04

友人との茶会の後、密談を見られてしまったという事もあり気まずさが身体中から吹き出た。しつこいようだが私は奈良シカマルよりも年上なのだ。意地を張って平然を装いながら出勤してきた私に奴は華麗に無視をした。実際こんな奴が何故と頭に血が昇りかけて、ああ私以外には礼儀正しい男だったと思い出し、座りたくもないが隣の席にいつものように腰掛けた。椅子の接続部分から響く悲鳴が空気を悪くしているような気がして極力音を出さないように身体を動かす。けれども偶に鳴ってしまう音が隣の奴の聴覚を刺激する。その度ピアスをつけた耳が微かに動くのが分かった。また後で何か厭味でも云われるのだろうかと顔を顰めたのと同時に差し出される報告書。顔を上げれば殆ど顔が隠れていていつも謎だと思っていた人、はたけカカシさんが居た。

ちゃん、顔怖いよ」

右目しか顔の部分が出ていないというのに細められる眼からは優しさが滲み出ている。殆ど顔つきが分からないにも関わらず里一もてる理由が何となく分かるが、マスクで防御している男に怖い等と云われたくはない。まあ幾ら恋したいとか思っていても里の乙女殆ど敵に回すと考えただけで面倒臭い。隣に居る奈良シカマルもそこそこもてるらしいけれども、私には関係ない事だ。

「いつも、こんな顔ですよ。はたけさん」
「カカシで善いって云ってるのに。それといつも可愛い顔してるじゃない」
「あーはい、どうもありがとうございます」

書類を確認し、印鑑を押して大丈夫ですと伝えるとはたけカカシさんは詰まらないと云った表情で笑っていた。彼には悪いけれどもあまり話をしていると隣に居る男が仕事が捗らなかったと後々云ってくる為、はたけカカシさんを早く退ける必要がある。早速奈良シカマルは隣の受け口から書類を受け取りながら苛々し出しているのが手に取るように分かった。お疲れ様でした、と云っても退こうとしない向こう側のはたけカカシさん。彼にしてみたら奈良シカマルも私も全く怖くないだろう。けれども私は奈良シカマルに何か云われるのではないかと冷や冷やしているし、云い返す能力も早々に放り投げた私には辛い。

「まだ、何か御用ですか」

冷たいねえと口では云っても顔の緩みは一向に改善されない上忍の彼についに奈良シカマルが口を開いた。隣には書類を確認した忍が踵を返していく処だった。こいつ、上忍に何を云うんだと些か身構えた。

「あの、この人このままだと書類に埋もれて夜を明かすことになるんで」

頭を動かさず隣を一瞥すると奈良シカマルも私と同じように顰め面ではたけカカシさんを見ていた。ああ、どうしよう苛立ち度百二十パーセント、私は知らないのに放たれた言葉は残業宣告。なんてことだ、再三云うようであれなのだけれども私は奴よりも五つも上なのだ。それだというのに指揮権は最早私には無いのが悲しい処でもある。はたけカカシさんはマスクの下でもごつかせた後、奈良シカマルを見、そして私に視線を向けた。

「じゃあ、しょーがないね。また今度ご飯誘うよ」
「え、あ…は」
「駄目っすよ、カカシ先生。暫くは事務も忙しいっすから」

奈良シカマルの言葉に身体も声も硬直する。只でさえこの男と職務を共にすることになって以来忙しくない、という時は皆無だった。それだというのに暫く、という言葉を平然と云う奈良シカマルの後頭部を今手にしている書類で思い切り殴ってやりたい。もしそんなことをしたとして待ち受けているのは地獄だけだ、それだけは分かる。けれどもこの一時の感情に身を任せ、殴ったとしたらどうなるのだろうという好奇心と苛立ちと理性がぐらぐらと揺れている。それもこれもはたけカカシさんの一言によってそれらに一つ心が足される事となった。

「シカマル君は彼女が好きなんだね」

まさか、仕事中にも関わらず硬直していた私の声帯と奈良シカマルの低くも無く高くもない声が見事に重なる。ぎょっとしてみないようにしていた男へ反射的に向ければ、気だるげな眼が思い切り見開かれ私を見ていた。かちり、と星が幾つも舞う。こんな眼球の奥まで、神経のひとつひとつが奈良シカマルの眼に侵されていくような感覚は今まで無かった。吃驚して固まる私の手にははたけカカシさんが持ってきた書類。奈良シカマルの手にはボールペン。みし、と厭な音がした。

「誰が誰を好きなんすか、カカシ先生。寝言はなんたらって云いますよ」
みしみしと鳴る奈良シカマルの掌。合った視線は直ぐに離れはたけカカシさんへと移動する。口角を上げる奈良シカマルの表情はいつも私を小莫迦にする時の、厭味を云う時の、あの表情と酷似していた。それが私の何を動かしたのか、今だ鳴り続ける軋み音が何処からか来た心臓の痛みと重なる。

「そうですよ、はたけさん。それに、私…——」

ぱきん、小さく聞えた破損音の後全く聞えなくなった悲鳴。
思わず言葉を切った私にはたけカカシさんは続きは、と片目しか見えないというのに言葉を云わせようとする力は抗えないものがある。視線はそのまま固定され奈良シカマルの方へ向く事もない。しばしあっけらかんとしていた私は、と再度言葉を紡ごうとすればまた奈良シカマルのカカシ先生という言葉によって遮られた。奈良シカマルの言葉とはたけカカシさんに近づく太陽の色と声。奈良シカマルは私にもぎりぎり聞える音で舌打ちを落とした。

「ナルトが呼んでいますよ、行かなくていいんすか」
「…しまった、あいつらとの任務すっかり忘れていた…」

揺れる金色がとても眩しい、うずまきナルト君の元気な声が部屋に響く。
はたけカカシさんが困ったように眉を下げ、頭を掻いた。いちいち様になる姿に関心を持ったのが隣のやや不機嫌気味の男にも届いたのか、遠慮なしに気を刺してきた為それは直ぐにこぼす事にした。

「あ、じゃあ俺はこれで。またね、ちゃん。シカマル君」