心の持ち主

力を込めた指先 : 伏羲
輝いてばかりいた : 太公望&普賢
心の持ち主 : 太公望


2010/11/18|伏羲
闇を切り裂いた先には太公望だと名乗っていた頃の自身が愛していた彼女が居た。指先で円を描けばあっという間、彼女に触れる事が出来るというのに只闇に立ち竦み彼女を見ていた。彼女は一人ではなく、太公望の頃の友であった、今は霊魂となった普賢と共に笑い合っていた。声までは聞えてこない、否聞えさせる事は出来ようが今はそうしたくなかったのだと耳を塞いでいるのだ。彼女があまりにも綺麗に笑い、普賢も愛している者への慈しみの表情を顔に浮かべているのを眼下に入れてしまったのならば余計そうするしかないであろう。伏羲が幾ら太公望の比率が高いとは云え、かつての男とは異なる存在に、自身が消えてから季節が三度廻った(めぐった)今更何を伝えようと云うのだろうか。偶に普賢は何か気付いたかのように闇へと眼を寄せる事があったが始祖である自身の姿を完全に捉える事など皆無に等しかった。

(伏羲である事は忘れてはならん)

彼女は時々悲しそうに顔を歪める時がある。それを眼に入れて決して何の感情を抱かない訳ではないが、幾ら太公望が八割を占めていた処で残りの二割の王天君はそれを阻止しようとする。それが伏羲という存在なのだからと太公望を押さえつける。神の存在となった普賢は以前の生身の存在と何ら変わりの無い身体で、指先で彼女の頬に触れる。彼女は一度、たった束の間憂いを外に放ったがそれ一度きりでそれ以降は只驚いたかんばせを普賢に向けていた。声は聞えずとも唇の動きで何がなんなのかを察してしまう、嗚呼こんな事ならば彼女に思いを馳せる太公望の気持ちに従うのではなかったと後悔既に遅し、脳内にはしかと彼女と普賢の言葉が焦げたように黒い靄と共に張り付いた。

(王天君の云う通りだったか)

知らず知らずの内に力が注がれた指先は自身の腕を傷つけていた。痛いと云うものは闇へ流れ落ちていく血液の中に閉じ込められたかのようで痛みは感じなかった。消した映像、彼女への想い、どれを取っても痛みではなかった。幸せで居てくれるならばと八割の太公望が云ったとしても二割の王天君が反抗する事は分かっていた。太公望のような気持ちは、残り少ない王天君に侵されているのだと胸に湧き上がる感情を思い笑ってしまった。

力を込めた指先

2010/10/20|太公望&普賢
眩しいと眉を潜めた、見た目は少女だが中身は人の寿命を何十も上回る時を生きていた。少女は永い間(人間で云えば)眠りについていた所為で普段から光を見ている人には普通のものであっても彼女からしてみたら酷いものだった。やっと眼が光に馴染み出した頃ある男の名前が彼女の口から零れ落ちる。逢いたい、と紡いだ処で自身が行動を起こさない限りは願い等叶う筈はなく、平行線を辿っていくだけに過ぎないのだ。

「、普賢」
彼女は眠りについていた間伸びた腰まで覆う髪の毛を空の自由にさせながら、口を開いた。普賢と云う言葉にゆるりと振り向く男と云うよりは青年、否少年と形容されても間違いなさそうな顔付きの少年、が少女を映し出す。数秒の時を得て声を漏らした少年に少女は容姿にそぐわぬ笑顔で彼を見た。

「三十年振りかしら」
「三十三年振りだね」

あら、と笑った少女に少年は望ちゃんが修業をサボタージュし始めた頃からだから、と付け加えた。そうだったねと笑う少女にそうだよと笑い返した。ふと視線を下に下ろせば三十三年前にはなかったものを少年は両手に抱えていた。

「、その宝貝」
「授かったんだ」
「おめでとう、!」

ありがとう、と普賢は目尻に出来る事のない皺を一生懸命作ろうとしているかのような笑いをする。少女は変わらないねとそこを指先で触れようとすれば謀ったように声がかかる、少女は手を引っ込め首を左右に振れば直ぐに見つかった、その男も男と形容するよりも少年がとてもしっくりくる容姿だった。少女は普賢に見せていた笑顔並以上の嬉々を含んでいたのは少女の名を呼んだ少年に少女は逢いたいと焦がれて胸を焼き尽くしてしまうのではないかと思うくらいだったからだろう。

「太公望、久しぶり」
「おぬしも元気そうでなにより。何も変わっておらぬのう」
「そういう太公望は老けたんじゃあない?」

くすくす、と笑う少女と普賢の笑い声が重なり太公望は二人の態度に不満げに声を発せれば、少女は逢いたかった、と太公望に抱き着いた事で不満は跡形もなく消失してしまった。

潤んだ瞳に口付ける

2010/11/16|太公望
だあほ、と云われていつもは煩いとか太公望だってとか云い返す言葉はすらすらと滝の流れみたいに落ちていくのに今日の私は何だか気分が酷く冴えなくて苛々としていた。屋根の上から街を眺めていたら太公望が視界にはいる、あ、もしかして私を探しにきてくれたのかなと云う淡い期待はものの、数秒で消し去られ太公望に続いて見えたのは城内では人気の高いと云われる女中が眼にはいってきた。何で一緒にいるんだろうと一番先に浮かんだ疑問を抱えたまま様子を見たら、早くも後悔した。

愛しているなんて太公望らしくなくて心とは裏腹に笑い出してしまいそうになるし、危うく屋根から滑り落ちそうにもなった。此処からでは低くも高くもない太公望の声は聞こえないが口の動きで何となく理解出来る。女中は此処からでも分かる程に顔を朱く染め、太公望の手に自身の手を重ねはにかむような笑いを、嗚呼もう厭だ、見ていたくないと見るのを途中で止めた。裏側から地上に降り立った私は裏側の様子を見る事なく城の中へ逃げたのだからそれ以上の事は聞かれても答えられない。

「煩い、」
部屋に立て篭もろうと廊下を歩けば何処からか最近王の座についた男の奇声が聞こえ、壁で隔たれている筈だと云うのに耳元で叫ばれているような感覚が襲った。この様子では当事者達がいる室内は酷い事だろうと無意識に靴音を廊下に響かせていたのに気付き、これでは善い勝負だと足の力も程々に歩行速度も緩めた。視界の端にちらつく映像の残骸に早くも嫌気がさし、このまま何十分も続くようならば何処かに頭をぶつけて上手い事記憶を削れるならどんなに善いかと思う。が、そんなことをしても要らない記憶だけを消す事はほぼ不可能に近いので自室の扉を乱暴に開閉するだけに留まった。

「厭だ、もう」

愛してるなんて自分以外に云わないで欲しかった。無駄な願いだとは知りつつも彼が、その感情を向けてくれる事を夢見ていた。けれどそれは所詮叶わないものだった、仙人界に来てからずっと好きだった。彼と出会いは最低なものだったがそれでも不思議と惹かれていた。引力のようなものに、まるで魂が彼を求めるようだった、彼も、太公望もそうならばどんなに善かっただろう。脳内に反響する愛の言葉か痛い。

「居るかのう、」

いつものように叩かれず、合図のないまま開かれる扉が今日は、否今日からはずっと憎いと思うだろう。太公望は部屋の中に居た。私を見つけ、やっぱりといった表情に見たくない些か前の過去と今現在の太公望が重なる。どうしたの、と椅子から立ち上がり太公望に気付かれないよう右手の掌を背で隠し爪が皮膚に食い込むくらい強く握りしめた。

「昼食、食べに行かぬか」

要らない、と断るつもりだった脳とは裏腹に心は正直者でうんと受け入れてしまった。太公望はじゃあ、と動こうとはしない私の手を取り連れ出す。まるで赤ちゃんのようだ。優しく包まれた私の手は引っ張られ、食堂へと運んでいく。いつもだ、迷ってどうしようもないときに、どんな些細な事にも太公望は自身に身を寄せようとしてくれる。

「、ねえ」
「うむ?」
「何でもない」

この胸の痛みと引き換えに彼が幸せを彼女と感じてくれるならば、今の私のささやかな幸せは暫くは痛みと同伴しているだろうけれども大丈夫だとうそぶきながら太公望の腕を逆に引っ張れるよう先を歩いた。口内に彼への想いを沢山詰めて。

心の持ち主

title by honey bunch