忠義、と声をかければ何だと無遠慮な声が聞える。何だじゃない、また要の処に行っていたのとむすりとして不機嫌を装えば返って来る言葉は無いと知っている。今度受けた依頼で要と出くわすなんて思っても見なかったのだろう、彼は厭そうに顔を歪めてはみたもののそれが逆の意味をもたらすこと、何年も共にしていれば分かってしまう。眉を顰め、此方を見た忠義に別に、と返しながら何度も何度も汚れなんてとうに落ちている泡だらけの皿をスポンジで擦る。昔から彼はそうだ、要となると目の色が変わり面倒くさいと洩らしていても視界にはいつも彼女を映している。

「ばっかじゃないの」

思わず云ってしまった言葉は水音で掻き消され忠義には届かない。 莫迦みたいだ、こうして彼の聞えない処で悪態をつき、想われている要に対して嫉妬ばかりしている。やっと水に流される事を赦されたお皿は、表面だけを擦りすぎた所為で裏が妙に黄ばんで見え、見栄えが明らかに悪くなってしまった。裏まで洗う気力はもはや無く溜息をひっそりと落としながらそれを水切り籠の中へ入れた。私は彼の事を忠義、と呼ぶし彼も私の事を名前で呼ぶ。けれどそれだけだった、衣食住共にするだけでそれ以上でもそれ以下でもない存在、退魔師での相方でもなければ恋人でもない考えてみればおかしな関係だ。それが神楽坂要という存在によって可笑しさは一層増すのだった。

「要の事が好きなら、私出て行く」

今度はちゃんと忠義に聞えていたらしい。当たり前だ、部屋に漂う音は何一つなくなったのだから。彼の方を見ることなく手にしていた箸をタオルで擦ればかしゃりと音を立てて拭かれていく。箸立てに入れる音でやっと忠義が此方を向いて訝しげに眉を寄せたのが分かった。

「突然なんだ、」
「突然じゃないよ、ずっと考えていた事」

彼が高校教師として潜入してから、何故だか拭いきれずに存在していた焦燥感。要と再会してから、それは確信になる。私はきっと分かっていたのだろうとタオルを椅子にかければ本を手にしていた忠義が立ち上がる。眉を寄せ、不機嫌そうに見えるその表情だけでは彼の本心は分からない。けれど多分私はこの部屋から居なくなるのだろうと予測はついていた。それが哀しいのか嬉しいのか分からないけれども、私の心はどちらかわからない感情に踊っていた。

低迷する部屋の空気

2010.08.20