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好きだとかそういう感情なんて一切持ってなかった。ただ胸が苛立つような変わった感覚を与えてくれる奴だった。普通の愛情よりも上を行く感情だったと後になってしるのだけれども今はまだ知る事はない。いつもやる気の無い顔を湛えて街を歩くでもなく屋上の空ばかりを見ているような、歳は二十歳になろうとしている私よりも五つばかり下の癖して五十代、下手をしたら七十代にも思えてしまう程に爺臭い。趣味は将棋、寝転がって空を見て思いに耽る事。口癖は面倒くせえ、見た目は不良のようだけれども根は真面目なようだ。つい二年前に中忍になったばかりの新米の癖して頭の切れる奴で書類を滞らせた事はない。面倒くせえと呟いていたのを何度も見ていたのだけれどもやることだけはしっかりやるらしい。

二年前のこの日に奈良シカマルと出会ってから私には善い事は何一つもなかった。
中忍になって三年目の私と新米の奈良シカマルがくっつけられるのは極当たり前の事なのだろうけれども、それから一週間と経たず早く離れたい衝動に駆られた。私は所謂落ちこぼれ組であり中忍になるのだって人よりも遅かった。その為同じ三年目でも私だけが十代後半と云う淋しい結果になる。それを隠したくて仕事を一生懸命やったし、こんな仕打ちをされる覚えなど無かった筈だ。無意識に溜息を落とせば隣で書類に眼を通していた奈良シカマルが不良らしい顔つきから眉間に皺を一本増やした。不覚だったと下唇を噛めば隣から不機嫌な声が飛んでくる。

「なんすか」
「別に、何もないけれど」

視線を隣に向ければ直ぐに逸らされ書類へと向く。これで会話終了。これが二年間続けば何の天罰だろうとか、仕打ちだとか文句を云いたくなるのは当たり前だ。最初は中忍になって緊張しているのだろうかと思い、会話の種を蒔いてみたけれどもそこから何か生えてくる訳でもなく種は種のまま腐って微生物のご飯になって終わるだけだった。その次は口下手なのかとも思ってみたけれども同期の人間には、というより私以外には普通に会話もしているし表情もさっきのような眉間に皺を寄せる不機嫌顔以外の色んな顔を見せている。そして極めつけは一ヶ月と経たない内に私以上の能力を身につけ、いつの間にどっちが新人か分からない程になってしまったことだ。その所為で更に私の落ちこぼれが浮き彫りになり意気消沈しているというのにあろう事かその原因となる奈良シカマルにまでも笑われるものだから腹が立つ。それが初めて私に向けられた不機嫌以外の表情だったものだから余計にだった。がんと頭を机に叩き付けたい衝動をどうにか抑えた後、手に持っている書類を頭にいれようとしてみても頭に入ってこなかった。

また隣から訝しげな視線が飛んでくるのが分かり必死で書類を何度か捲る動作をする。けれどもこの二年でそれがふりだという事を掌握してしまっているのがこの奈良シカマルと云う男だ。五つも下の男に自分の事を分かりきられるというのは善い気持ちがしないし、その度に向けられる視線は無償に苛立つのだ。それでも何故か二年間も同じ日程にされているのは何故だろうと頭を抱える事も数え切れないくらいあった。

「これお願いします」
「はい」

窓口から差し出された書類を受け取る。紙を捲り下に落としていくとこんなにも薄いものでも音は存在するのだ。内容を確認した後、奈良シカマルが眉を顰めるくらいの笑顔を窓口先の忍に向ければ終わり。去っていく忍の背中を少し見た後また次の提出された書類の中身を確認し、先ほどと同じようにお疲れ様です、と笑えば隣に腰掛ける奈良シカマルは猫被り、と今にも消えそうな小さい声で呟いた。思わず潰してしまいそうになった受け取り書類をどうにか机に置くことで死守し、不審そうな顔になる忍に常套句を吐いた。二年間の中で根を上げて自身から代えて欲しいと願ったことは無かったのかと問われれば、数え切れない程あるに決まっている。上司である忍、運が善ければ五代目火影様にだって云いに云った事も、それでも何故か二年間取り下げられているのは私の能力不足を補えるのは隣に鎮座する憎たらしい男だけだと云う。

「冗談じゃあない、誰がこんな奴の能力を借りるか!」

そう云い仕事を自分独りでこなそうとした事があった。
勿論それは今になっても苦い思い出でしかなく、それからは奈良シカマルがどんなに厭な奴だと思っても大人の余裕と云うものを見せ付ける為、暴言を吐きたい心を奥底へと仕舞い込んだし、訴えにも行かなくなった。それを上司から聞いたのか奈良シカマルは私の顔を見るなり自業自得だと吐き捨てた事も古い思い出にも関わらず今でも思い出しただけで隣にいる現物の首を絞めたくなるのだ。

「偶にイルカ先生と仕事が出来るから、嬉しいです」

会話の途中に本音がぽろり、あ、と声を洩らすといつもはそこに奈良シカマルが腰掛けているのだけれど今日は一ヶ月に数回しかないイルカ先生(担任だった事からの名残)との仕事場はいつもの息が苦しくなる空気ではなく、空気中に花が飛翔しているような雰囲気だ。イルカ先生は一瞬驚いたように眼を丸くさせた後、数秒前とは少し違った色をさせた頬を何度か掻いた。

「あーなんだ、シカマルとは上手くいってないのか?」
「それ、傍から聞けば誤解を招く言葉選びです。ちなみに二年前から上手くいっていません」
「すまんすまん。そうか、あいつは少し難しい奴だったからなあ」

ナルトの奴のように分かり易かったらいいんだが、とイルカ先生の話の中で善く出てくるうずまきナルトと云う少年に比べれば奈良シカマルは分かり難いこの上ない生徒だったのだろう。真っ直ぐで感情の裏表が無い、九尾を体内で飼っているとは思えない前向きな少年。確かに奈良シカマルとは比べ物にならないし、天然記念物ものと呼称しても善い程純粋無垢なうずまきナルトと比べられたら誰だって難しい分類になってしまう。

「ナルト君と比べたら駄目ですよ、イルカ先生」
「ああ、そうだったな。つい、」

破顔させてうずまき少年の事を語るイルカ先生は好きだ、心の底から想っている顔。そんな少年も今は伝説の三人の一人、自来也様と共に修行へと旅立って里には居ないらしい。節々に憂いを言葉に混ぜているのだけれどもそれを覆う程に成長した少年を見たいというイルカ先生の心が、彼を形成している核心が、少しだけ見え隠れして嬉しくなった。奈良シカマルの前では絶対笑わない笑い方で音を上げればイルカ先生は子供のように照れた。

「少しだけナルト君が羨ましい」
「…ん?」
「こんなにもイルカ先生に想われているなんて、妬いちゃいます」
「、こら。それこそ誤解を招くとは思わないか?」

冗談に怒ってみせているけれども頬を朱くさせたままでは説得力に欠けたけれども、それがイルカ先生の人柄を示している。イルカ先生が生徒達に愛されるのもきっとこういう真っ直ぐさがあるからなのだろう。書類そっちのけで笑う私を窘めるイルカ先生に悪戯心が湧き、口元を緩ませた。

「そんな風に愛されてみたいです」
「全く、お前と云う奴はっ!」