After:02

言葉が出ない。どうしたらいいのだろうか、とりあえず久しぶりとでも云えばこの一方的に私が感じているであろう重たい空気を払拭する事が出来るだろうか。視界が渦を巻いて彼の顔を滲ませる。そうしたら少しだけ楽になる心。ああそうか、この眼を極力見なければ私は平常心で居られる。心の中で何度か深呼吸し、頭の中を整理した。口元を緩ませた私はいつもと変わらない私だった。

「お久しぶりです、忠義兄様。まさか玄関先で会うとは思わなくて吃驚してしまいました」

「ああ。用事があったんで、な。久しぶりだな、何年振りだ、?」

忠義兄様は指を折り記憶を逆戻ししている。その間に私は答える。

「三年振りですよ。全然変わってませんね」

「お前さんもな、

「綺麗になった、くらいは云って下さっても善いんじゃあありませんか」

本当に変わっていない、お世辞を云うような人でない処も、唇の端をくっと上げる笑い方も、声色も。眼を見なければ、と云ったが言葉一つ一つに胸が崩れてしまいそうになる。それを押さえながら冗談を云う。緩やかになりかけた空気が刹那固まる。この空気、厭だ。答えが返って来ないそれに耐えられない私は笑顔を絶えず、冗談ですよと喉を振るわせる。それでも彼から答えは無い。早く、誰か来て。

「あ、!さん…!いつ帰って来たんですか!」

廊下を走る音と共にやってきた懐かしい声。三年前から変わっていない慌しさ。要、だ。視線を要に寄せるとその変わっていない慌しさに反比例して綺麗になっていた。男のように短かった髪の毛はすっかり伸びて、元々器量の善い顔を更に女らしさを加えていた。兄様も!と二倍驚く要に彼は此方へ向いていた視線を逸らし向こうへ行く。一度撫で下ろされた心は二度目の波乱を予感するかのように一回跳ねる。彼は眉を寄せ要を見る。それでも眼は何処まで云っても優しいまま。

「相変わらずだな。変わったのは容姿くらいじゃねえか」

「半年前も同じ事を聞きました!もう少し評価上げてくれても善いじゃないですかっ!」

「そう云うならもうちっと中身も磨け。莫迦たれ」

「酷い…!」

呆れた口調に批難するも愉しい声。居た堪れなくなる感情を叱咤しながら、事の成り行きを見守る。三年前とは殆ど変わらない、彼の要への気持ち。言葉の端々から感じる要の成長への嬉しさ、眩しさを感じる彼の気持ち。どうして私じゃないのだろうと思いかけて待ったをかける。当初の目的を思い出し、感情を消す。やっと口論が終わり彼が此方を向く。依然私は初めの一度きりしか彼の眼を見られていなかった。

「痴話喧嘩終わりましたか?」

笑えば目の前の彼は不機嫌になっていくのが手に取るように分かった。彼の欲しくない言葉をいつも云ってしまうのは私の悪い処だ。鋭さが増し、眼を合わせなくても分かる。彼の沸点。合わせてもいないのに眼を閉じてしまいたくて仕方なかった。途端、引っ張られる腕。驚く私の声と要の声が重なった。状況が理解できない私に腕を引っ張るのは彼だった。玄関から足を踏み出す事も戻す事もしなかったこれらは簡単に廊下を滑った。靴が、と呟けば先の彼は舌打ち一つ落とし、私は世界が一気に高くなるのを頭の片隅で感じ取っていた。

「兄様…!?」

「要、茶の間借りる」

抱えられている身体と厚い胸元の向こう側と頭上から響く声が頭の中を掻き回した。
声を上げる暇もないまま、障子を開閉する音とお尻が痛む感覚、そして靴が畳に刺さる感触。動けない私の身体の間を何かが覆い被さる気配に涙で滲む視界を上げればそこには彼が、居た。十センチにも満たない距離で彼と私の視線はかちりと合った。ひっ、と息を詰める時に出た声に滲む彼は相変わらず鋭かった。これは三年前と同じ、あの時と。

「——…ひゃ、っ」

彼の頭が突然動き出し、反射的に眼を閉じれば首筋に生暖かいものが上下に這った。耳元で響く低音に心臓が止まりそうになる。

「お前さんは三年前、俺に云った。どうとも想っていない、と。確かか?」

「…は、はい…」

くっくっ、と笑う声を耳元でされておかしな気持ちになる。止めてとも云えず耐えるしか出来なかった。彼の意図がわからなかった。耳元から離れない唇を他所に抜け出そうとしても畳に刺さったヒールは抜けず、圧し掛かっている身体は私の力では到底どうにかなるものではなかった。

「だが、お前さんはこうして俺のする事に顔を朱くし、脈を上げているのは何でだ?」
舌先だけで分かってしまう脈の速さだ、と笑われる。言葉が詰まってしまいそうになる。

「そ、れは…」

「目線を合わさず、要と俺を見るお前さんの眼は今にも泣きそうだったのは?」

「……っ」

「素直になったらどうなんだ、

今まで大人しかった身体を押さえている骨張った大きな手が服の上を行く。驚きのあまりこの雰囲気を更にややこしくする声が部屋に響く。笑っていた彼の音が消え、それにも驚くと彼の唇が私のと重なった。入り込んでくる舌先にぴりぴりとする。あの社会科準備室でされた口づけは初めてであり最後でもあった。それ以上に激しく交わる舌に思考回路はパンクしかけている。一時止まった指先は胸元を張った。抵抗をしようとする私の身体を止める術を初めから知っているかのように、耳元に寄っていた唇は呟いた。簡単な言葉だった。けれども私はそれを聞いて年甲斐もなく、この雰囲気に似つかわしくない程に泣いて泣いて彼を困らせた。彼は、忠義兄様は莫迦だと笑いながらも涙を唇で掬い上げた。

戯れの言葉は散る花に似て

(20110904)(×)