身体が何度か跳ねて隣に寝転んでいた太公望は驚き、眼が覚めた。隣を見遣ると自身と同じ身の丈、歳らしき少女が身体を震わせていた処だった。そして直ぐに規則正しい吐息に変えていた。またかと太公望はうんざりするでもなく、少女の頭をゆるりと撫でる。この時代誰しもが悪夢に魘される、そうでない者等片手あれば充分な数しか存在しないだろう。暗闇でも分かる少女の薄く開いた唇から洩れる息からある程度の距離があろうとも彼にとっては甘いものに見えた。封神計画の命を受けてから早二年の歳月と太公望自身もそれなりに歳をとったが、彼にとっては十年も百年もあまり変わりはしないだろう。隣で安らかに眠りに付く少女にとっては大きな変化であるだろうが。この二人は似たようで全く異なった存在である。外見からして互いに似た年数を生きているように見えるが一年一年しかと身体に歳を刻まれる少女とは違い、仙人である太公望は百年で一年分のシワが刻まれると云ってもおかしくない時間の流れの中にいた。少女、は太公望が封神計画を始めた頃に拾い懐かれた。当初は安全面を危惧してか、何処かで養って貰えるよう交渉などをして旅をしていたのだが、歴史が動く時、貧困に喘いでいるこの国では中々上手くはいかず知らぬ内に二年の歳月が経っていた。そしてはこの二年ですっかり様変わりし、太公望よりも小さかった身体は今や同じ程にまで成長を遂げた。太公望にとってそれは喜ばしい事であると同時に人間と仙人の時間の流れを改めて実感させられたようであり、些か複雑な思いだった。

「……ん。」
「む、起きたのか…?」
「、望さんはまだ起きているのですか」
「いや、さっき起きたばかりだ」

は寝起きの頭で太公望の口の動きを見遣り、それが嘘か真か判断した。少女は出会った頃から人にしては変わった能力をその眼に秘めており、嘘が上手い太公望の真実を呆気なく拾い上げてしまった。それを目の当たりにした太公望は当初よりも彼女に興味を持つようになり、自身でも意識せずに封神計画に巻き込んでいた。太公望の言葉が嘘でないと分かるとは明らかに安堵した顔を、暗闇の中太公望に向けた。そこまで心配するほどの事はないのだと以前から云って聞かせているにも関わらずは聴く耳を持たず、眠ることを忘れていれば鬼の首を取ったように怒り出す。普段の彼女を知っている者ならば眼を疑うような光景なのだが、それを実際眼に出来たのは太公望と四不象以外誰一人として居ない。故に彼女の性質を真に知る者は極稀と云う事になる。

「…、私が起こしてしまいましたか」

太公望に何か見つけたのだろうか、それとも自身の悪夢の回数と太公望の起床回数を重ねて訝んでいるのだろうか、は一度緩めた表情を引き締め太公望を見上げた。暗闇の中ではお互いに何処に視線をやっているのか分からないと思うのだがこの二人の間には何かしらの力が作用しているらしく間違った方へ行った例がない。現に少女の視線はしかと太公望の眼に吸収されていくし太公望の視線もまた彼女の眼に入っていく。柄にもなく太公望自身も胸をときめかせた時期があったが、今は杞憂だと思い直す事で何度も続くこの偶然をやり過ごしていた。四不象に云わせて見れば運命の相手だからだと羞恥心を煽りそうな言葉を惜しみなく云ってしまうのだからと太公望は些か侮れない河馬だと一人ごちたりもした。

「星の美しい光が目蓋にまで染みこんできた所為で眼が覚めてしまったのだ」

嘘が見破れぬよう、を上手く誘導し空を見上げるように仕向ければ、策士の思惑通り彼女は空を見上げた。策士の云う通り空一面には美しいと言葉を云い感動する余裕等無い程に光り輝いており、適当に紡いだ言葉は嘘にはならず空に存在し、その事に太公望は心から感謝した。は空から視線を落とすのが勿体無いと云うかのように首を上に向けたまま、太公望へと視線を戻さない。本当、綺麗ですね、と口元を緩ませる少女が二年前と同じものであるのかと太公望は彼女とは皆目別の事を考えていた。二年で伸びた髪の毛は美しく肩の形に流れ落ちていき、毛布に散らばっていても汚らしくない。闇に染まる頬でいてもその美は変わらず。昼夜どちらでも触れたいという欲求が、欲が無い仙人である太公望であっても湧き上がる。人と云うものはたった二年、それだけあれば此処まで輝く星になれるのだと少女と出会って実感したのだった。

「明日も早い、もう一眠りしよう」
空に眼を奪われている少女の視線を此方に戻したくて呟いた言葉。無垢な少女は邪まな意図に気付く由もなく太公望の云う通りに視線を落とし、従順に返事を返した。ふふ、と太公望を見ながら微笑んだ少女に手を伸ばしたい衝動を何とか抑えた太公望は先程とは逆に空へと視線を移した。隣に再び丸くなるを肘で頭を支えながら見守り、再び毛布から顔を出した美しいかんばせから険しい視線が太公望に刺さらなければ日の出まで彼はそうしていただろう。


朝、眼が覚めると隣に寝ていた筈のは消えており、全ての動きが鈍る太公望に少し煩わしく感じてしまうような四不象の元気な声が聞えてきた。頭を上げると河馬、否霊獣である四不象と背に乗せられたが此方に向かってくる途中だった。昨夜見た彼女の横顔とはまた違い朝日に照らされた顔は永い命を授けられた者にはない美しさがあった。これだから人と云うものを慈しまずには居られないのだと太公望は近づいてくる一人と一匹に視線を外し煩く云われるまで寝ていようと毛布に身体を埋めた。

アカシアの憂鬱
2011/08/03|Happy Birthday!|