2011/05/23|太公望
この頃自身でも可笑しいと感じる程に心拍が尋常ならざる数を打つ瞬間がある。太公望と云えば桃泥棒で仙人界では有名な人物であり、日頃、彼の行動を見かけている者ならばやらかしたのを見つかった為かと溜息を落とす処だ。しかし、太公望が可笑しくなるのは桃を盗んだ時ではなかった。
「また来ているのですか、師叔」
「う、うむ」
修行の為、岩上で型を組んでいる少女は呆れ半分嬉しさ半分といった表情を太公望に見せた。太公望は自身のみに向けられている最上級の表情に破顔させた。なんてものを仙人界一の頭脳の持ち主太公望がする筈なく、彼を善く知らぬ者ならば普段通りだと思わせる顔付きで相槌を打った。彼女も未だ善く、と云える程には知らず普段の彼との違いが分からなかった。
「また、」
「今日は修行は休みだ、安心せい」
修行に休み等というものがあるのだろうか、と思ったが彼女はあえて何も返さず太公望を見遣った。
「わしの顔に何か」
「いいえ、師叔。先日と変わらず素敵なかんばせです」
少女の無垢な言葉に太公望は言葉を詰まらせ、何を云おうかと考える思考も停止した。少女には深い意味などもたないその言葉は太公望にとってすれば全く違う意味になってしまう、恋と云うものは恐ろしいと太公望はひしひしと自身で痛感していた。
「そ、ういうことは冗談でも云うでない」
少しずつ動き出した思考と太公望自ら導き出す腕の力で頬を掻きながら云えば少女は実に不可解だといった顔付きになる。
「何故ですか…?」
「わしにも羞恥心と云うものはあるのだぞ」
刹那間があった後、少女は不思議がっている様を依然太公望に見せたまま。早々に合点して欲しい道士は心なしか落ち着きがないようだ。
「そうなのですか」
ふ、と空気のように軽い笑いを口元にたたえた少女に多少の不満があるのか太公望は拗ねた。
「こら、何気に疑問系にするでない」
「すみません、師叔」
そう云いながらも笑みを含んだ唇は相変わらずで、それに視線を向けた太公望はそれがいかに美しいものか知った。そして少女が知らぬ間に道士は一人赤面する。
ひたむきな指先
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