曇り空、何て酷い一日だろうと時計の針が十二時過ぎた頃から降りだしそうな天気になった空を見上げ思った。今日は確か自分の誕生日だとヤマトは闇に浮かぶ無数の雲の流れを追いながら畳の上に胡坐をかいている。その部屋には自分以外誰か特別な人が居るわけでもなく独り淋しく誕生日を迎えたのだった。片手に缶ビール一本とスルメや竹輪、おじさん三種の仁義を畳に広げながら二十後半突入をお祝いした。不思議なものだ、いつもは何事も無関心な体を装う癖にこういう日に限っては同じような扱いを出来ない。自分にもまだ人間の情がちゃんと残っているのだろう。缶ビールを傾けて流れてくる苦い液体を美味しいと感じた事もない癖に喉に流し込みつつ、スルメを齧る。どちらかと云えば自分は日本酒とかの方が好みだと独りごちりながら喉を何度も鳴らす。本当に不思議な日で、自分以外の誰かからおめでとうと云って欲しい、そんな欲求が湧いてくるのだ。そんな言葉を云ってくれる人など自分の近くには居ないと実感してしまう少し淋しい日だと思いかけた途端外から騒がしい声が流れ、ヤマトは何となく聞き覚えのある声色に眉を顰めた。もしかして、と思い立つよりも先に玄関の扉が壊されるのではないかと危惧する程に鳴らされる。どうやらヤマトの予測は当たったらしく、慌てて扉を開ければ勢い善く雪崩れ込んでくる身体を抱え込んだ。

「おっはよーう、やーまとっ!」
「真夜中十二時過ぎに何を云っているんですか」

そんな硬い事云わないの、と文句を云う彼女は既に出来上がっている。そんなを抱えたままヤマトは器用に玄関の扉を閉めた。の突然の訪問にも動じていない様子を見るとこれが初めてではないらしいと云う事が窺え、慣れた手付きからしても酔っ払った足で此処に訪問するのも既に経験済みらしい。騒ぎながら勝手に奥へ入っていくを呆れ半分で見送りながら流し場へと向かうヤマトの足は心なしか軽いように見えた。コップに水を汲んで畳の上で伸びているへ渡そうとするのだが、彼女はもう既に別のものを喉に流していた。先程までヤマトが美味しくないと独りで文句を云っていた缶ビール。は平然とそれを呑んでいた。ぎくりと胸が固まった後、そこまで呑んでまだ呑むのかと直ぐに呆れがやってきたが一瞬胸が緊張した事には変わり無い。平常心を装いながら水を彼女の口元へと持って行けば普段ならば想像も付かないような蕩けるような笑顔を見せ、礼を云い缶ビールを手放した。

それが少し残念だと思ってしまったヤマトはその考えを否定するかのように残り少ない缶ビールをテーブルに置いた。は気にする様子はないが水をあっという間に飲み干し、ヤマトにおかわりを要求するまでには意識ははっきりしている。また流し台へと向かうヤマトは自身の誕生日に何故彼女を介抱する事になるのだろうと静かに肩を落としたその肩に何かが巻き付き、ヤマトは油断していた所為で思い切り身体にその衝撃を受けることになる。

「先輩!」

非難の声と流し台にコップが落ちる音、背中から胸にかけて巻きつかれた腕、背中に感じる柔らかい感触。背後から聞える微かな吐息。夜中にしかも、少なからず好意を持っている相手に蛇の生殺しのようなことを唯一おめでとうと祝って貰える日にされなくてはいけないのだろうか。自然と熱くなる頬に背に張り付いて離れようとしない半分酔っ払いのは熱いなどと文句をヤマトに呟く。室内は電気器具で涼しくなっている筈なのに、台所は一転纏う空気が違いを見せ始めている。いつものように反論して引き剥がせばいい。それだけの行為さえ出来ない程にこの空気に酔い始めていた。缶ビール半分でここまでくるものなのかとぐらつく視界の中でヤマトは思った。この異様な雰囲気に呑まれているなどとは気付いていない。

「暑いけど、ヤマトの背中心地善いね」

顔を摺り寄せられ、ヤマトはついに酔いが身体全体に廻り暗転した。
倒れる身体、高い悲鳴、頬に感じる冷たく硬い感触。ヤマトはそれだけを感じ取り意識を飛ばした。何時間経った頃にヤマトが眼を覚ますと心配そうに顔を覗き込むの姿が入る。とても申し訳なさそうな表情で、今までそんな顔を見せた事などないのにとこんな時になっても能を動かす事を止めないのだ。はい、お水と手渡されたそれは押しかけてきた時とは間逆になっていて可笑しいやら恥ずかしいやらで、ヤマトはどう反応すればいいのか分からなかった。

「ごめん、疲れているのに無理やり押しかけちゃったから…」

ヤマトが倒れたことにより酔いが醒めたのかの眼はいつもと変わらないが不安げに見下ろす姿はいつもとは違う。水を少し飲み込んだヤマトはそれをテーブルに置き、ソファーにもたれかかっていた身体を完全に起こした。ああ、誕生日だと云うのに何てしんみりした空気だろうととことん運がいいとは云えない星の元に生まれたヤマトは嘆いたがこんな事があっても厭だとは思わなかった。

「いえ、ただ酔いが廻っただけですから」
「で、でも…」
「どうせ独り淋しく誕生日を祝うことになったんで、さんが来てくれて嬉しいんですよ」

いつも外から声が聞えてこないかとか思いながら居るんです。まだ酔いが廻っているのか、普段のヤマトから絶対発せられないと思われる言葉達がすらりすらりと出てきてはの中へ吸収されていく。たっぷり数秒使った後、朱くなると何を云ったのか理解に追いついていないヤマトは一時間後、空が明るみを帯び始め、曇り空だったそこには太陽がしかと顔を出していた。そこで初めて自身の云った言葉の意味を汲み取り恥ずかしさで倒れそうになった。

雨上がりの天使

2011/08/10|Happy Birthday!