さ よ う な ら

そう云ったら我愛羅はどんな表情で、どんな言葉で私を突き放すのだろう。日に日に怖くなっていく想い、それしかなくなっていた。想像をしてみる、きっと我愛羅のことだからいつもと変わらない表情でわかったと云うのだろうか、それとも悲しみに染まっていくのだろうか、必死になって厭だと私を引き止るのだろうか。どれを想像しても一番目に浮かんだこと意外今までの我愛羅からは思えないことばかりだった。少なくとも哀しみが浮き彫りになんてならないと思っていた。

はあ、と大袈裟な大きなため息を零しながらは書類を風影のもとへいくのだが、その足どりは重かった。いつにしようか、今日、明日、考える時間があればある程、日数は延びていく。そしてその曖昧な日数は直ぐにこんな形で風影へと向かう口実が出来てしまった。分かってる、一生会わないなんてできっこないことくらい。この書類を持っていかないわけにはいかないことも十分わかっていた。靴音一つする度に近づいていく風影室の部屋をこんなにも畏怖してしまう時が来たのはいつからだったっけ。そう考えるだけ無駄なんだ、と足を止めて扉をニ、三度叩いた。中で入れと云う声が聞こえどきり、と不意に鳴った心に思わず立ち止まってしまい気付く頃には許可を取れてから五秒経った後。慌てて扉を開くと風影様はいつもと同じように机に座って書類を眺めていた。

「風影様、今日の任務完了の書類を持ってきました。確認をお願いします」
「そこに置いといてくれればいい」
「わかりました、ではこれで失礼しま…!?」

書類を机に置いてさっさと帰ってしまおう、今日は忙しそうだから夜にでもなんて無理やり作った口実を基にまた日数を増やそうと決めてしまった自分の意地の悪さは始末に負えない。そんな私の思いを知らず風影様は、制止する言葉を吐くのだが云いたくなくて踵を返したまま振り向くこともせず風影室の扉を閉めようとしたのだが扉に手をかける前にいつの間にかやってきた砂に腕を捕まれてこの部屋から逃げることは困難、否無理となった。

ずるりと彼の前まで連れてこさせられ、云いたくない言葉を吐きそうになる私は精一杯彼の瞳の中を伺うことに努力を要した。

「態度が悪かったのなら謝ります。ですが…」

私の憶測は外れたようで彼、我愛羅は眉を寄せて私よりも少し高い身長で見下ろす。怖いなんて感情が不思議と沸かなかった。以外だった、あれ程想定した時は畏怖する感情でいっぱいいっぱいだったのに。

あまり変わらないその瞳や表情の奥で何をいつも考えていたのか少しだけ分かった気がした。でも分かったところで自分の決心は変わることなく平行線だ。机が腰に当たる、両手脇には逃がすまいと我愛羅の腕が置かれている。机に手を置くとひやりとした冷たさが身体の芯まで伝わった錯覚を起こす、そうすることでこの圧迫感のある視線から逃げたかったのかもしれない。彼の瞳を凝らして対抗してみてもその感情は消え去ることはない。

「次の仕事がありますので、そこをどいて頂けると助かります」
「俺が許す、今は敬語はいらん。それに何故目を逸らす、
「そんなことはありません、ごめんなさい。失礼します」

絡み付いていた砂がするりと瓢箪に戻っていくのが見えてほっとしたのも束の間、机の上の書類が派手な音を立てて部屋中に飛び散った。それをしたのは私でなく彼で、私は机の上に盛大に押し付けられて痛みを我慢することなく顔に出すと力が少し緩んだがそれでも変わることのないこの体勢。怒りという感情が彼の瞳の奥でちらりと見えて、ああ、感情を出せるんだと何処か他人事のようで、そんな彼に心臓の音は尋常ではない程高鳴るのは彼のことが好きで仕方ない確たる証拠だった。否定なんてしない、だけど畏怖を一瞬でも感じた私は彼の元にいる訳にはいかないのだ、悲しむ顔なんて見たくないのだから。

私の考えは知っていた筈だ、遊びでは何もしないと。同意でしなくては厭だと。それなのに我愛羅は同意のない口付けをしたのだ。それが酷く辛くて痛くて、怖いものだと今初めて知ったこと。無理やりの口付けに我愛羅の服を必死で掴んで抵抗をしてもその息苦しさは消える事などなかった。寧ろ逆効果だ。

「やめっ…」
「嫌だ」
「お願いです…っ、風影様!」

ぴくんと大げさなくらいの反応してさっきの深い口付けが嘘のようにぴたりと止まった。酸素を求めるように肩が上下する私に彼は背を向けて書類の片付けもしろとも、何も求めなかった。彼は落ちた書類を拾いながら私を見ることなく早くしろと怒気を隠すこともなくたった一つ、厳しく退室を求めた。涙が出そうだった。厭だと云った、私も反対に否定したことで感情が溢れ出てくる。きっと此処で謝りの言葉を入れたら余計彼に傷を付けてしまうことは容易に想像できた。決めていた筈なのに、それは言葉にすることなく態度で表してしまったことに言葉よりも切なくて苦しくて胸が押しつぶされてしまいそうだとさえ感じる。

「早く此処から出て行け。邪魔だ」
「…失礼…しま、した」

膨れに膨れた痛みは胸を殺そうとさえしているようだ。
落ちている書類を踏まないようにとしながら風影様の横を通り過ぎて扉を閉めたその音も悲しみを増幅させる道具でしか成り立たなくなってしまっている、拒絶した私はこの結末を知っていた筈なのにどうして此処までも痛いのか。動けないでいる私に優しくしてくれるのはいつもあの人だったのに、風影様、否我愛羅だけだったのに。溢れる涙を止めたくて目を擦ると涙は手の甲やら髪の毛にやらぺたぺたと張り付いた。廊下にでさえ落ちていく雫を持て余しそうになって、誰にも見られたくなくて走っていく私を最後まで見ていたのはあの人だなんて知らない。