溺れた金魚はもとから赤い

水飛沫が太陽の光に反射してきらりきらりと、どんな高価な宝物よりも綺麗に輝いた。それを飛ばしているのはであり、一人で川辺に入り遊んでいる。何度か足で水を蹴り上げ、それが空に跳ねて、嬉々とした声を上げて、を繰り返す。呆れた様子で太公望が岩場から、を慣れたように見ながら、自身は竿を持ち、その先には縫い針と呼ばれる、ものをくっつけて釣りをしていた。その隣で普賢も太公望と同じように糸を、水面に垂らしてはいるが針は太公望と同じで、釣る気など元よりない。二人は竿を持ち、糸を下ろすのみで、暇を持て余していた。だけが愉しそうに川の中で、魚と同等となって遊んでいる。誘われたが太公望は水浸しになってまで、川で遊ぼうとは思わず、普賢は愉しそうに川で遊んでいるを見ているだけで満足していた為、一緒になってと云う考えはない。またぱしゃりと音を立てた時、の、日にあまり焼けず、白さが目立つ、けれども健康そうな足が水の中から現れ水へ沈んでいく。

「愉しいよ、!一緒に水遊びしようー!」

普賢はそれに微笑みで答えた。それがどう意味するのか、分かっているは少しだけむくれ、隣に居る太公望を誘ってみたが、すっぱりと「子供のような事はせぬ」と云われ、普賢の宥めも虚しく、見事太公望だけに沢山の水飛沫が飛んでいく。身じろぎひとつしないまま、数時間と腰掛けていたため、避けられず、あっという間に濡れ鼠となった。下で仕返しだと愉しそうに笑う彼女に、濡れ鼠は低くない、どちらかと云えば高いと云える岩場から飛び降り、に向かっていった。まんまと太公望を策略にはめたものの、高所から飛び降りたまま、浮かびあがって来ず、心配そうに水面を見る。普賢は然程動じず、暢気な空気を纏い、竿を手放すことはない。太公望は心配も無駄になるほどの早さで、水中から飛び出してに水を投げつけた。そんな事をしても、彼女は既に水浸しで、太公望の攻撃は意味を成さないのだが、二人にはどうでもいいらしい。

普賢は無造作に置かれた竿の上に、自身が手にしていた竿を重ね、両手を背後へ置いた。水は相変わらずきらりきらりと、太公望との間を飛び交い美しさを表現する。

「随分派手に濡れたね、」
「こやつがあまりにも遠慮がなさ過ぎる所為だ」
「太公望だって人の事云えないと思うけれど」

水攻撃戦に熱をあげていた二人は、やっとのことあがってきた頃には、太陽は橙色に世界を染めていた。 普賢以外の二人は服を着ている意味を成さない程に、水を吸い込ませた布を身に纏いながら、予め持ってきていた布で髪の毛から水分を取ろうと躍起になる。それもあっという間に、同じように水を吸い込みすぎて重く湿ってしまう。普賢はくすくすと笑いながら、こうなるだろうと予測したため、予備に持ってきた布を二人に差し出した。

「あーまた抜け出した事ばれちゃうね」

以前も巧みにあの手この手で抜け出し、下界で遊んだ後、そ知らぬ顔で修行の続きをしていれば知れる事はなかったのだが、が今回と同じように水浴びをし、台風直下にでも居たかのような濡れ具合を目にした元始天尊に、人間界へ行ったということがばれてしまい、大目玉を食らったのはつい先月の事。それだというのに、今日も懲りずに完膚なきまでに濡れてしまい、仙人界へ戻らなくてはいけないのだから、この間の出来事を思い出し、太公望は濡れた寒さとは別に身震いをした。

「おぬし、の所為だ」

普賢を通り越して向こう側に居るへ、批難の視線を送るが、はさして気にも留めていないようで、普賢に髪の毛をされるがまま拭かれている。太公望はとくに、気を害するでもなく、逆にお邪魔だというかのように手をひらひらさせ、湿っぽい布を手に、先に戻っていると黄巾力士が置いてある方へ行ってしまった。彼女の気持ちを、とうの昔に知りえていた太公望が、取った行動の意図を汲み取ったは、突然恥ずかしくなり、太公望に心の中でのみ悪態を付く。つい数秒前までは、普賢に髪の毛を好きなようにされても、濡れていることへの不快感が際立って気にならなかったというのに。

「望ちゃん、早く着替えたかったのかな」

普賢は太公望の意図することを知らないため、ふわりとした問いを投げ掛けた。
は、一度意識してしまったからか、さっきまでの活発さを落として、普賢が与えるものを受け止めるだけで精一杯だった。細い指先が布越しに頭皮を刺激して、その度、心臓が口から飛び出して挨拶してきそうだった。余計に、消えた男への恨みが強まるのに、当の本人ときたら、もう米粒大にしか姿を確認出来ない、距離を行ってしまっていた。ちらりと普賢の表情を見ようと、は顔を上げると、普賢も同じような気持ちを抱いたのか、真っ向から眼が合い、気恥ずかしさを一気に身に受けている最中だったため、いつもと何ら変わりのない普賢の表情にも頬が熱くなるのを感じた。

「どうしたの、?…顔朱いよ」
「な、何でも…ない」

顔を思い切り、下に向けると、頭上からは空気が柔らかく揺れる笑いを受けた。
布と髪の毛が混じり合い、しゅ、と音を立てたのを最後に普賢の指先が頭から離れて行くのを感じて、は淋しい、と感じてしまい、更に羞恥心を煽られ「ありがとう」というお礼の言葉も云えず、ぎこちなく首を振るだけになってしまった。普賢は、そんな反応を優しく覗き見て、どうしようもなくなっている彼女の本心を伺おうとする。今は、とにかく、この赤く火照って治まりのきかない熱に収拾を、とは、頭にかぶったままの布を両手で掴み、普賢に見られたくない一心で表情を隠した。予想外の行動に、珍しく普賢は驚きを見せ、かがめた腰を戻すか、そのままでいるのか思いを巡らせる。

「い、ま…は、鼻水が出て恥ずかしい、から…見ないで…っ」

自分でもこの云い訳は苦しいと、は思ったが、それ以外に場に似つかわしい言葉が出て来なかったのだから仕方がなく、汚い理由を出したことにより、頬の熱さは酷くなる一方で、泣いてしまいそうだった。驚きに、眼を丸くする、珍しい普賢の姿を見たいようで、見られずに、視線が布越しにちくちくと刺さるのが分かった。この場をどうすれば、脱せるのか頭が痛くなりそうだとは布に力を込めた。

「ないよりましだと思うから、はい」

頭痛を抱えるに、風が身を包んだかと思えば、それは嗅ぎ慣れた、けれどもここまで近くで感じたことはない、普賢の匂いだった。布を引っ張っていた両手は、解け、隠していた顔は、普賢へと向かう。どんな顔をしているのだろう、と云う好奇心には、羞恥心でさえ叶わなかったらしい、が見た普賢は、いつもと何ら変わりのない微笑みを浮かべ、首を傾げていた。けれど、何か違う、と頭が感じ、視線を彷徨わせたあと、分かる。下界に降りて来たときに、羽織っていた服が一枚足りないということ。匂いに囲まれたのは、そういうことなんだ、と知り、は赤い頬のまま、普賢と視線を交わらせた。仙人だからと云って、風邪を引かないというわけではない。ああ、どうしようと思考を絡めるを、普賢は「望ちゃんが待っているよ、」と唇を緩め、悩みを奪うように手を差し出して、帰路へと導く。まだ赤さの残る頬を、もう隠そうとはしないで、は差し出された手を握る。見た目からは分からない、男らしさを持つ骨張った手に驚いて、大きな石に足をぶつけてしまった。