夜中の見回りに出た私はどうしようもない焦燥感に駆られていた。と云うのも先程不覚にも居眠りをしてしまった間に見た夢が悪かった。まるで眠ってしまった罰とでも云うかのような内容に睡魔はあっという間に引っ込み、二十四時間以内は眠れないと確信する。会わなくちゃ、顔を見なくちゃ、と頭の中で気持ちだけが前へと進んで行くのだけれど曲りなりにも私は教師であり今日は見回りの日の為、勝手な行動は出来ない。それを分かっていても心は一目だけでも彼をと求めるのだった。

校内はとても広く、学生時代から教師となった今でも全てを知るにはまだまだ時間が足りない程だ。それでも差し支えない程度には道順はしかと把握してあるから安心ではあるが夜の校内は何度歩いても慣れるものではなく、新任当初はセブルスに無理を云って当番を同じ日にしてもらったりしたのだ。(見回りの効率は物凄く悪くなり、夜中抜け出している生徒を捕まえられず逃がし、闇の恐怖よりも身近な恐怖があると気付かされた)けれども一人で廊下を歩き眠りこけている絵画やひっそりと逢瀬を重ねている絵の中の人物達を見ていると恐怖心など何処かに消えていってしまうのだけれども。

「ちょっとあまり明るくしないで戴きたい、ムードを大切にしているので!」

大声で叫んだ絵画に眼を向ければ男爵らしき人物は運悪く、綺麗に着飾った女性との逢瀬の最中だった。ごめんなさい、と謝りさっさとその絵画がある廊下から逃げ出せば気分を害したように鼻を鳴らす声が耳に響いていた。

絵画の癖に、と悪態を付きたい処だったが自身の仕事ぶりは彼ら達に見張られている事、つまり彼らの評価が私への評価そのままになったりするのだから侮れないのだ。だからあのセブルスでさえ文句を云われても黙って通り過ぎるか、云う通りにするとか考えられない程従順に従う。(ダンブルドア校長顔負けね!)まあ彼がそういう評価を大事にしているようには見えないがあまり目立った事をしたくないのだろう(まあ、結構生徒の間で大変人気があるようだから無理な話だろうけれど…あ、これ皮肉ね)何も壁に張られていない中庭沿いの廊下に出れば空も闇色にすっかり染まり月の光だけが頼りだと草木が揺れている。あまり暗闇は好きではない、何故なら彼が、セブルスが溶けて消えてしまいそうに見えるからだ。実際人間がそう容易く溶けたりしない事は知っているけれど、少しだけ不安に思ってしまうのはきっと夢が続いているからと錯覚している所為なのだろう。

(全てが夢であってほしい時もあるけれど、)

しかし、夢であった時の落胆もまたあるだろう。少ない時ではあったがヴォルデモートは確かに闇の奥深くに消えていたのだから。それが喩え友人のジェームズとリリーを犠牲にして、ハリーと云う彼らの子供の額に呪いを残したとしても。リリー、頭の中で彼女の思い出がポラロイド写真、マグルの写真機で写したように彼女についての記憶が写り込む。その殆どがセブルスと一緒に過ごしているものだった、ある日を向かえるまでは本当に二人は仲睦まじかった。私はそれを遠目で見るしかなくて彼女のように彼が苛められても止める事さえ出来ずに、ついには失言を愛おしさを込めていた彼女に吐いてしまったのだから私の所為だと叱責しても善い位だ。

皮肉な事にセブルスと話すようになったのもプライドを傷つけられた彼女が離れていくのと同期だと云う事に未だ彼は私に問いかけてこない事が不思議でならなかった。聡明な彼ならばとっくの昔に気が付いているだろうにといつの間にか中庭を歩いていた事に気付く。寒さで唇が小刻みに震えて、建物内はそこまで寒くなかったから薄着で出歩いていた事に気付き何か肩にかけてくるんだったと後悔する。過去の記憶を遡り過ぎた所為か、それとも心の奥に眠っていた呵責の念が再び顔を出したのか、胸が燃えるように熱を帯び苦しくなり息を詰めた。

「、っ…」
背筋が氷のように冷たくなったかと反射的に振り返れば校内には入ってこられない筈の吸魂鬼が十ミリにも満たない傍で顔辺りの布を裂いたのを目撃する。突如入ってくる気持ちの悪い程の厭な記憶、死喰い人になると云って去っていったセブルス、アズカバン送りになったシリウス、痛々しい程の差別を繰り返されてきたリーマス、殺されたピーター、ジェームズとリリー、ヴォルデモートの復活に伴い印が疼いているのか眉間に皺を寄せたセブルス。また闇に消えてしまわないようにと腕を掴んでも払い退けられてしまう。夢が引き出される、庇われる筈などなかったのに飛んできた緑の閃光から私を守ろうとして黒をはためかせて胸の中に守った大切な人がそれを直撃し、みるみる内に冷たくなっていく。何でも善い声を聞きたいと倒れてきた細い癖に長身の所為で重たい身体を揺らしてみても漆黒の男は動く事すらしない。(貴方の得意の厭味でもいいから聞かせてよ、ねえ)そう云いながら飛んでいる髪の毛を掻き分けて見つけた輪郭を指先でなぞっても、閉じられた目蓋が持ち上がる事もなかった。込み上げる吐き気、悲しみが一気に押し寄せ喉元を滞らせる、聴覚には笑うヴォルデモートの声が聞える。彼はもう死んでいる、と云うのに世界は動いていた、私も今この瞬間から彼よりも先を行く事になってしまった。動かない、吐瀉物が黒いローブにかかる、涙が自分の意思関係なく溢れて仕方がなくなる。マグルの写真機のような動かない写真達が増えていく。(止めて、やめて、やめて!)

「エクスペクト・パトローナム!(守護霊よ来たれ)」

心臓の音が近くで聞え、光が差す。それに沿って視界を広げれば明かり等でなく闇一色だったのだけれどそれは私にとって光と同等の意味を持つ黒だった。

「せぶ、るす…、」
「何故此処に吸魂鬼が…お前もだ、夜中に外をうろついていようとは。呆れたものだ」
言葉通りに呆れ返っている証拠の溜息を落とすとその息が間近にある私の顔に当たりくすぐったい、心臓の音はセブルスのものなのかと気付かされる。夢ではないと証明する心地好い心音に泣きそうになりながらいつものように憎まれ口を叩く。

「教師が外に居た処で咎められるような事はないと、思うけれど」
「ふん、我輩が偶々此処を通らなければ死んでいたものを。少しは感謝の念と云うものはないのかね」
「ありがとうございます、スネイプ教授」
「…癪に障る云い方以外出来んのか」
「生憎、こういう物云いでしか感情を表す事が出来ないの」

腕の中から引き剥がされるかと冷や冷やしながら言葉を紡いでいる私にセブルスは胸に縋っている私を避けようとはせずじっと私の言葉を跳ね返していく。それが自身の掌が彼の腕を掴んでいて、笑いを堪えている時のように震えているからだなんて認めたくなかった。

「そんな捻くれ者では嫁の貰い手もないだろうな」
「セブルスが貰ってくれるの、?」
「何でそうなる」
「だって捻くれ者同士じゃない、」

そう云えばセブルスが私の身体を引き剥がしに掛かるのを知っていた。
素直にそれに従えば先に立ち上がった彼はローブを夜風に靡かせて、相変わらず偉そうに見下ろしているが、私は懲りずに笑う。

「照れてる?」
「黙れ」

セブルスは我慢ならなかったのか、この戯言に時間を浪費するのが無駄と感じたのかローブを翻し夜には相応しくない強さで靴底を地面に叩きつけながら建物の中へと戻っていく。待ってよ、とその後姿に遠慮がちに音量を下げて投げ掛けてみても聞えているだろうに無視を決め込んだと思われる闇に善く似た黒衣を纏った男は消えていく。ぽつんと一人残された私はと云えば地面に座り込んでいるビーブスなんかがうっかり目撃したら変な噂を立てるに違いないだろう格好を直しながら、自分を導いた光と闇に嫉妬する心に気が付く。厭な感情が頭に思い浮かぶ、彼女が居たらきっと彼は私を見る事等もっと無かったに違いないと。それでも我に返った後はハリーとセブルス、彼女の友人達への罪悪感で喉が詰まってしまうのだ。やっぱり彼女には敵わないのだと光の中で見えた雌鹿の姿に少しだけ哀しさが胸に舞い戻ってきた。

07#救われないと思う午前2時