店の番をしていると必ず店にやってくるレイさん。昔はたいそう有名な海賊の副船長だったらしいけれども今のレイさんしかしらない私にとっては到底想像出来ない事だった。本名はレイリーと云うらしいのだけれどもこの島にいる限りではレイさんと呼んでくれと念を押された。レイさんが云うことなら、ちゃんと聞きますよ。と笑えばレイさんも同じように笑う。お年寄りにしてはしっかりとした胸板が上下するのが少し肌蹴た服から見える。それが視界にちらつく度にちょっとどきどきしてしまうのだけれどもレイさんはそれに気付くことなく笑う。ああ、止めて。歳、いくつ分回ってしまうのか考えるだけで恐ろしくなる年代のレイさんの胸板に胸をときめかせているなんてどうかしている。自分にそう云い聞かせて毎日のようにシャッキーのぼったくりバーに通うレイさんを歓迎した。

大体この店で頼むのはお酒とかお酒とかお酒とか、兎に角お酒。お酒以外飲んでいる姿はこの島に来てレイさんと会ってから一度もない。食事はとっているのだろうかとかとても心配になって聞いても食べているよと明らかに嘘を付かれているのにも関わらず云い返せない私の性格が恨めしい。生活も女性宅に住み込んでいるらしい、それも複数の女性達のだ。初めてレイさんに会った日、胸をときめかせるような笑顔に一瞬でやられてしまった私は色々とシャッキーさんから聞いた。

思わない答えに鉛のような重さの感情がどっと押し寄せたのを覚えている。シャッキーさんなら、顔も知らない女性なら、もっと上手く彼に食べ物を口にさせることが出来るのだろうと思ったら少しだけもやりとしたものが胸を渦巻くのが分かった。女性に対してならともかくシャッキーさんまで汚い感情の対象にしては駄目だ、レイさんがいるのに酷い姿見せたくない。どうした、お嬢さんとかかる声に顔を上げ笑う。大丈夫大丈夫。

「あ、いえ…というよりレイさん、お嬢さんは止めてくださいってば」

反射で朱くなる頬をしかとレイさんに見られて、笑われる。可愛いというのも近場の年代ならば素直に嬉しい、けれどもレイさんの年代からの言葉になると子供扱いされているような感覚がして気付かない内に眉間に皺を寄せていた。

「可愛い人にはお嬢さんという呼称が善く似合う。私は好きなんだがね」

ウイスキーを傾け、喉が上下する。私にはないごつごつとした首筋はとても魅惑的で同じ年代の異性にはない色気が混じる。グラスを傾ける指先も太く男らしい、生半可な人生を歩んではいないと容易に想像出来る。浮き出る血管が歳を重ねた人間の手の甲だと理解させられる。それでもまだ私の眼は彼の仕草に夢中だった。からん、と鳴った氷のお陰で我に返れば既に飲み終わったグラスとレイさんの視線にかちりと合う。ああ、まただ、と恥ずかしくなり視線を逸らせば何が愉しいのか笑い続けるレイさんの声と唇。薄い唇に触れてみたい…けれども目線は恥ずかしくて合わせられない。云い返そうと平常心を取り繕ってウイスキーのボトルを手にした。

「…子供扱いされているみたいで、厭です」

平常心、と何度も心の中で繰り返してレイさんのグラスにウイスキーを流しいれる。自身ではきつくて飲めないそれがグラスへ流れていく様子を見て、ここでもう対等ではなくなったと心が痛んだ。ぎしぎしと軋む心音はこの数ヶ月で酷くなる一方で、幾らレイさんのどうしようもない部分を聞いたところで恋する女の盲目さに勝てるものは無かった。

「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」

レイさんの指先が滑るようにグラスへ走る。
それはまるで繊細なものを扱うような、優しさが含まれている気がした。どくどくと全身を行き来する血液が沸騰しそうだ、決してやましいことを考えた訳ではないのだ。ただレイさんの色気にあてられているだけ、そうだ、と少し云い訳をしてみることにした。

「君は、いつもそうだね」
「、何がですか?」
「逃げ道のない処でも、ちいさな隙間を見つけてするりと逃げてしまう、巧妙に。私の言霊の呪縛はそう簡単ではないと自負はあるのだがね」

ウイスキーの入ったグラスが傾く、唇に近づいていく。いつものように、自然に眼で追ってしまう。流し込まれる度の強い液体、その先には鋭い眼光を持ち合わせたレイさんと眼が合う。初めて合った視線に、動く喉や唇、指先をいつも私が見ていた事に気づいていたのかと頭の片隅で思った。空気を吸う事ができなくなりそうな、その気迫に潰されそうだ。息が出来ない、苦しさに掠れた声で名前を呼んだ。

「お嬢さんは止めだ、

いつものレイさんらしくない、否私が知る限りでこんな鋭さを持った眼や雰囲気のレイさんと向かい合うのは初めてだった。初めて呼ばれた名前に、一瞬で心臓を持っていかれそうになり言葉にならない声が唇から洩れる。固まった身体にレイさんは面白いものでも見るかのような、そう喩えるなら射程内に入った獲物をじっくりと観察するかのような笑い。これが、彼の本気であるのかと動かない身体と思考に震えた。

「………まったく、私らしくもない」

そうレイさんが呟いた後身体は途端に動かせるようになる。は、とし辛かった息が元通りになる。力が抜けた指先からウイスキーボトルがすり抜ける。落ちてしまう、と頭では理解していても反射が追いつけない。伸びてくる腕、マントに隠れて中々見られない二の腕が目の前を降下していく。善い音が聞こえ、やっとの事動いた思考がボトルを追いかける。見れば逞しい腕がカウンター向こうへと戻っていく姿、視線を辿ればレイさんの困ったような表情。

「すまない。危なかったね」
「、れ…い、さ…」
「いつもはないのだが、ついしてしまった。身体が辛いだろう?此方へおいで」

わけの分からないままレイさんに腕を引っ張られカウンターの向こう側へ。客人が居る間は決して行かない向こう側へ呆気なく超えた。レイさんの隣の席に身体を下ろされ驚いている間もレイさんの顔の皺は変わらない。しかし初めてだ。こんなに近くで彼を見た事はない。逞しい腕や首筋、胸板、カウンターの向こうでは分からない細かい線。未だに困ったような表情のレイさん。どれも私のものではない。今私の頭を撫でる掌も他の女性のものなんだと思ったら何とも云えない気持ちになった。そう思ったら自然と出てしまった、気付かないふりをしていた心の声を。

「私だけを見て」

出てしまった言葉を押さえ込むように唇を両手で覆ったけれども出てしまった言葉を飲み直すことは出来ず、こんな近い距離で居ながら聴こえなかった、や、何も云っていないは通らない。頭を撫でていたレイさんの腕が止まる。もう此処には、私が居る日には来なくなってしまうだろうか。厭だ、淋しい。あげられない頭の中では痛みを呼ぶ感情ばかりが渦を巻いていた。、と名前を呼ばれる。駄目だと思っていた私の耳に入ってきた声は酷く優しくて、驚きに顔を上げればレイさんは笑っていた。何故笑うのだろう、と泣きそうになる心理状況の真っ只中の私にレイさんは顔を近づける。あ、と思った頃には素早く奪われた唇に先程まで思っていた負の感情は何処かへ飛んでいってしまった。

「シャッキーに怒鳴りつけられても君が欲しくなってしまった、


2011/12/21|好きも嫌いも全部ばれてる|群青三メートル手前