ふれて、触れて、と音がする。 それはいつからだったかはもう覚えていないのだが、その音が鳴るようになってからというもの自分の感情は上手く解らなくなっていた。解らないというのはふとした時に鳴る高鳴りから、気になるという感情までを指す。兎に角色々だ。ふざげあっている時でも他とは違う幸福感に包まれていくようになったのはいつだったか。触れたことのないそのてのひら、その掌が自分の視界に入ってはゆらゆらと揺れている。こんな時、触れたいと思ってしまう。これだ、この感情の意味を解っていながらも解せない等と云っている自分。本当の所そう言い訳をする自分に意味が解らないのだった。いつか見た仲間達の他愛無い喧嘩に止めて下さい、と云って中に入ろうとした彼女がそんな喧嘩に巻き込まれぬよう、腕を思い切り引っ張って出てきてしまった後の後悔などさらさらない。寧ろその逆だった。そういえばさり気無くあの時に触れておくべきだったかと今更に後悔する。ならば今握ってしまおうかと思った矢先、少し離れた前方の方で四不象が人ごみの中で視線を交差させている。何も云わず出てきてしまったのを四不象が気がついて探しに来たようだ。それにいち早く気が付いたのは少し前を歩くで彼女の手を握ろうと行動に出た掌は行き場を失って虚しく空を切った。 「スープーちゃん、!」「さん!ああ、良かった。ご主人と一緒だったんスね!」そういっては四不象の手をぎゅうと無意識に握り締めたのを見逃すわけがなかった。羨ましいというより妬ましいといという感情が一気に四不象にぶつけると、恐ろしいものを見たと云う顔をしてわしから距離を置いたその際にも一緒に遠ざかっていくのをまた無言の圧力を四不象にかけた。どうしたの、師叔と云われてはっと我に返るとが顔を覗き込んできた、それに赤面すると七十二歳にもなってと云う目で四不象はわしを見た。「師叔、気分悪いなら早く皆の所に帰ろう?」「い、いや…わしは大丈夫だ、寧ろ元気な方…」「本当?気分悪いなら云ってね」「う、うむ」そのまま行ってしまうと思ったのだが、は以外にもわしの掌をきゅっと音をさせて握った。それは心の音にも思えた。「手、繋いでもいい?」と聞きつつも此方を見ることはなく視線は何処までいってもいつの間にか遥か先にいった四不象だった。肯定の合図として握り返すと触れて、と主張していた音は途切れて聞こえなくなる。遠くで此方を見ている四不象は呆れた顔にも見えなくもないのだが、気にならない程幸福だった。

掌を握るメロディー
2009/07/03