あなたの檻に触れる@2015.9.8
無機質なものであの人はあっけらかんとして云った。「要らない」それが何に対してなのか長年の腐れ縁という絆を持ってしまったが為に彼の云わんとすることが手に取るように分かってしまった。それは友であり親友であり恋人になりそこねた人間を捨てる、という暗号だった。戦争の終わり、それは私と彼との別れを意味していた。何度落ちて行きそうになる手を重ねて利用して、そそのかしたかすかに空いている隙間を埋めてしまいたくて息をしてほしくてただそれだけのことだった。「悪ィ………」こんなつもりでする行為ではなかった。普段のちゃらんぽらんな面が表立つ彼からは思為すことが時折困難なほど根には真面目が埋め込まれている。それを悟られまいと莫迦な人間を演じているのかと思えば何も考えていない能無しなのかと心赦したらこの通り、赤い眼が目の前で右往左往する。まだ動揺を隠す、という芸当が出来ない私たちはお互いに身体を不安定にさせていた。「別に謝ってほしくて云ったんじゃないよ」後悔はしていない、初めてを散らす相手はあなたがいいとずっと思っていたから。告げないと決めていた言葉はきちんと胸のしたで重たく沈む。ただの能無しじゃないじゃない、と憤慨しながらもこみ上げてくる淋しさを銀時は知っているのだろうか。知らないでいい、こんな痛みや淋しさを感じるのは片思いしている私ひとりで十分だった。
「銀時が、そういうなら私はそれに従う」
そうするしかあなたをこの世につなぎ止めることが出来ないのなら従者となり手を離しましょう。悲劇のヒロイン気取りの台詞が渦を巻き、自分の首を絞めた。莫迦だね、こうなることは彼を知る者なら覚悟の上だっただろうに。ましてや友情を語り合った二人なら尚更の事、推察出来ただろうに。私は何を期待していたのか、合わせたぬくもりから銀時が奥底に蓋をした感情をあけるとでも思ったのだろうか。着物を羽織る気怠い身体を無理矢理に持ち上げて、今更ながらに羞恥心が身に襲いかかるけれども目の前の男ときたら月夜に照らされてほんのり黄がかかった褥を見ていた。まるでそうしなければいけないと命じられているかのように頑なだった。「お前は、」本来なら真白な筈のそれを見ることによって全てを元に戻せるかというかのように銀時が言葉を落とす。「なに」手中から溢れる帯が気持ちのいい音を立てる。返答は思っていたよりも冷静で月下である所為で余計に場の痛みを増幅させているような気がした。
「望むことはねェのかよ」
汚れてしまった白さに銀時の呟きが突き刺さる。望むこと、と唇がなめた。もしそれを云えば銀時は受け入れてくれるのだろうか。あの輝くような日々からずっと想っていたと伝えれば握りしめられた指先を自由にして私の冷えた指に触れてくれる?帯を結ぶ指が震えた。微かに揺れた指の先が反射的に銀時へと腕が伸びる。触れたい、触れていいの、私でもいいの。「………ぎ、んとき…だって……知っているでしょ。私のここは空っぽだわ」頑なである彼の意思は畳の眼を数え始めている。私の指先は本能に不実だ。本音を隠し自身の胸を指した。身いっぱいにつめた気持ちは隙間が無くて何もないようにも見える。赤い眼と視線が合う。あれほど合わせたいと願ったことは呆気なく叶ってしまった上想像したよりもずっとそれはいいものではなかった。ただただ自分自身の愚かさが浮き彫りにされるだけで、想いは交差することはない。今でも両手を広げたらこの人を抱きしめられるというのに、赤い眼は空を見ていた。「…あァ、そうだったな」お前は昔っからそうだった、と落とされた呟きと共に崩れていた銀時が立ち上がる。さっきまであんなに小さく見えた銀時は容易に私を超して大きくなる。女であっても大柄な方である私でさえも彼には及ばない。もし彼以上だったとしても彼には遠く及ばないだろう。着かけた着物が身体から滑り落ちそうになり、慌てて身に貼付ける。数刻前までの無関心が嘘のよう。
「じゃあな、達者でやれや」 「うん、銀時もね、」
着物の裾を強く握りしめた。月夜の光しかない部屋では些細な動作は気付かれない。もう少しの辛抱だ。銀時が襖に手をかける。踏まれた布団に落ちる黄色はいびつでいて襖の間からのぞく月はあんなにも美しい。私もあんなふうに溶けてしまいたかった。「さようなら」閉じた扉と閉鎖された部屋にはもう完全に光は入らない。誰にも聴かれなかった別れの言葉は闇に消え自覚のない不時は帯にあらわれ身が窮屈になるほど縛り上げてしまった。もう隠す必要性も全く無くなったというのに不実ではない心情は銀時以外に晒したくはなかった。そぼふる雨は闇に飲まれた褥へと吸い込まれていった。
「で、何であんたがここにいるの?」 懐古主義でも無いくせに過去の想いに縛られたまま、街を点々として頭の片隅で巣食う銀色を払いのけることが出来ずに十年の歳月が経った。あの後の私はひどいものだったと先週偶然再会したヅラにしみじみと語られたうえ「ヅラじゃない、桂だ!」の常套句も変わっていなかった。核心に手を出す事はしないが風のように消えた男と残された心をもたつかせた女が残れば容易に理論付けることはできてはいても深さまでは推し量る事はヅラではなければ出来ない事だっただろう。(ああ、桂だったっけ)戦争で負け、今や当たり前に天人が行き来し、中心部には宇宙船が何千と降り立つターミナル。すっかり変わった街並に反比例して昔なじみがこうも変わらずにいるのはこうも嬉しいものなのか。自動ドアの開きざまに機会音がジリジリと耳を刺激した。ヅラの顔が海面から浮き沈みを繰り返していた私の目の前で気怠そうな男は片手を軽く上げた。
「いやァ、ここの店長と知り合いでさ。人手が足りねーって云うから来たんだけど」
あんなにも焦がれ、逃げるように街を離れ、何処に行っても目線は銀色を探していた。そうして永い時間が過ぎてやっと薄れてきたと思っていたのに、呆気なく再会した彼も、過去の想いも全く変化を見せていなかったと間を置く事なく証明された。「あ、これ俺の名刺ね」まるで昨日も顔を合わせていたかのように銀時はあっけらかんと云う。万事なんでも依頼してくれたらするぜ(犯罪まがいのことはこれによってうけるかもしんねー…ウソウソ、やましいことはしてねェよ)と差し出されたそれには万事屋、坂田銀時と印字されている。紙切れ数センチ先に伸びる指先と触れそうな強ばった指が熱い。(受け取ったそれに移った銀時の温かみが感じられて思わず指先で紙を潰しかけた)平常心を取り繕った私はそれにつられるかのように憎まれ口を叩いた。
きれいごとの戯れ@2015.9.12
「あまりにも変わってねェから直ぐに分かったわ」
ここは嘘でも綺麗になったな、とか別人みたいにとか云えないのかと青筋が立ちかける。厳粛な場面であっても良い筈の空間がコンビニのレジ前だなんて雰囲気もあったものではない。別れ方も然ることながら再会ぐらいはもう少し場を考えて欲しかった。(神様なんて信仰した覚えはないけれどもこの時ばかりは切に願った)劇的な再会である筈なのにお互いに着ているものが横じまの某コンビニのデザインを拝借したようなのも緊迫感を粉々にしている要因だ。海底に深く沈めたヅラがざまあみろ、と嘲笑っているかのように浮いていた。戦時中の時とは違い、今はそれなりに化粧をし、振り乱していた髪の毛も綺麗に束ねて清潔感を持たせてたまには声をかけられるくらいには身綺麗にしているつもり。鏡から見る私と過去を合わせてみたって一致するのはおおまかな変わりようがないもとの作りくらい、昔を思い出したくもないのにこの男ときたら世辞の一つでも云えないものなのか。
「銀時も、変わってないね。その天パ」 「オイィィィィ!何でそこは頭に集中攻撃?俺の存在意義って天パだけ?」
かわいそうなものを見るように四方八方へと遊ぶ銀髪を一瞥する。 死んだような魚の眼も、瞳の奥の赤さにも、その深さも変わっていない。中年太り、とは無縁な立ち姿も過去と合わせてみても。潰しかけた名刺を見れば、坂田銀時の文字の上には代表取締役、と名前の柔軟性とは裏腹に固い言葉が乗っていた。その酷く不釣り合いな並びが変化の無さを表していた。万事屋を営んでいる、云わば社長という立場の人間である筈の男が依頼場所にわざわざ出向くものなのか。無意識に険しくなる目つきを隠す為に前髪を垂らした。「暇、なの?」と云えば「暇じゃねーよ!こうして仕事しに来てんだろ!」やる気のなさそうな、締まりのない顔で叫ぶ。
「この間はヅラに遭ったし、一昨日は坂本が店に遊びに来て、今日は銀時…何同窓会でもやるの?」
すっかり失念していた坂本という存在を思い出し、口にすれば途端に口を歪ませ面倒くさそうに舌を鳴らした。その顔が好きだった、と恋情を蘇らされかける。ついでに指先で弄っていた代表取締役の名刺は紙くず同然となった。店、というのはここではなくスナックすまいる、というキャバクラだ。昼間はここで、夜はすまいるで働いている。そこでおりょうというキャバ嬢に云いより、回し蹴りを食らっていたところに偶然居合わせ再会を果たした。顔面血まみれではあったが莫迦さ加減と顔つきは些か年齢を感じさせてはいても銀時同様変化は見受けられず直ぐに分かった。「おー!じゃなか!」ああこの脳みその空っぽぶり、坂本だ、と呆れる私を置いて酒盛りに気分を上げた莫迦は自身の被害状況などものとはせず飛び跳ねた。キャバクラ向けの着物に同等の化粧と髪型を施した自身は自分で断言出来るほどに別人だった。それを簡単に見つけてしまうのだからヅラ然り坂本の洞察力には舌を巻いてしまったものだ。脳みそは小指程度だけれども。
「同窓会なんてする予定ねーよ、つーか、何俺に内緒でもうヅラや坂本とも遭ってんの?俺最後?仲間外れかコノヤロー」
姿を消したのはそっち癖に、と云いかけて飲み込む。仮に告げたとしても急速に積み上げられた曖昧な関係性が崩れてしまいそう。過去の、あの襖から漏れる月光に閉じ込めた一夜限りの情熱を開けてしまうことになりかねない。幸いにも平然として現れた銀時を見られるところ、もう過去の記録の一部となってたまにも思い出してもらえないくらいに埃まみれになっているのかもしれない。けれども、こちら側はそういう訳にはいかない、あの日の月光に照らされた銀髪は幾度となく繰り返し身体を電流のように流れて行くのだから。
女は上書き保存、男はフォルダー保存だなんてよく云ったものだ。目の前の男を見る限り、どうみても上書き保存だし、もしかしたらあの時の出来事は数内には入っていないのかもしれない。あの頃から密かにモテていたから(調子づかせるとろくなことはないから告げたことは一度としてないけれど)経験なんて星の数ほどあったとしても何ら不思議ではないし、硬派を気取った高杉以外とはろくな友情を築けていないと思う。(風俗の看板を掲げたヅラに、キャバクラでばか騒ぎしていた坂本を見て尚更だ)「オーイ、」左右に揺れる大きな手のひらの間から見える銀時は唇を尖らせた。あまりの変化の無さに肩の力も抜けてくる。遭えずに逃げ出した頃は変化を恐れていた癖に現実的になれば変化していないことを少し痛いだなんて勝手だ、と眼をつむった。
「別に約束とかしてたわけじゃないし。まだ高杉がいるじゃん。最後じゃないよ、残念だったね」
高杉、と咀嚼した銀時は益々眉間にしわを寄せる。寺子屋時代から全く変わっていない、この二人の不仲は(喧嘩するほど仲がいいと云うけれど)まともな友情はこちらとも築けていないことが伺えた。「どうでもいいけれど、仕事しようよ。銀時」さっきから自動ドアの開閉ベルが煩い。店員が立ち話しているとはどういうことだ、と云わんばかりに耳に残るのにこの男は格段気にならないようだった。銀時、と舌を絡ませずに溢れた素直さに胸が詰まり、何とも表現しづらい気持ちになった。
「いらっしゃいませー」
カウンター越しに店内へ呼びかけて、話の区切りを暗示させると銀時は後頭部を何度か掻くとバックヤードへ引っ込んで行った。本当に変わっていない、その仕草も何もかも。少しくらい変わっていてくれたのなら一夜限りの思い出、くらいには出来た筈なのに。心持同じくして現れてしまった人への想いは無くなるどころか息を吹き返してしまう。江戸に、歌舞伎町に戻って来たのが間違いだった。今日の朝までは日々の忙しさで燻り続けている光に意識を持って行くことはなかったのに。銀髪のくるくるパーとの再会によって今この忙しい最中であっても壁越しにあの男の存在を感じられていると思うと心臓は気が気ではなくなってくる。さっきまでの憎まれ口が嘘のようにドキドキしていた。
「そーだ、銀時、じゃなくて銀ちゃんって呼んデネ」
最近じゃそう呼ばれてんの、とひょっこり顔を出した銀時は言葉を投下していく所為で更にその高鳴りは酷くなる。職務怠慢と無性にあの天パを殴りたい衝動に駆られながらも口元は自然と笑みが浮かぶ自身が鏡に映る。誰に呼ばれているのか親しげな呼び名に心は容易く揺らめかされる。だらしない、莫迦みたい。またあの頃のような気持ちを思い出させてくれる男の身勝手ぶりにも、私の愚かさにも。
「え、店ってここじゃねーの?」
坂本と再会した話をした時には全く持って興味などない顔をしていた癖に帰り支度を終えた私に銀時は眼を丸くさせた。気怠いスタイルで居る癖に仕事をあっと云う間に覚えてしまった銀時は定時頃にはすっかりご用聞きをしなくても自身であれやこれやとそつなくこなした。昔から小器用な男だったと記憶していたから何ら驚くこともないのだけれども、そういう世渡り上手さが少しだけ癪に障った。
「違うよ、夜はキャバクラで働いているの」
道理で坂本がコンビニで買い物って柄じゃねェもんな、と頭を数回降り、キャバクラという言葉で首が飛んで行きそうな勢いで上げられる。赤い眼はまるまると肥えていた。
「は?お前が?キャバクラって……」
「はいはい、似合わないっていうんでしょ。これでも常連さんいるんだからね」
イモくさいと莫迦にされた事を断片的に思い出し、女としての魅力がある事への訴えをささやかに織り交ぜて云えば、薄い唇は少し前のめりになる。「あのチャンがねえ……」久しぶりに聞いたすねた声、自身の名前である筈が男の声に乗せられてしまうと途端に知らない誰かのもののようで落ち着かない。銀時は過去を振り返るかのように瞳は曲線を描く。何を感じたのか問いかけてみたくもあり、恐れの対象でもあるそれに線を引くのは意外にも彼の方だった。
「まァ、俺には関係ねェけど」 胸が詰まった。ああ、そうだ。坂田銀時という男はこういう人間だった。目の前に居ても何処か遠くを見ているような、近しい言葉を並べても指先にすら触れられる気がしない、そんな人。何を期待したのか。「要らない」落とされたあの頃から時間を飛ばして改めて云われた気がした。鋼鉄の心を持ったと思ったから戻って来たのだ、この歌舞伎町へ。それだというのに、唇は自身の意思では止められないほどに震え、小さく噛んだ下唇はおそらくきっと白いのだろう。ロッカーの鍵を閉めるふりで背を向けた後、いつも通りの私で振り向いた。
ぼくはまだ君を傷つけたい@2015.9.12
震えていた唇の感覚が空気を伝ってきたように手のひらで転がせられるほど分かりやすい奴だった。そのまま吐き出しちまえ、と期待した俺を容易に裏切るのがこの女だった。あの頃の彼女はお世辞にも美しいとは云いがたいなりをしていたが顔立ちはそこそこ、そこら辺のか弱いと称される女達と比べたらたくましい体つきではあったが女らしい丸みは残っていた。戦いの最中では欲求が無くなると思えばそうでもなく寧ろ生に近しいからこそそれを酷く求めた。暫しの休みの中でこぞって女を買いに行ったし、男の中で一人女であるがその対象として見られるのは至極全うなことだと思う。(男らしいとは云え女だ)他人事のように云ってみたところで自分自身も何度彼女の唇に眼が行き妄想をしたものだ。口では「ちったァ女らしくしろよ」「嫁の貰い手もねーぞー」「そんなんだから男のひとりやふたりできねーんだよ」なんて云ったりしたがいつまでも彼女が変わらないでいることに酷く安堵していたのも事実。それは無数に居る男の中で近寄ってくる誰かを受け入れていないという事と同意義だと思っていたからだ。
「うっさい!銀時みたいにとっかえひっかえとか!誰でもいいわけじゃないんだからっ」
それが肯定と取るとは思っていない素直な彼女はいきりたちながら憤慨した。白夜叉と畏れを含め付けられた名の間を名声と取る寄ってくる女は数知れず居た。それを何度か目撃したことでの中ではすっかり坂田銀時という男は遊び人という看板を背負う男になっていたらしい。「あれはちげーよ」怒りで屋根の上から滑り落ちかけた腕を掴み、否定する。女にしては太い、と思っていた腕は自身の掌の中に収まってしまい些か動揺したその勢いで指から零れそうになった腕を慌てて力を込め屋根上へ戻した。その頃には怒りよりも落下しかけた恐怖の所為では力任せに飛び込んできたその収まりの良さに息が詰まった。
「ちょっ…オメー……何?その色気のねー身体じゃ、俺ァ落ちねーよ」
動揺を悟られまいと腕の中に居る女を突き放せば「死にかけた人間に色気を求めんな!莫迦っ!」下火になった怒気自らの手で火を付け、まんまと乗せられたは胸を押し腕の中から逃げ出す。安堵、そして少しの残尿感にも似た気持ちでどかどかと大股で降りて行く背中を見送った。(俺はガツガツした女は嫌いだってーの)女に云うでもなく感触の残る指先を擦り合わせ、気を紛らわせる。莫迦がつくほど素直で(坂本やヅラもそれに値するが男がそれだとキツイ)心の赴くままに表情へ持って行ける処が密かに男たちに受けていたはそれに気付くこともなくこうして銀時の縄に引っ掛かった。すぐに逃げてしまう蟲をピンで留めてそこに置いておくかのように、気付かれないように服の上から釘を刺すその行為は背徳心とでも云うのだろうか。飾られた標本を見た時と似ていた。柔らかい感触が胸に残るそれに指を這わせてみたところで所詮は自身の筋肉質な胸板があるだけだ。血管の流れが早まったような錯覚を覚える。そして自覚のない自覚はもう少し後で身を開く事になるのだ。
「今度は何?これは何?」
綺麗に着飾った女が青筋立てて似つかわしくない立ち振る舞いで批難する。それもそうだ、と内心同意しながらも仕事という大義名分を掲げた人間を追い出せるほどの力を持っていない女は言葉を降らすだけに止めるしか無かった。変わっていない女のまっすぐさに眼を細めるも、それがお色気ポーズと勘違いしたはなりふり構わず舌を突き出し、今にも吐き出しそうだと云わんばかりだ。隙のない鮮やかな化粧と身なりに頭を鈍らされたためか不細工である筈のそれに色を感じてしまう。
「ちょっと店長!オカマがここにいるんですけどーっ!」
開店前の閑散とした店内に響く女の声を誰も拾うものもおらず、奥に引っ込んでいる影の薄い店長は壁と扉の間から「猫の手でも借りたいんだよ」と返した。オカマ、という部分には触れもせず再び消えた店長にはあからさまに息を吐いた。こっちだって選べるものならばこんな仕事したくはない。
(存在も薄けりゃ、頭も薄い癖に、ちったあ感謝しろよ。あのハゲ)
誰が好き好んで男を口説かなきゃならねえんだ、と自身の不甲斐なさから取り上げられた否定権を思い浮かべ頭を下げた。きらびやかな店内にも負けずも劣らずの女は眉間にシワを寄せる。
「いくら人手が足りないからってこんな…ばけ……迷惑かけないでよね…」
「オイイイィィィィ!今化け物って云いかけたよね?おま、そんな口汚かったっけ!?」
「何年会ってなかったと思うのよ、そりゃあ変わるでしょ」
は見せびらかすように踵を返すとそのまま奥へ引っ込んで行ってしまった。記憶の限り、あんな女らしい仕草なんて出来なかった筈なのに自然な立ち振る舞い、歩き方に過ぎた年月の長さを突きつけられた気がした。自分自身が望んで腕を放したというのにこうも気分が持ち上がらないところを見ると過去の行動を打ち消したいらしい。らしいというのも自覚の持てない不可解な、不安定な感情が頭上を回っているからだ。生まれつきの癖っ毛を無理矢理に頭上で二つ結びし、誰がどうみても男と分かる体つきに女物の服を着せられて、たくましい表情筋の上に厚く塗られた化粧。あながち化け物という形容は間違っていない。ガラス張りの壁にのぞく自身の顔は今まさにそんな感じであった。
(ぎん、とき…)
が苦しそうに云う。月夜の光で照った頬や手入れもしていない筈の唇とは思えない艶やかさが銀時の欲を表立たせる。朱くなったそれらに唇を寄せ、愛でるように触れる。化粧なんてものは無くあるがままの肌が褥にばらまかれる。それでいても女はおしろいをはたいたように白く、目元の涙は月光を反射していた。何故自分は友達である筈の女を下敷きに欲望を抱いているのだろう。ふと、冷静になった頭から溢れた疑問は女に投げかけられることなくどうでもよくなった。「銀時なら、いいよ」緊張からか掠れた声が聴覚を刺激したから。
「オメー、そんなこと云ってっけど俺以外にも云ってんじゃねーの?」
普段は力強く自身を蹴り上げる足を、腕を純潔さを放つ敷布に縫い付けている罪悪感からか、居たたまれなさを払拭するかのように野次を飛ばす。倒された女の方はそれに憎まれ口を叩く余裕がないのかいつものような調子は返らず、比例して弱々しく縫い止めている銀時の指先に軽く触れた。それがいけなかった。あまりの軽さにすり切れていた理性は呆気なく切れてしまった。
「後で泣いたって謝んねーぞ」
「………ん」
言葉少なに返したそれが答えだった。自身の天然パーマが頬をくすぐり鬱陶しいがそれすらもどうでもよくなるくらいに性的な魅力を感じて、を見た。男と女の友情は成立しないのだ、と過去に云われ、「そんじゃ、俺らで証明してみよーぜ」なんて云った哀れな男を思い出す。身体の下敷きになった女はその友情を誓った相手なのだから。大きな眼からほろほろと落ちて行く涙が敷布に吸い込まれてはすぐに乾いた。湿度が低いのか、蒸発してしまう水分は喉元を痛ませ、より思考を奪い去って行く。ああ、触れたい、と流れる涙に誘われてそこへ手を伸ばした。
「いってェ…!」
気がつくと痛みに喘ぐ自分とガラス張りとの睨み合いになっていた。伸ばした先にあったものは柔肌ではなくガラスで、意識はすっかり現代へと帰って来ていた。自分が過去をこうした形で思い出すのは珍しい、と物珍しげに不釣り合いな化粧を施された自分自身を見ながら思う。それというのも全て恋慕の固まりであった女が日常に顔を出した所為だ。あれから過ぎた年月から考えて間に女関係が皆無であったとは考えにくく、銀時も例外ではなく何度か経験は積んでいたがここまで鮮明に思い出す事も、我を失うほどに渇望した想いを感じることも眼を細めてしまうほど遠い。それをああも簡単に解いてしまう、女の存在と深さに心底驚いた。
(自分にも嘘をつくんじゃ世話ねーわなァ)
驚きを胸に置いたがその不具合に本心ではないと告げられる。女を、を忘れたためしはなかった。偶然見かけた横顔に、固結びしたフォルダーが呆気なく開かれてしまったこと、腕を伸ばしても水深の不明瞭さに想いを切れず、過ごしていたということ。月の光を杯に浴びせ、無情にも高ぶってしまい呼び寄せた顔も記憶していない女に欲を求めたにも関わらず頬に伝った涙が引き出された途端できなくなってしまったこと。女は知らない。化粧を施された自分の顔を見て昔の事を思い出したという引き出しの元が元なだけに我に返ると気分は悪くなり、指先の痛みも一層主張された。
たぶん、おそらく、そのように@2015.10.24
何処で突き指したのよ、と呆れ顔で云う。心を持ったように熱が集まった上を包帯が時計回りに行き来した。「ちょっとドジ踏んじまった」ガラスに指を突っ込んだ等とは云えず銀時はしらっと嘘を吐く。疑うという言葉を一向に行使しようとはせず莫迦ね、と薄く笑いながらはマスカラによって際立たされた長い睫毛をふるわせる。蝶の羽ばたきのような優雅さを含んだ行為は刹那の痛み止めだった。
「何も、笑うこたァないんじゃないの?」
テープが伸びる潔い音が耳に残る。は銀時の憤慨に動ずるでもなく、指先を丁寧に包み込んだ。呆れてるの、と桃色に染まる唇が紡いだ。肉付きの良いそれに眼が行く。ああ、こうして見知らぬ客の心をつかんで行くのかとぼんやり思いながらも神経は全て女に向かっていた。昔もこうして銀時が負傷すれば悪態を付きながらも手には救急箱を持ち寄り、小さな箱には収まらない傷もどうにか癒そうと必死になる彼女と重なった。
「銀時みたいな莫迦、一生直らない」
おいおい、坂本と一緒にすんなって、と白く染まる自分の腕から眼を離せば勝ち気な眼は歪められていた。言葉を失う、というのはこういうことなのかと視界が曇り上手く女の表情が読めなくなる。いつも通りの不甲斐なさは顔を引っ込めたがすぐに主張をしてくる天邪鬼の典型みたいなやつ。
「………坂本と一緒に船に沈んじゃえ…」
ぱちっと金具と止めた指先と共に呟かれた言葉にしおらしさを発揮していた銀時の眼が剥く。
「さっきのカワイイちゃんは!?」
「私に向かって可愛いなんて、疲れているの?」
懐疑的な視線は腕から銀時へと移る。今にも溢れそうだった心中は杞憂だったとでも云いた気に日常と何ら変化はない。高みの見物をしていた自負心はいとも簡単に崩されてた。
「いやいやいや、だってさっきまであんなにしおらしかったじゃん!小動物みたいだったじゃん!」
「何云ってるの、小動物ほど凶暴よ。見かけに騙され過ぎ。これだから男は……」
「男全否定!?」
否定も何も事実なのだから仕方ないじゃない。と洩らした。剣術ですっかり体格の良くなってしまったはヅラなんかにその悩みを持ちかけては「大丈夫だ。女子には変わりないのだからな!筋肉で見るに忍びなくなってはいるが、お前の前にはふたつのお……」と完膚なきまで叩きのめされている姿を何度も見かけたものだ。むっつりの典型である男はうっかりと口を滑らせては制裁を食らっているにも関わらず、今に至っても変化させようとは思っていないらしい。銀時よりもずっと近しい場を用意されていたヅラに面白味を感じなくなったのはいつ頃からか。
「あー………思い出したらなんかここら辺も痛くなってきたわ」
包帯でしっかりと巻かれた指先で胃を指差せばは拾い食いを真っ先に問いただした。攘夷時代ならばそれも頷けるが今は立派に万事屋を営む人間だ。「オイイイィィィ!」と張り上げれば待合室の真ん中を占領していたケバい女がなれたように舌を鳴らした。(俺より化けもんがいるじゃねーか)と心内を見事に透かしたは(ナンバーワンの子よ!失礼でしょ!)と同じように心を見せた。あれよりもこっちの口の悪い女の方が綺麗に見える、と銀時は整われた眉のつり上がりを一瞥した。救急箱に蓋をし、次はないぞと云わんばかりの目線で釘を刺し、くるりと背を向ける。スパンコールのついたドレスの安っぽさを演出する筈が女が着るとそれも煌々とした宝石のようだと柄にもない喩えが浮かび、チリッとした指先の痛みによって払拭する。あの頃の筋肉質な腕はすっかり女らしさをおび、身体の線に沿って作られたような服は男の性を呼び寄せるには十分な材料だった。
(触れてェな………)
一瞬の間に願望となり、顔に出てしまったことに気付き引っ込めるものの、顔の半分を占領しているつけ睫毛の間から覗く眼光と合う。ああ、こういう抜け目の無さが人気ナンバーワンを獲得する理由のひとつであるのだと知る。はと云えば水面下で行われる自身の見危うさに疎い処か、ケバい化粧を施した女のひねくれた思考も取りこぼしている。そんな女に余計な処を見られてしまった、と悪態をつくのとつけ睫毛の女が声を上げるのと誤差の範囲だった。
「ねえ、銀子さん…?」その他大勢の男ならば鶴の一声のように従わせられるであろう声色を出す。呼ばれなれない源氏名に銀子という女を探してしまい、自身の事だと気付くのに間を要した。
「なんですか」
体格の少し良い女として入った銀時が男性だという事はとその他一部しか知らなかった。それを直感で汲み取った女は立ち上がり女の扮装した男の近くまで寄る。見向きもしなかった女が見せた関心に鈍感のレッテルを張っているも流石にその異変に気付き目線を向けた。「あの子なんかより、」腕に蔓のようにまとわりつく女の両腕。耳元に寄せられた唇が唾液の音を鳴らす。オイオイ、と反応をするのにも莫迦莫迦しいと呆然としている男の傍らで一人取り残されたはこの異様な光景に身体を動かす事をやめてしまっていた。
「私の方が具合いいわよ」
虚栄心を満たすための誇示ほど愚かしいものはない。絡められた腕も触れた皮膚の熱も、きわどく開けられた襟ぐりから覗く肉色も、呆然とした女が見せた瞳の揺らめきの足下にも及ばない。ああ、泣くなよ、と頭の片隅で感じた事はすぐにによって実践された。「………っ………」動きを重視していないドレスを目一杯に広げ走り去る背中は色褪せず銀時の胸を痛めつけた。消え行く姿に調子を良くした女は嬉し気な笑いを上げ、耳元で唇を鳴らす耳障りの悪さに眉間を寄せた処で食い下がるようなしおらしさがあるとは思えない。
「莫迦ね、あの子。こんな事で動揺しちゃあ…ねえ、銀子さん?」
子供っぽい事をするのね、あの子。と嘲笑に似た笑みを唇に残し流し目で銀時を見る。この続きしましょうよ、と柔らかくかけられた息を払拭するかのように腰を上げた銀時と女、傍目から見れば女通しのじゃれ合いにも見える。女はそれでも絡めた腕を解こうとはせず「やん、」と白々しい声を出した。昔、心を分けた女は変わっていない。若かった銀時には汲み取る事が出来なかった本心を垣間みた。
「あんたに、あいつの魅力が分かるかよ。」
些か乱暴に外された腕を摩りながら女は「あなたも物好きね」とひと笑いした。さして残念がった様子もなく定位置に戻って行く女の背中は軟体動物のようだ。それを目の当たりにした性は羨む声を上げる。しかし銀時としてはそれらに構っている気分ではなかった。
「あの子ならきっと屋根の上よ、気分が悪い時はいつもそこにいるみたいだわ」
関心が無い癖によく見ている女だ。銀時の言葉を汲み取るかのように黒く塗られた中心に光る洞察力は追い出しをかけた。いつまで此処に居るつもりだ、と。いつものようなだらしなさを絵に描いたような服装しかしてこなかった為か、女物のという処か、どちらとしても相まって動き辛い。足先まで包まれたドレスでよくもまあ屋根の上まで上れるものだ、と感心する。それでも軽々と足場を作りながら二階建ての建物の上へ足を運んだ。裾から覗く臑毛の生えた筋肉質な足と似つかわしくないかわいらしい柄の着物柄が暗闇でもわかった。その頃には不満を漏らしていた性はすっかり萎えた癖に、ネオン看板の光で一層輝きを増したドレス姿の女の背中を見つければ現金にも期待に顔を上げた。
「オイオイ、銀子さんを置いてエスケープですか、コノヤロー」
「………、何か用?」
は振り向きもせず、背中を見せたまま呟く。消え入りそうな声は外の喧しい音で掻き消されそうだった。けれども敏い銀時は耳に入れる。不安定であるのに言葉の羅列は突っ返したものだった。
「何を勘違いしているかしんねェけど、」
「銀子さんだって男だもんね。そりゃあスタイルも顔もいい子にくらっときちゃうのも……わかるよ」
「あのなァ……」
耳はそげ落とした、と云うかのように聞く耳は持ち合わせないに隅に燻っていた疑問に火がつく。そもそも何故銀時はこんなにも弁解をしに来たのだろう。何故は仕事前に屋根の上でふて腐れた子供のように身体を縮み込ませているのだろう。一度発火したものは熱量を増して膨大になる。
「………前に云ったよね。望む事はなにもないって、あれ、嘘だよ」
本当は、と言葉を途切らせ続きを紡ぐ事無く細い首は自身の中へ引きこもった。ずっと聞きたかった本音をこのタイミングで、しかも焦らされて終わるという拷問を強いられた銀時は赤い眼を見開く。隣に腰掛け軽く叱咤して、と構成していた展開は軽やかに崩れ落ちた。(何これ、何のプレイ?ちょっと、チャン続きは!?)地面の斜面が意外にもきつく、過去落ちそうになった事を思い出す。その時は手を差し伸べたのはの方だったが今回は銀時がその細い腕を乞う番になりそうだった。埋めた顔が膝に擦り当てる。化粧が落ちようがそこに神経は向かっていないようだ。
「………ずっと、欲しかった」
「…………」
「銀時の心が……あの時云えなかったのは、」
は顔料のような濃い化粧をドレスで落とした後、横目で銀時を見る。照らされる顔色は微かにひかり、化粧を施した時とは比較にならない程美しいと感じた。開きかけた唇から発せられる前にと銀時が待ったをかけた。女が放つあの時、引き出しにしまおうと何度も手に取ったその思い。月夜の晩に散らした椿の残骸たちが彼女の周りを覆うようだった。当時の光景を鮮明に現代へと持って来た銀時は思い出し、良い大人となったにも関わらず恥ずかしくてたまらなくなる。
「あー……なんてーの?あの時はさァ、俺もガキだったというかさ…」
「…それはつまり、忘れてって…」
「ちげーよ……つまりは、素直じゃなかったというか…なんというか……」
あれから何度も別の女と交わした情事の数々を踏まえても、銀時は今以上に緊張することはなかった。流し目で合う視線に心臓を掴まれた気さえする。女は知らないのだ。そんなささやかな事でも動揺を引き出していることにも。あの時から一度足りとて異性として意識しなかった事はないと云う事も。そして、今も堅く閉じた唇をこじ開けたいという衝動に駆られている事も、知らないのだろう。純粋という衣はほつれもせずに綺麗にに纏わり付いている。答えを求めた眼が、揺れた。
「…一度としてあの時の事は忘れたこたァねーよ」
余裕の無さが招いた責を謝るように細い肩に腕を回す。驚いたように丸くなった瞳は焦点が合わなくなり、「嘘、」と落とした。この期に及んで嘘吐きになる程余裕を持ち合わせていない男は女の呟きに眉間を寄せた。
「嘘じゃねーよ。さっきだってなァ、誘ったのがお前だったら仕事場関係なしに押し倒したってーの」
あまりの緊迫感と、緊張によって染み付いた冗句を交えたのだが隣では本気で引いているの眼と合う。ああ、しまった、と思ったところで口から出てしまった後では後悔したところで対処のしようがなかった。「ヘンタイ」と膝小僧に向けて飛ばされた野次に口元は素直に引きつるが、確かにこの雰囲気で出して良い言葉ではなかったと反省した。ネオンの光が銀時との間を行ったり来たりしているのを暫く眺めた。たまにどちらかが「仕事」という言葉を吐いてもお互い動こうとはせずじっと身を潜めたまま。屋根の下の方でひ弱な店長らしき男の声が(これまた声もひ弱だ)投げられても返事さえしなかった。
「ねえ」
すっかり冷えた肩は銀時のたくましい腕の中で暖をとっている。その声に視線を下ろすとはもう不安定さを赦していて、男に向けた時には少し前の凛々しい女に戻っていた。女のたくましさを垣間みた銀時は口元を緩める。女装に身を包んだ男とはげた化粧とシワだらけのドレスを着た女。なんとも滑稽な姿だ。
「もう一度云って、さっきの」
「さっき?」
さっきと云うには時間はとてつもない長さを走り去った後。さっきを思い出そうと銀時は一刻前の事に手を入れた。そして、ああと思い出し女を見るが早速引き出しに仕舞い込んだのかと云う非難の眼を突き刺しにかかった。少し焦らしただけだ、と嘯いて(それくらいの嘘は赦してもらえるだろう)男は二つ結びした天然パーマのボンボンを揺らした。