貴方があの子を好きだってことは気付いていた。だけれど認めたくない私は耳を塞ぎその声を閉ざしたら簡単に聞こえなくなってしまうのを、貴方の声が聞こえなくなってしまうのがとても惜しかった。でも、それを代償にしてもその感情の声を聴いていけるほど私は出来た人間じゃなくて、心を相手に悟られないようにする技を身につけたのもそれがきっかけだった。でも、それも貴方の前では簡単にぼろぼろと崩れ去っていくのだ。なんて、単純な私。なんて、弱い私。貴方に云ったらきっと莫迦だと笑うのでしょう。好きだって、云ったら少しは楽になるかしら。

02

要と廊下で分かれた。お役目の為に私は要と共に夜の学校を探索する。綾乃さんは私と違って資料や情報集め専門、私は完璧ではなくとも退魔師だ。それなりに戦えるし、気配もある程度感知する事が出来るからこうして要と分かれて行動していても何の問題もない。明かりのない廊下をゆっくりと気配を探りながら歩いていると時々自分を誰かが見ている気がして何度か振り返ってみるけれどもそこには誰も居ず月夜に照らされて自分の影がぼんやりと廊下を伸びているだけだった。要の様に刀を使えるのなら幾分か楽だっただろうに、悲しいことに私は呪札を使う方が長けおり刀は要と対照的でからっきしの私自身に苦笑いが零れる。キン、と自分の感覚がまた訴え、もう何度目かになる視線のする方へ振り向くと先程から見れなかったその視線の元の姿が視界いっぱいに入ってきて驚いてしまい受身も取れないまま思い切り床に身体は打ち付けられた。

「い、っ…たた、」

視界いっぱいに入ってきた白いものは怨霊なんかではなく、ただのイタチだった。 学校に迷い込んだのだろうか、イタチは尻もちをついて顔を歪めた私の方をじっと見つめまるで触れて欲しいと誘っているようにも見える。動物が好きとしては触れたくなるような艶やかさを持ち、愛くるしい瞳に触れてしまいたくなる衝動を抑えきれず手を差し伸べる彼女に警戒を一層強め姿勢を低くしかけたイタチに小さく声を出しながら手をゆっくりと差し出す。姿勢を崩す事無くそのまま後退し距離を測ろうとするイタチに、怖くないよ、と云いながら笑いかけた。ゆっくりと足を進めるとイタチはそれ以上逃げる事はせず近づいてくる手にも抵抗を見せずに頭に触れる事が出来た。

「いい子ね」

思っていた通り艶やかと形容しただけあってイタチの毛並みはとても綺麗だった。 飼い主はとても大事にこの子を育てている事が分かり、少しだけ羨ましさを孕ませるも直ぐに使命を思い出し立ち上がる。イタチは名残惜しそうに顔を上げたが、ひゅ、と何かの音が聞えた途端驚いたように飛び跳ね廊下の向こうへ走り去っていく。あ、と声を洩らした頃にはイタチは闇の中へ消えていた。少し残念な気持ちを胸に抱えながらイタチが消えていった方と逆の方へと足を進めていく。

廊下には一人分の足音しか響かず少しだけの恐怖心を奮い立たせ、教室の中を覗き、安全を確認し次の場所の安全を確認するの繰り返しに幾分か恐怖心は薄れる。生憎気配は全く感知出来ず何年も退魔師として仕事をしてきた自身としては少しだけ心外だった。それか、感知出来ないという事はまだ現れていないと云う事なのだろうかと首を傾げてみたが真実は判りかねる。きゅ、と音を立てて階段を上るとあの社会化教室から光が洩れている事に初めて気付かされ、咄嗟に思いつく事は要の安否だったが、分別した場所が此処から離れていたから余程の事がない限り心配する事はないだろうと心を落ち着かせた。きっと彼も同じ理由でこの学校に来ているのだろうと洩れた光を避けながら扉の前に立つ。こうした処できっと彼は気付いているのかもしれない、聡い人だったものと無駄な詮索をする事を早々に止して退魔師の人間の顔から此処の教師の顔へと変えた。

「あ、まだいらっしゃったんですか?」

何気なく、偶然を装って扉を開くとそこには彼が初対面の頃のように座っていた。彼は声に振り向いて驚いた素振りを見せた。先生こそ、と椅子を回転させた、その弾みで椅子が耳障りな音を立てた。

「ええ、ちょっと学校に忘れ物をしてしまって」

「そうなんですか、大変でしたね」

ゆるりと笑い、眉を下げいかにも大変でしたねと心配するような顔を造って見せた。嘘吐き、と思わず云ってしまいそうになり慌ててそうです、と苦笑いした。私も嘘をついているのだから同じようなものかと眉を寄せ、眉間にシワを作りそうになりそれを悟られないように垂れてきた髪の毛を耳にかけた。

「夜の学校って怖くないですか、?」

「慣れましたよ、先生は怖いんですか」

「私、夜の学校って初めてなので少し怖いです…」

困ったように笑いながら云うと意外だという顔を彼はした後、にこりと笑った。それに不覚にも心臓が抑えが利かなくなりそうになり、頬が引き攣る。そんな笑顔見せないで、と叫びそうになった言の葉は空を切り彼には届くことは無い。私の事覚えていますかと口を滑らしそうになりもし、と続けた。

「先生がご迷惑でなければ、職員室まで付いて来て頂けませんか…?」

退魔師でもなく、教師としてでもない、ただのとしての感情がついうっかり言葉を滑らした。怖いのは本当だが忘れ物をしたというのは真っ赤な嘘だ。それに社会科準備室は職員室の一つ上、電気がついていたとしても校門からは見えない位置に在している。怪しんでも可笑しくない提案に彼はあっさりと了承したものだから驚きに目を見開いてしまう。どうしましたか、と問われ焦るあまりたどたどしい答えになった。


職員室は暗く、恐怖が更に高まったが前を歩く彼が後ろを何度か振り返っては安心感を与える笑い方をするものだからそれよりも愛しさで胸が痛んだ。ぱちんと音を立てれば職員室はあっという間に人工の光に照らされ明るくなる。ありがとうございます、と先に扉の中に入り電気のスイッチを押してくれた安部先生に云おうと目線を合わせると先ほどまでの優しさを含んだ微笑みは嘘のように消失し、変わりに鋭い視線と意地の悪そうな笑みがその顔には浮かんでいた。突然の本当の彼の出現に頭の中で鐘ががつんがつんと打ち付けられる。安部先生、と疑問を口にしながら足の裏に存在していた敷居から退く。暗闇に身体を溶かし笑みを絶やさない彼から逃げる。

「どうしたんですか、先生?」
「……っ」

どうしたのは貴方の方ではないのか、と心臓が可笑しくなりそうになりながら考える。安部先生は早く忘れ物を取りにいったらどうですかと挑発的だ。忘れ物なんて無いのだ、困惑する私に彼は職員室の電気をつけたときと同じ音を立てて消した。突然の事にひゅ、と喉を鳴らした私の目の前に音もなく近づいていた彼によって両腕を取られる。気配を探れる私には生身の人間の気配は分からず抵抗する間もなく壁に身体を押し付けられた。声も出せないまま、触れている箇所がじわじわと熱くなる。こんなに寒い冬だと云うのに、背中も身体も冷え切っているというのにそこだけは何かの力が作用しているのか痛い程だった。

「は、っ…離して…!」

声を荒げた方が負けと云うように、私はとうに彼に負けていたのだ。
悲鳴のような細い声を上げれば暗闇で表情までは窺い知る事が出来ないが手首を握る力が強まったりする辺りふざけているようだった。彼はくつくつと笑いながら至極愉しそうな声を孕ませながら頬辺りに唇を寄せる。

「寝言か、?誘ったのはお前さんからだろう、

頬が発火する。知っていてこの人は私の出方を面白がりながらも見ていたのだ、強がりも演技も全てばれていたと別の熱が身体中を支配して、腕を振り払おうとして身体をひねったがだいぶ身長が離れていてその上性別も違うとなると難しかった。これくらい退魔師なら抜け出さんかとだいぶ口調の変わった彼は怪しげに笑った。

今度はきみが捕まえてよ

(20100112)(×)(わたしがあなたをみつけたみたいに)