幸せとはなんだろうと考えたら止まる事はない次々と浮かぶ幸せの定義に頭を捻った。例えば好きな人に対しての幸せを考えてみる。偶然会えた時、いつもより沢山話せた時、笑顔を見れた時、意外な一面を見れた時、嫌いなところを見つけられた時、何でもいいのだ、好きな人の事ならば何でもいい、幸せだと感じるのだろう。幸せは自分が喜び以上の事柄に出会えた時そう感じるのだと私は思った。

そもそも幸せなんて人それぞれの感じ方で幸せにでも不幸せにでも変えられることが出来る。うずまきナルトを初めて見た時私は彼の事を不幸せの分類に分けていた。なんてことはない、里一番の嫌われ者だからと云う見方で彼の事を勝手に不幸せにしていたのだ。だけれどもそれは違うのだと思った、彼自身が不幸せなのではなくそれを与えているのは私達なのだと。彼自身は毎日幸せになろうと自分自身の力で努力をしていたのに私は不幸せな子だと思っていた。違う、そう思ったら途端に私の幸せだった心は彼と同じ不幸せに分類された。うずまきナルト、とクラスメイトになってから初めて彼の名前を呼んだ。それは一年過ぎた春の頃だった。

「えっと、?」

なんと、私は驚いた。彼は名前を覚えていたのか、少し戸惑ったようだったけれど正確に私の名前を呼んでくれた。私はうん、そう。と答えるとうずまきナルトはゴーグルを直す仕草をした。不幸せな子と分類した日から私は彼に釘付けだったからその仕草は見知ったものだった。不貞腐れる時か嬉しい時、照れくさい時、そのどれかは彼の表情を見て決める。うずまきナルトの表情を見ると今は照れくさい時なのかなと少し自意識過剰かもしれないけれど、思ってしまった。隣のブランコに腰掛けてぶらりぶらりとブランコを揺すると隣のうずまきナルトも同じように自分のブランコを揺すった。あ、なんだか愉しいかもとゆらりゆらり。

、は受かったんだってばよ?」

沈黙が痛いわけではなかったけれど何か話さなくちゃと脳が回転している時だった。うずまきナルトが尋ねてきたのは。何に、と聞かなくても分かる、今日の出来事なのだから。

「うん…ナルト、くんは?」
「へへっ…また落ちたんだ」

そう云ってブランコに揺すられながらゴーグルを上下させた。手がブランコの鎖から放れて危ないと思うよりもああそっか、と私は初めてうずまきナルトがゴーグルをつけているのか分かった。今日はアカデミーの卒業試験だった、分身の術は私が一番得意なものだったから勿論私は合格した。けれどうずまきナルトは違ったらしい。また、と云うところから何度も落ちているのだろう、私は一年しかクラスメイトをしていないから彼が何回落ちているとか、全く分からない。うずまきナルトはにしし、と笑って云うけれど金色の瞳は全く笑顔なんて映していなかった。憂い、ではなく悔しさが滲んでいた。

「来年、頑張って」
「おう、」

私は言葉が思いつかなくてありふれた言葉でうずまきナルトを励ましたのかは分からないけれどもこれが私の精一杯の励ましの言葉だと思うと自分の小ささに悔しさが募る。うずまきナルトはそんな私を気にも留めず、そのありふれた言葉に対してさんきゅうな、と笑ったのだ。クラスメイトになってから私が初めてうずまきナルトの笑顔を見た瞬間。否、笑顔なんてクラスメイトになれば幾らでも見た、だけれどもそのどれもが本当に笑ったものではないような気がしていた。だから今が初めてなのかもしれない。ああ、また一人よがりな考えだ。

「ナルトくんと同じクラスで愉しかったよ」

イルカ先生に何度も叱られたところを見た、変な術を作っては困らせていたそれを見るのが好きだった。彼はうずまきナルトは今の木の葉ではちっぽけな幸せしか掴めないかもしれないけれど頑張っている。私が下忍になった頃にはうずまきナルトはきっと、そんな希望を持てるのなんて彼くらいじゃない、と思うと不思議と幸せになれた。

「俺も、と一年過ごせてよかったってばよ」

しあわせの定義

20100415