2012/10/16|太公望
貴方はわたしを見ない。わたしも貴方を見ない。対面して会話せざるおえないときでさえ目線は斜め下から上へと行く事はない。本心で云えば貴方は見ない、というのは違っていた。私が見られないのだ、あの人の顔を。黄色のグローブが書類を掴んで、上に乗せられていた紙の数枚は下へと押しのけられた。その姿ばかりが目につく。貴方はそれに気付かず、淡々といつものように言葉を事務的に話す。

たとえば、今日の天気はいい、や、朝のおはよう、から夜の、おやすみまで。そんなもの初めからなかった。貴方はそれをさして気にも留めず、自ら起こした気まずさに傷ついているわたしの胸はこの頃許容範囲を超してしまった。目線を合わせられなくなった理由にひとつ。

利き手のグローブが上下に動いた。書類はもう片方の黄色の上だから関係なかった。頭をかく音が耳の奥で響く。このしぐさは知っている。この後、じゃあ、と云って去っていく合図だ。わたしは目も見れない相手が去っていくのに酷く惜しんだ。目も見れないくせに、なんだ。と笑われている気がした。背を向けると貴方の特徴的な帽子がゆらゆらと動きに合わせて揺れる。そうしてわたしは頭を、見られる。

後姿の貴方は驚くほどに大きく見える。わたしよりも。黄色いグローブが眼にはいる。眼を奪う色だ。片手に持たれた書類がひらひら。まるで蝶のよう。わたしの視線など気にも留めぬ、それらは持ち主の思惑通りに遠くへ行く。

「ま、って…」

空気を微かに震わす事しかできなかった声は聞こえない。合わない視線、心、わたしが求めているものはすべて自分で拒絶していた。

あなたの右手に呪いをかけた


2011/06/27|太公望
自身には全く縁のない感情だと胸の内で認めていた為かいざそれと対面してしまうとどうすれば善いのか思考は停止する。其れに対して頬の筋肉を駆使出来るという自負は何処かしらへ消え失せかけていた。

彼女と自身は封神計画以前からの仲であり、片時も離れた事は無いと告げても過言ではない程に近く存在していた。その彼女に対していつの間にやら芽生えた恋と云うものに分類される心に戸惑い、どうしていいのか分からなくなってしまう自身の心持にも慣れかけてきた今日。長い間共にしてきた為か彼女の仕草ひとつで汲み取れてしまう心がいとおしくなっていた。綻ぶ笑顔に胸踊らせ、憂い顔に指を這したくも留めること幾度あったか。知らぬ間に天化の隣で唇を緩ませるようになった彼女が憎らしくもあった時等はあたってしまわぬよう、近付くのを禁じた。

「愚か者であろう」
自嘲気味の言葉に込められた感情を彼女が耳にすることはなく、自身から発せられる誰もが耳を疑うであろう弱い言の葉。彼女が傍に居たのならば間違いなくこう云うだろう。貴方は貴方です、と。弱さを否定しない彼女の優しさに思わず口付けを交わしたくなる、しかし禁欲的な仙道達が衝動のままに行動するかと問われれば否。太公望も勿論のことそれらに入った。不思議がる彼女が傾げた首、あまりに細い。

「そんな事を云うと調子に乗るぞ」
「師叔がはしゃいでいる姿、好きですから」

笑うな、と頭で感じた直後彼女は笑う。なんて美しい女性なのだろう、と恋の盲目さを上手く表した言葉を胸に抱いた。彼女はどんな言葉も真っ向から否定せず自身が思う感情と相手のそれを合わせる器用さを持ち合わせていた。自身が引かれたのはそこにあるのではないか、と些か感じる。

「師叔、」

顔をあげた先にいる彼女。自身が縛ることを恐れ逃げ出した相手。美しい女性と形容した頃よりも 益々輝きが増したのではないかと思う。久しく聞き入れなかった声は容易に胸のうちに馴染んだ。

「おぬしか、」 なんと覇気のない。 自身でも気付く違いに彼女が気付かぬ筈はなく、呟きを受け入れた彼女の顔はみるみる内に萎んでいったよう。よう、と云うのは距離を置いてもすっかり盲目になってしまった自身の目では都合のいいようにみえているだけかもしれないという自制心の働きかけだ。

「…どうかしたのかのう、?」
「い、いえ…久しく貴方と言葉を交わしていないのだと…思ったら、」

いてもたってもいられなくなって、と云う声は酸素のように音もなく、しかし酸素のような軽さは微塵も感じられなかった。困惑した。自身の勘違いではなかったのか、勝手に組み替えられる見えぬ彼女の感情の行き場を創造し、顔を初めて伏せた自身が美しいと形容する全てに少しずつ手を伸ばした。

ピエロの真似事


2011/06/27|太公望
「わしは心配ない。おぬしこそ、負けるでないぞ」 太公望は羽になった。幾重にも羽が落ち、はらはらと降り注ぎ、そして太公望も同じになった。心配ないと快活に笑った漠迦道士は服だけ残し消えた。

「ご主人は漠迦っス」
泣くことを厭わない四不象は零れ落ちる涙を隠そうとはせず、すきなだけ水分を浪費させた。四不象が云った漠迦に大をつけても善いと思った。それでも何処かで生きているなんて確信の無い事を思ったりしていた。奇跡的に漠迦道士に会えた時には彼は雪になっていた。羽のように実体は無く人肌に触れれば溶けて消えるような存在感、以前には感じられなかったものを太公望に対して感じた。

「久しいのう、?」

そう呟きながら微笑む太公望は太公望ではない、私は途端に彼が恐ろしくなる。好物に集るあの陽気な道士にはもう逢えない気がしたから、ただなんとなくだ。感極まる四不象に微笑む彼はもう私の知っている太公望ではなかった。

灰の味


2011/01/21|太公望
彼女が泣き出すまであろうことに太公望は気が付いてやることが出来なかった。涙が何度か床にたたき付け四方八方へと飛び散った時、やっと彼は彼女の異変に気をやることが出来た。

どうしたものかと太公望は突然の彼女の変化に珍しく狼狽して見せ、彼女もまた感情を表に出すことは極めて稀なことであり、皆無と云っても過言ではなかった。

「ど、うしたのだ」
「…っひくっ…わっ、わからな、…!」

恐る恐る彼女に近付きグローブ越しで涙に触れた、驚くことにその涙はそれからでも温かく何とも云えぬ想いに駆られる。彼女が涙している理由は全くと云って解らなかった。もしかしたら何か痛みを訴えているのかと思うがそれならば泣いて云うのは彼女はしないからしてないものとした。だったら何だと太公望は彼女の顔を覗くがその途端彼の頬が悲鳴を上げ、突然の事に太公望は理解出来なかった。

「わっ…私の、桃をよくも…!」
「え…な、それで演技を」
「女は時として本物のように涙を流せるの!」
「すっすまん…!つい出来心で」
「莫迦ー!」
「ぶごっ」

君の眼鏡に水滴ひとつ


2010/11/19|普賢
くるくる廻る。気が付けば視界を廻しているのは自分自身だという事に気付く。何をしていたんだっけ、と記憶を探る。そういえば普賢に会いに来たんだっけ、と思い出し廻っている視界を止めたら突然の変化に身体がついていかずふらりふらりと足は縺れ地面に沈んだ。痛いなあと思いながら岩の質感と太陽の熱で生暖かくて気持ちが善い。このまま寝てしまいたいなあと霞む視界にひらりとした服が入る。

「こんな処で寝ていたら風邪ひくよ、」

普賢だ、と直ぐに分かった。天使の羽のように服が風に揺れている。

「ひかないよ、暖かいもの」

地面に押し付けた頬がひりりと擦れた痛みで涙が少しだけ滲んだ。普賢は暖かくても風邪はひくよと空気を微かに揺るがす声で云う、まるで音楽のように優しい。

呆れないで聞いてくれるのは私が知る限りでは普賢くらいだ、太公望は呆れはしないがからかいだすのが癪に触る。まあ、それが私と太公望の友好条件のようなものなのだけれど。普賢はつられて腰を下ろし私と同じようにする。そして地に顔を押し付けるのを見て綺麗な顔が台なしだと抗議の声をあげる前にもう一度顔を上げた普賢の頬には砂が微かに引っ付いていた。

「本当、暖かいね」
「ふふ、でしょ」
「君が居る所為かな」

砂がついたままの顔でも充分過ぎる笑顔が眼に焼き付いて離れない。

客席で踊る人

title by シャーリーハイツ honey bunch