋いでいることをお互い意識しているのか、先程とは打って変わって口を閉ざしたまま人混みから遠ざかる。先を歩く太公望の顔はには見えない、後ろを行くの顔も太公望からは見えない、けれどその静けさは不思議とその沈黙は心地がよかった。

城までの帰路はあまりにも短すぎて、いつの間にか離れた手に寂しさを感じたがそれと同時には初めて手の中に荷物がないことに気が付き慌てると、少し前を歩いていた太公望が初めて振り向きその手には袋があり、ダアホと云って笑われることになった。