テールエンド

あの人は意地が悪い。表面は真面目な風貌を張りつけ、誠実な言葉で相手を油断させる。策略だ、顔を顰めた時に、うっかり口を滑らせてしまい、後悔したところで、あとのまつり。あの人は悪戯がばれてしまった子供さながらの顔を、私に、見せて本音を落とした。

「頭の足りない子だとおもっていたけれど、感は鈍くないようだ」

あの人は冴えない。髪の毛も無造作に遊んでいれば、猫のような眼をしているからか、背骨はゆるく丸まって、曲線だけいえば女性らしく、ちぐはぐな男だと思った。たまに、猫目の目頭にやにを付けてやってきた時には、さすがに愕然とした。青年期の男性が、女性に比べて遅れ足だとしても、異性に感心を寄せると共に、身だしなみもそれなりにするというのに。自身への関心の無さは、男女関係に通づると考えていたものだから、何度か見るあの人のそんなところに呆れつつ、いささか気に留めていた。かと云って、仕事仲間という線を越えた関係に、発展させようとも、そういった感情を抱いたとも思わなかった。こんな人を好きになるのは余程のモノ好きだけだ、と感じていたからだ。

「ヤマト隊長ってイイと思わない?」

ことごとく私の意思に反した答えが飛び交い、素敵、だとか、格好いい、だとかいう彼に当てはまりそうにもない言葉が舞う。無理矢理にはめようとしたら、弾け飛んで行く、絶対に、と確信を持っていうくらいに無縁な言葉だと思った。だからと云って、一般論から逸脱してしまうと、ひとり浮いた人間になってしまうから、適当に相づちを打てばいいのに、私は莫迦正直に頭を悩ました。女というものは、こういう処が酷く面倒くさい生き物だ、と反射的に吐き出しそうになった愚痴を、飲み込んだ。

返答に困惑していると、少し離れたところから、独特の影が伸びて、こちら側に来るのがわかった。忍の中でも、きちんとヘッドギアをして、忍服を規定通りに着ている人なんて、この人くらい。彼だけがもつ、猫っ毛だったり、背骨の形だったり、姿を見なくても判断材料は山のようにあった。

「……げっ…」

胸焼けを起こしていた、心中には既にたくさんの愚痴を溜め込んでいたため、意思に沿った声が漏れる。影は狂いを起こすことなく、こちらにやってきて、足止めをつけられたような感覚と格闘している間に、話題は「ヤマト隊長」から「はたけカカシ上忍」に変化していた。彼女達の機転の早さに、すっかり遅れをとってしまった私は、彼がどのようにいいのか、分からず(マスクをして、素顔の分からない人の魅力の是非なんて、)諦めて、周りから浮くことにした。影は話題に関係なく、大きくなっていき、来てしまう、と絶望的な気持ちを抱える。石像のように、云わざる、聴かざる、動かざる、というのを念頭に置いて、その影が通り過ぎて行くのを願いながら、眼を瞑った。けれども、普段信仰心というものを持ち合わせていない人間が、その場限りに、都合良く念を飛ばしたところで、叶えてくれる筈もない。

「なに、僕に会えて嬉しいの?」

影は予想通り、噂の「ヤマト隊長」のもので、石像である筈の私を真っ向から否定し、「げっ、」と洩らした言葉は耳聡い男には筒抜けだったらしく、開口一番に皮肉を飛ばした。そんなわけない、と云わざる、を掲げた癖に早くも破った口を、恨み、言葉を詰まらせた私を面白そうに見下ろす、男と眼が合う。ついさっきまで噂の頂上にいた男が、黒が割合多い眼を細め、間近でみたくの一は誰でも分かるように、頬を赤く染めた。多分、この人にとってこの男は、噂では留まらない特別な感情を抱いていて、他のくノ一達は瞬発力の高さを示して、固まりを造って傍観を決め込んだ。こっちは針の筵に座られたかのような面持ちだと云うのに、暢気に頬なんて、と悪態をついた。

「ヤマトさんにとっての、嬉しいことは案外近くにあるんじゃないですか?」

例えば、私の隣のくの一とか、あなたに気があるみたい、と視線で彼に訴えかけて、固くなってしまった身体は居たたまれなさに、脱皮し、膝は思いの丈、ピン、と伸びた。動揺が顕著なくの一は、立ち上がった私と、「素敵なヤマト隊長」の間を惑う。彼の身長を追うように伸びた足は、それでもまだ足りなくて、どちらにしても、見下ろされるという部分に変動はなく、悔しくなった。(何を食べたら、こんなに大きくなるんだ)早々に立ち去ろうとする私に、無垢とは無縁な含み笑いを浮かべ、それが、まるで、頬を撫でられるかのような柔軟性のあるものだったから、胃が不快感で膨らむ。その上、全てを見透かされているようで、身がガラス張りになったかのような感覚。とても、厭な感覚だった。

「…、ここどうぞ。私は次の任務がありますから」

目下、好意をむき出しのくの一の隣を差し出せば、勘に懐刀を仕込ませた男の、既知への早さは尋常ではなく、そこから弾き出される答えは「ああ」でも「何故」でもなかった。横に伸びていく黒目が、線になって、私を刺そうとしているように思える。

「‥、そう。残念だ。またね︎さん」

さん、と唇を滑らせた、男の声が背に強く張り付き、呪いのように囁きかけている、ということに気が付いたのは、待機場から逃げ出したあとだった。素直な心持ちで彼に接したい、と思わないからか、与えられる全てが毒になり、中心核から蝕んでいくようで、苛々した。息が詰まる思い、は何度なくしたことはあったけれど、こんな複雑さを巻き込んだことはなかった。


とどのつまりはさ、と切り出したくノ一の山中イノは、若さと直結しないような妖艶な笑みを浮かべた。

さんは、ヤマトさんに気に入られているのよ。」

あたしが云うのだから間違いはない!と根拠のない自信が若さをちらつかせる。意外な言葉を、うまく飲み込めない私とは対岸にいる山中イノは、ひとり納得するかのように頷く。

年の差ペケペケ、交流関係を結んだきっかけはここでは割愛するが、親交は二年と、案外長い。名の知れた甘味処が並ぶ通りの、ある一件を過ぎた処にある、花屋の一人娘だからか、自己主張はしっかりとしていて、時々どちらが年上なのか分からなくなる。色気で云えば、完敗であることは明らかなので、態々自ら、傷を抉りに行こうなどとは思わない。何処をどう聞いたら、そう思うんだ、と突っかかりそうになった、粗い自分をなだめて、大人の余裕を全面に「根拠は?」と聞いた。

「ヤマトさんって、平和主義者というか…無駄な争いや言葉は云わない人だし…合理的っていうの?」

イノは、運ばれてきた有名処のあんみつに口をつけた。そういうけれど、そこからどう好意に導かれるのか、思考回路の配線を間違えているのではないかと、疑ってしまうし「ヤマトさん」が無駄な言葉を私に云わなかったためしがない。ほぼ初対面だというのに、「頭の足りない子」という不名誉極まるレッテルを貼っていたことを、罪悪感もなく発言するところ。この甘味処と一、二位を争う程の人気店で売られているたい焼きを、食べたい、と度々ぼやいていた私に、ゲンマさんがあまりにも煩いから、と買ってきてくれた時のこと。喜んでおやつにと思っていたところを、偶然、通りかかった男は「そんなものばかり食べていると、不足している色気から遠ざかるんじゃない?」と、気にしていることを惜しげも無く云ったこと。これの何処が、無駄な争いを、好まない人間になるのだろうか。

「イノは美人だから、あの人に特別視されているのよ」

イノの云う「ヤマトさん」と、私の云う「あの人」が別人だとしたら、話は変わってくるが、今のところ間違いはなさそうだ。人物像にかなり、ズレが見られるけれども、この場合、彼女の方に好意的にも見える。

「そんなことないない!っていうかさんこそ美人じゃない!」
「美人な子に、美人って云われてもね…」

絶対的な否定と、山のように盛られたあんこに刺されたスプーンが、小刻みに震えている。あんみつの残骸が出来上がるくらいに、拒否されてあの人も可哀想な、とさして同情も感じていないのに、形だけ思った。イノは「頭で行動の計算が出来ないくらいに、さんに対して素が出ちゃうってこと」と、刺したスプーンを引き抜き、何事もなかったかのように食べだす。

さん、知らないかと思うけれど…ヤマトさんって近寄り難くて有名よ。だから、ヤマトさんから行くなんて…会話と云えば仕事の話くらいだし、」

あ、カカシ先生に対してはそういうの、一切適用されていないみたいだけれど、と付け加えられる。近寄り難さは木の葉で五本指にはいることくらい、私だって知っている、だけれど、それを打破してこちらにやってくるのはあの人の方だ。

「何で、そこではたけさん…?」

まさか此処にお上りさんがいるなんて、と云わんばかりの表情を寄越すイノは、また、力の限りあんみつで衝撃の強さを表した。もうすっかり、あんこなのか、寒天なのか、はたまた白玉なのかといった具合で、識別できるのは色ぐらいだ。「ヤマトさん、カカシ先生のこと尊敬しすぎて、べったりでしょ。それと一緒で、さんにもちょっかい出しにきているみたいだから、好意があると思ったの……ああ、だからね」

イノは話を繋げながら、事柄との関連性を見つけたらしく、ひとり、合点が云ったようで嬉しそうに、にたあと笑う。それを私なんかがやったら、気味が悪くなるであろうに、彼女は絶妙な形を作った。こういう自然さがあれば、いいのに、と意識がそっちに行ってしまいそうになって、駆け足で戻る。なるべく、考えないようにしているのに、あの人の所為で無いと自覚済みの「色気」に執着してしまう。これもそれも、あれも、全て、ヤマト、という男が悪い。イノはニタニタと、気味の悪いであろう笑みを綺麗に浮かべながら、私に云う。

「カカシ先生と、ヤマトさんのふたりを観察すれば、ヤマトさんがさんのこと好きだって、分かりますよ」
「そんな、むちゃくちゃな…しかもあの人の好意は決定事項なの…」
「んもう、当たり前じゃないですか〜、だって相手はあの堅物で、有名なヤマトさんですよ?」

それほど浮き名を流されるほどに、彼は有名で、人気のある人だとは、想像もつかなかった。猫背気味に椅子に腰掛けて、時々目やにをつけてきて、当たり前のように畏怖をちらつかせるあの人に、噂をする人なんて、数名のくの一たちくらいだとばかり思っていた。身だしなみは玄関じゃなく、ヤマト限定で適用される、一般常識があるらしく、イノ曰く目やに姿は合理主義な人が気を抜いた瞬間で可愛い、らしい。憧れの、はたけカカシには及ばないが、時々、熱を上げた女の子に口説かれているところを見るのだとか、だけれど、それを受け取ることはせず一言「ごめんね」と云うだけだと云う。信じられない、まさか、本当に?が渦を巻いてグルグル、眩暈を引き起こして、それ以上は考えたくもなかった。

「……考えるのやめよ」

向かいに座る、イノは非難の声をあげて、私を穴へ誘い込もうと、噂の末端から丁寧に話しだす。接点の多くないのに、無駄に真意を問われる噂の中のあの人ばかりが、増えてしまって先日顔合わせした時の、意地の悪い笑いと噛み合ず、気味の悪い「新ヤマト」が出来上がる。数少ない、私が知る限りのあの人は、こんな紳士的ではない。イノはまだ尽きることのない噂話をしているけれど、もう破裂寸前の頭はそれ以上受け入れる事を否定して、全く手付かずだったあんみつを食べることに専念しようと思った。