ねえ、聞いて普賢。あいつ、太公望ったら今日も私を置いて何処かに行っちゃったのよ、と云って頬いっぱいに空気を溜めて憤慨しているちゃんを僕はにこりといつもの望ちゃんの行動に笑った。多分また蟠桃園にでも忍び込んで桃を拝借しているに違いない。ちゃんも分かっているだろうけれどそこに踏み入れたら最後望ちゃんと共犯にされてしまうのが厭で行かないのだろう。望ちゃんが居ないと分かると僕の元にやってくるそれが嬉しくて少し憎らしかったりするのだ。僕の前の椅子に腰掛けたちゃんに僕はまだ入れたばかりで温かい紅茶を新しいカップに注ぎ込んだ。あ、良い香りと先程と打って変わって笑顔になるちゃんに笑顔で返しながら温かくなったカップを目の前に置いた。

「ありがとう」
「いえいえ」

ちゃんはカップを手に取り香りを愉しむ為に目を瞑って口元にそれを近づける。不意に胸が跳ねた気がしたけれど気の所為だ、そうだきっと口に含んだ紅茶が思っていたより熱くて吃驚してしまっただけなんだ。勝手に脳内で云い訳を作っている自分に恥ずかしくなってそれを誤魔化すかのように紅茶を口に含んだ。カップに視線を落とすと同時に前から美味しいと云う優しい声がした。今度は僕がちゃんにありがとう、と云う番で云ったら照れたようにカップの柄を擦るものだから少しだけ、何に期待したのか分からないけれどそれに胸が膨らんだ。

ちゃんと居ると幸せな気持ちになる。
日当たりの良いあのいつも行く川で釣りをする時のような安心感、幸福感、それは望ちゃんと居る時も同じ、愛情なのだ。だけれど最近は少しずつそれが変わってきていると、云うようなことじゃないと思っているから云わない。現にちゃんと望ちゃんはお互いに好意を寄せているし、僕もまた、ね。二人から僕にへと好意を寄せられていることは分かるけれど二人の間にあるそれとは少し異なっている。だけどどれも心地の良いものには変わりなくて、もしそれが望ちゃんじゃなくて僕だったならなんて考えたくもない、有り得ないのだから。僕は少しぬるくなった紅茶の入れ物をお皿に戻した。かしゃんと云う小さな音は僕の胸の音のようだと思った。

「普賢、はどう…思う?」
「何が、?」
「た、」
「望ちゃん、のことね」
「……っ、!」

紅茶のように紅く染まる、否それ以上に染まったちゃんの朱い頬。相談話はよくしてくれるけれど望ちゃんのことについては初めて、そろそろかなとは思っていたけれど今日聞かれるなんて流石の僕でも予想は出来なかった。朱く染められた頬を見て、望ちゃんと両想いだよと僕の口からはどうしても云えず大丈夫だよとしかちゃんに云えなかったけれど、それでも僕の精一杯の言葉。

「普、賢が云うなら」

そう、僕が云うことは大概信じてくれるし、実行してくれる。それなのに好きなのは望ちゃんなんだから立場がない。顔を朱くして言葉を紡ぐのだって傍から見れば僕のことを好きなようにも見えるのだけれどちゃんの中には望ちゃんしか見えていないのだ。僕は、だからちゃんの心を奪った望ちゃんに少しだけ意地悪をする。テーブルを挟んだ二人の距離は一メートルもなく僕は伸ばした手を朱い頬にそうと触れた、柔らかい頬、僕を簡単に吸い込めそうな程深い瞳、どうしたの普賢、と聞く姿もどうしようもなく可愛いのだ。

「ね、だから早く追って行かないと勘違いされたままだよ」

僕は気持ちを笑顔の下に隠したままちゃんに笑いかける。柔らかかった頬からはとっくに手を離して今はテーブルの下に逃げ込んでいる。

「何が、」
「望ちゃん、さっき踵を返して行っちゃったから」
「…えっ…!?」
「ね、だから早く」

がたん、と椅子から勢い良く飛び出して行ったちゃんの背中を僕は見ることなく居なくなった椅子だけの場所を見ていた。これから起こりうるであろう二人の展開に友人としての嬉しさと恋敵としての哀しさが混じりあってなんとも云えない滞りを感じる。もう年が分からない程に生きてきたけれど恋はしたことがなかった、勿論失恋も。これが恋なんだと思うとなんて淋しくて愛おしいものなのだろうと泣きたくなった。飲む人の居なくなった紅茶の渦は僕の心のようで少し悔しくなってちゃんの残した紅茶を躊躇なく飲み干した。かちゃん、音がする。ね、だから最後の意地悪、僕の大好きなちゃんを望ちゃんにあげるのだからこれくらい許して貰ってもいいよね。


ノルブリンカ

君を愛していたんだ

20100224|宝石の庭
[リクエストを頂いたので書かせていただきました。三角関係で太公望とヒロインちゃんは両想いという設定なのですが、あれ、太公望というよりは普賢夢になってしまいました。]