悲しみに囚われていては、と本当に悲しいのだろうか、と疑問を頭に浮かべながらもきっとこれは悲しみなのだろうと自分に云い聞かせた。足がざり、と云う感触を持ち目蓋を開ける。持ち上げた腕の先にはしかりと手があり身体は結局朽ちる事無く昨日とそのままなのだ。

身体を持ち上げると硬い地面の上で寝ていた所為か、節々が痛みを訴えた。髪の毛に触れれば感触の悪い小さな粒が沢山付着して何故だか無性に泣きたくなってしまい、残骸のようなものが砂の上に落ちた。一夜を過ごした場所が丁度人の通らない処だったことから誰にも見つかる事はなく、朝を迎えたということか。荷物の中から余っていた乾パンを出し口にする。心が疲れていても胃はいつものように食物を催促してくるものだ、と笑えてきた。


木の葉の里に帰ろうとも、我愛羅の家へ行こうとも思わなかった。だからと云ってこのままと云う訳にはいかず取り合えず落ち着いた心でもう一度バキ上忍に会わなくてはと思い立ち上がった。時刻にしてみれば朝の六時前後だろう、けれどこの砂の里も木の葉の里のように活動開始時間が早い。大通りに出ると元気の良い挨拶が飛び交っていたそれに私も引っかかり今出来る笑顔のいっぱい分を相手側にへと向けた。相手は気づく事なく過ぎる、私はただ風影邸の近くにあるバキ上忍の家へと直接向かった。開口一番に云った言葉はすみませんだった。勿論バキ上忍は就寝中ではなくとっくに目覚めている、と顔が云ってはいた。昨日のお詫びをもう一度口にしようとすれば厭そうに片眉が動くけれども声の方が早かった。すみません、が三回目になろうとしてバキ上忍に口元を覆われ、私は素直にそれ以上謝罪をする事はなかった。

部屋に入れてもらい、男所帯だと云う雰囲気がそれ相応にある部屋だと観察している事に気がつき目線を流しへ向かったバキ上忍に向ける事にした。

「それで、昨日は何処へ行っていたんだ」

あれから随分探したんだぞと云われ三度目が叶わなかった言葉を云うのが分かったのかで、と続けられた。話を遮って謝るのはまた相手へ不躾な行動が増えるだけで口を閉ざした。素直に何処かの道で砂地に思い切り顔を押し付けて寝てしまった事を云えずに、野宿とだけ答えるとその一言だけで大部分を察したらしい顔の前に布を垂らしている目の前に座るバキ上忍はけしからんとでも云うかのように溜息を落とした。そんなに呆れ果てなくても、と思ったのだがこの状況では云えない。バキ上忍の表情を伺うと何処まで云っても呆れ顔のまま変わる事はなかった。

「そんな顔、しなくてもいいじゃないですか」
「別に好きでこんな顔をしているんじゃあない」

そうですか、と洩らすとバキ上忍はそこでやっと笑った。
安心して胸を撫で下ろそうとした私に大きな衝撃をもたらしたのはその直後だった。じんじんと痛む頭を押さえつつ顔を上げると頭に持っていった拳はいつの間にか腕の中に消えていた。批難の声の変わりに態度で示してくれるバキ上忍に涙目になりながら小さく謝った。

我愛羅の家に戻るのか、と遠慮がちに聞かれ私は戸惑いを上手く隠せていたかは分からないが隠しながら、否定の言葉を発した。目を丸くして、どうするんだと云う表情に他に家を借りるしかないでしょうという安直な考えが浮かんだのかまた渋い顔になった。心配しなくてもお金くらいありますと胸を張って云えないような額しか手持ちにないのだから何とも云えないのだが何とかバキ上忍に笑える余裕はある。

「大丈夫です、我愛羅の事宜しくお願いします、ね」


我愛羅の事を考えないよう、極力努力しながら私は元の家に向かう。
只の喧嘩、ならいいのだがそうはいかなくなってきてしまっている今の状況に泣きはしても笑えはしない。風影としての仕事の為に家に必ず居ないと分かっている時間帯を狙い、合鍵を使って家に入る。施錠された扉が開くのを見て思いの外、簡単に開いたものだと驚いた。案の定我愛羅は仕事のようで家には居ず、仄かな期待は打ち砕かれた。少し埃っぽい玄関は家主が不在を知らせる。戻って来れない程忙しいのか、否か解りかねた。廊下を抜けリビングの扉の右側手前にある扉を開ければ里帰りした時と何ら変わりのない部屋が広がっている。こうしてこの空間だけを見るならばいつも通りなのだろうが、お互いの感情線は何処まで云っても以前とは比べ物にならない程離れてしまっていたと感じるとこの部屋が異様に思えてきて、机に置いてあった写真立てをうっかり落としてしまった。

幸せそうな空間が一瞬にして壊れたような錯覚を覚える。慌てて拾い上げた時にはもうそれは既に四方八方にひびが入っていて元の場所に戻した処でガラス造りのそれは元には戻る事はない。呆気ない終わりに手が震えまた落としそうになり、机上に置く事を諦める。

余分な物は残し必要最低限の物だけを手にし、部屋を出る。多分もう此処には戻って来ないだろう、我愛羅と共に過ごした永い様で短い時間は確かに此処に存在したのだ、今はなくとも。リビングにまで足を運ぶ勇気は無く、そのまま踵を返し玄関先まで走る。ひびの入ったガラス細工の写真立ては床に置いたままだった。