After:01

知らない地に来て生活するようになってから何度目の夏がやってきただろうと過去を思い出そうとする度にあの人の事も同じように思い出されるのは少し、否いつになっても最大の痛みとなっていた。今何処で何をしているのだろうとその痛みを堪えて考えてみても彼の事だから何も掴めやしないと早々に諦める。そういう事ではなくて、何度目の夏が来たのかと思い出そうとしている事を忘れかけていた自身に叱咤しながら記憶を辿らずともあの頃の歳と今現在の歳を引いてみれば直ぐに判る事だと自身の抜けている処に溜息を落とす。

あの人と再会したのが自身が二十三の頃、今は六になっていたから三年前だ。
こんなに簡単な事だと云うのに暫く時間を要した自分が恥ずかしい。神楽坂家はとても大規模な退魔師の名家であり、その行動範囲は日本をも超え海外にまで進出する程だ。そう私はその海外組へと入る事を決め、今はアメリカに身をおいていた。この話は要と組んで高校へ入る前から出ていた話で私はそれを長い間保留としていた。理由は簡単明快でありあの人と会った事によりその話は一層現実味のない話になっていた、けれども彼が相も変わらず見ているものが彼女だけだと知った私は無駄な足掻きも何もかも全て自身をいつか飲み込んでしまうのではないかと云う程にあの人にのめり込んでいるのだと気が付いて怖くなった。そしてそれは一生叶う事ではないとも知っているのだからその怖さはいずれ何かを起こしかねないと危惧した為、今居る場所への任務につく事にした。

英語が堪能でない分初めは日本が恋しくなったものだけれど、現地の人々の優しさに触れている内にそれは解されていった。そして自然と彼の事を考える余裕もないくらいに忙しくなっていき私は今の今まで彼の事を思い出す事は無かった。それが三年と云う月日、彼の行動が分からないとは云ったけれどもきっと彼ならば要に想いを伝えて、もっと行けば婚約でもしているのではないだろうか。思い出せば胸がどくどく云って涙が溢れそうになるけれど、それは勝手な被害妄想だとしか云えない。見込みが無くとも離れていったのは私なのだから泣くような事は何もない。

、そろそろ時間だけれど大丈夫かい」

「ありがとう、教えてくれて」

「僕と君との仲じゃあないか。今更お礼なんて要らない」

「いいえ、多分此処にはもう戻ってこないから。だからありがとう」

言葉に驚いている彼は、直ぐにそうかと納得し、抱擁の格好をして私の身体を包み込んだ。一応今居る場所は空港なので人々がちらりと見遣るけれども日本と違って彼等のふれあいは日常茶飯事のように行われている為あまり視線が集まる事もなくそれはせめてもの救いだった。恥ずかしいと腕を退けると彼は少し不満げに唇を尖らせた、それはいつも見せる甘えの表情、それがもう見れなくなると思うと淋しいけれども幾ら私が此処が大好きだと云っても帰る場所はあそこ以外有り得なかった。そして三年前の事を思い出した最大のきっかけが故郷に帰るという事があるからだった。

「三年間、相方として貴方とやってこれて本当に善かった」

「此方こそ。もう逢えないなんて云わないで、また逢いにきてよ」

気が向いたらねと笑えば彼も腕から私を逃がし、何度か頷いて絶対だからと云った。
人々を急がせる音が聞え私も慌ててゲートへ向かえば彼が一瞬だけ頬に手を滑らせて笑ったのが垣間見え驚く私と手を振る彼はあっという間に離れ離れになる。三年間共に過ごしてきて善い相手だったけれどもそれだけだった。非道いと云われても仕方ないと機内の中でひっそりと笑った。


久しぶりの日本の空気は異国に居た時と違い、身体に染み付いているのか安心感が尋常ではなかった。今まで感じた事のない疲れが飛行機を下りた途端身体に圧し掛かって足元を危うくさせ、もう少しで数段の短い階段を踏み外してしまいそうになり、後ろから舌打ちが聞え慌てて階段を下る。こんな事ならばヒールを履くんじゃなかったと悪態を付きながらふらつく足を叱りつけながら歩き出した。

「三年振りの、神楽坂家ね」

三年前、此処から逃げ出したあの日から何も変わっていなかった。三年経ったとは思えない変化の無さに些か拍子抜けしたくらいだ。門を通り過ぎ、玄関前へと立つ。お役を終えた退魔師の自分であっても堂々と戸を敷居に流す気にはなれなかった。この家は旧家だからかインターホンと云う現代的なものはなく、声でそれの役割をするしか方法はなかった。どちらにせよ敷居を跨がなければ誰にも気付かれない、あのおじい様なら気配で判ったかもしれないけれども私が自分自身の意思で開けなければ駄目な気がした。心地善い音がして開く引き戸の先。要に会ったらおめでとうと云おうか、その後であの人に会って昔のように笑い幸せにしてあげてくださいね、兄様。と言葉にするのだ。そして私はまだ当分役に立たないであろう心をゆっくりと時間をかけて修復していく。それで善いのだ。

「——…っ…」

誰も居ないと気配だけに頼っていた私は言葉を失くした。
そうだ、と三年前を思い出す。私の何十年の退魔師としての能力を持ってしてでもあの人は私の上を行き気配を全く無にしてしまうのだった。思い出した時には既に遅く扉は自分自身の身体を全て相手に見せていた。逃げられない、否自分は何故逃げよう等と思っているのだろうか。ちゃんと向き合って笑うのではなかったのだろうか。頭の中が白く弾ける。玄関先に立っていたのは信じられない事に、帰国後一番に会いたくて会いたくなかったあの人。

終わりを見ずに始めたことだったから

(20101125)(×)