潤んだ瞳に口付ける

この寂しさで何をつくろう : 太公望
潤んだ瞳に口付ける : 伏羲
届かなかった手 : 太公望
沢山の好きより一回の愛してるが欲しい : 太公望


2010/08/20|太公望
「泣かないでね」彼女は開口一番にそう云った。泣かぬよ、と半笑いを浮かべ艶のある髪の毛に触れるとくすくすと嬉しそうに笑った彼女はとても眩しい。顔にかかった髪の毛に触れる、指先が自然と肌へ向かう。己と同じ歳を生きているにも関わらず彼女の皮膚は全く違った。生まれたての乳飲み子のような肌触りに目が細まる。くすぐったいと云う声がするまでそれを撫でた。「強い人だもの」主語が抜けていても直ぐに解る。「分かっておるよ、」分かっている、彼女はもう直ぐ目の前からいなくなる、泡のようになんてお伽話のようなものではなく病に躯を蝕まれているのだ。仙道であっても治る事のない病魔に少しずつ侵されながらも彼女は笑う。それは年々、鈴のような音から雀が鳴くような、に表現を変えなければいけないようになっていくと云うのに彼女の圧倒的な雰囲気によって太公望は笑っていられた。彼女の身体は次第に油の行き届かなくなった樵のような動きしかできなくなり身体は躯となった。「泣きはせぬよ、」誰に告げるでもなく散っていく彼女に独り呟いた。

この寂しさで何をつくろう

2010/08/21|伏羲
眼を開けば眼の前に広がるのはしんしんと静かに落ちていく白い粒だった。手にしようと思わず手を伸ばせば触れるな、と静かであって威厳のある、けれど大好きな声だとはっと顔を上げれば師叔の生き写しのようだけれど何処か違う、彼は私と眼を合わせると緩やかに眼を細めた。「我が名は伏羲、始めの人」胸が勝手に自分の意思関係なしに跳ねる、後ろから師匠ですよと云う声に確信を得る。あ、と声を漏らした私に伏羲と名乗った師叔が掌を私の頬に持って行きまるで泣くなと云っているようでむすりとした。「泣きません、莫迦師叔」そう云えば以前とは違う笑い方で、眼を細め緩やかなカーブを描く唇、が師叔であるけれど違うのだと厭でも感じられる。そう、眼が覚めた時云われた伏羲と云う名が今の彼なのだ、と知ってしまえば今がどんな状況下であれ、私は視界が滲みゆくのを止められそうになかった。師叔、は二人以外誰もいないとでもいうようにごく自然に弧を描いていた唇を涙滲む眼に口付けた。私は何が哀しいのかわからないまままたぽたりと涙を流す。

潤んだ瞳に口付ける

2010/08/21|太公望
嗚呼もう厭だと何度も口にすれば先を行く太公望がこれまた何度目か分からない溜息を吐き、四不象に降下しようと云った。その彼らに続いていけばあっという間に地面に足を付ける事が出来、嬉しさと空の浮遊による疲れが溢れた。太公望を見れば休憩だと云い厭だと駄々をこねた私より先に原っぱに寝転がり眼をつむった。それを見て呆れる四不象はいつものことだと直ぐに切り替え無数に生えている草を食べ始める。彼のように簡単に食事が取れたらどんなに楽なんだろうと草を貪る四不象を眺めた。「そこら辺歩いてくる」 返事を期待する事なく彼らに背を向けて歩いていく私に四不象の声だけが聞えた。少し歩けば四不象が食べる事の出来る草は枯れ始めておりものの四判刻進めば辺りは悲しくなる程何もない景色が広がっていた。自然と眼を細まる、地面を見れば水さえも行き届いていないのか罅割れ、まるで蛇の皮が敷き詰められているような気がした。此処まで進行が早いのかと顔を顰めながら一歩と歩みを進めれば地面はぱりぱりと情けない音を立てた。自分もいつかこんな風になってしまうのだろうかと考えて少しだけ恐怖が湧いたがそれは刹那的な事で太公望達の居る場所まで踵を返した。

届かなかった手

2010/10/03|太公望
好意を寄せている事を知っている癖に、知らない振りを決め込んで何だ、と顔をしかめる師叔に腹が立って思いきり靴を踏み付けて原っぱの逃走劇、振り向けば師叔は遠く後ろで早々に追い掛ける事を諦めたようだ。執着のない、と思わせるその行動が愛に直結してしまう私はまだまだ子供なのだ。

「天化、浮気しよう」
「は…な、っ…げほっ、」
煙草で器官をやられた天化の背中を優しく撫でて大丈夫と聞けば涙目の眼が恨めしいと訴えた。悪びれる様子もない声色でごめんと伝えたら最後頭を叩かれる、とは云っても天化は何だかんだいってどこぞの怠け者とは違い軽い叩きだった。名は云わないがどこぞの怠け者は少しの事でも空気に残像が残るような叩き方をする。本当に大違い。「やっぱり天化がいい」そうだ、見向きもしてくれない師叔に比べたら天化は男の鏡だ。私の言葉に盛大に驚きながら、あーと声を漏らした天化に詰め寄れば煙草の芯をがじりと噛んで困ったように眉を下げた。

「私じゃあ駄目?」
「駄目って云うか、」

歯でかみ砕いてしまうんじゃあないかと思わずにはいられないくらいに煙草の芯をかじる天化の額には微かに汗が流れる。何でと詰め寄れば天化は馬に蹴られるのはごめんさとついには芯をかみ砕いてしまい葉っぱが詰まった部分が地面に花吹雪のように落ちた。その言葉の意味が善く理解出来ずにいた子供である私は舞っている煙草が顔にかかるのをお構いなしに天化に顔を近付けると天化は口内に入ったままの芯を飲み込む勢いで慌て出す。

「俺っちを殺したいんかい!」そんな暗殺計画を立てるようなお願い事ではないじゃないかと憤慨する。「何で、そうな…、ひゃっ」身体が急に別の力によって宙に浮き、天化から遠ざかる。訳が解らない、目線がだいぶ高くなった私に天化は素知らぬ顔で宙に浮いた身体を置いて一瞬の間に居なくなっていた。浮いた身体はお腹に回っている腕が持ち上げているのだと後ろを振り向けば師叔が眉間に皺を寄せダアホ、とげんこつを頭に降らせてきたそれは天化の優しさを打ち消すような強さだったものだから思わず宙ぶらりんになっていた足が彼に飛んだ。悲鳴が上がり、腕の力が弱まるのを期待したのだけれど彼の腕は緩む事無くお腹に回されたままだった。

「す、すーす…?」
「本当におぬしは…、いやわしも相当だが」
精一杯首を回して師叔の姿を捉えれば彼は小難しいそうな顔をしている、眉間の皺は作れる限り作っているようだし唇も反対に弧を描いていた。不機嫌ともとれるその表情に再度呼びかけた処で中々それがなくなる事はなく珍しかった。師叔は私の名前をゆっくりと風を口に含みながら云う言葉に顔が火を噴くかと思ったけれどもどうやら朱くなっただけで普通の顔みたいだ、師叔のだあほが聞えてきた、お腹に回されたままの腕は少しだけ強くなった。

たくさんの愛してる

title by honey bunch_のばら帝国