彼を招待する、という話にまとまってから三日が経過しても、兄は重たい腰をあげることはなく、痺れを切らした姉はしぶしぶ「、頼まれてくれるかしら」と云った。珍しく折れた姉を見つつ、惚れた弱みというものはこういう処に現れたりするのだろう、と思う。三日前の結婚発表から、随分と時間が経ったようにも感じるのは私だけで、周りは慌ただしく、もっと時間が欲しい、とぼやいた。

笑う姉は、美しさに一段と磨きをかけていて、純白のドレスに身を包む姿は名の通り、まさしく百合のようだ。緩やかに流れる波に沿って、長く美しい赤毛は白地によく映えた。当日の愉しみに、今の高揚感を奪われた兄は、しぶしぶと部屋に引っ込んでいたのだけれど、姉の部屋から出て行く度に「リリーはどうだい?」と何度も聞いた。

初夏の暑さにやられたのでは、と責任転嫁を行いたくなりながら、卒業をしてしまった彼にどうやって伝えようかと考える。交友関係としては、他と群を抜いて良好だという自負はあって、少なくとも「ただの知り合い」ならば毎年の長期休暇に手紙のやりとりは行わないだろう。梟便を飛ばしてしまうのもひとつの手ではあるけれど、彼にこのことを伝えるのに、文字はやや残酷さを増す気がした。

「リリーの様子は?」

最早数えることも億劫になる、兄の問いかけに早々家から立ち去ることにして、彼にも告げよう、と決めた。彼はどの分野において最良ではあったけれども、魔法薬学が突出して優秀な人で、卒業後は研究所に道を進める、と云っていた。多忙を極める職場だと、先週に届いた手紙には達筆な字でありながら、やや差し迫ったようなめまぐるしさが感じられるものだった。そんな彼を引っ張ってきて、突然「姉が結婚するの」と云えるものなのか、ぼそり、と雑草に落としてみると、案外すんなりと口を滑ったが、胸は彼を代弁したかのように傷んだ。

「遅かったわね」

姉は夕食の支度にいそしみながら、振り向いて、やんわりと心配りをする姿は、耽美を一層引き立てる純白から身を抜いても、引けを取らない。彼に伝える手段がわからないことで、思い悩んでいる心持ちが罪悪感となって、なかなか返事を返せない私を知らない姉は、手元に目線を戻して鍋を回していた。

余裕のなさや、周りを見通せる瞳を持っていない事がとても悔やまれたが、知りつつも許容していた自身の枷であるのは詳らかだった。その様子に、さして重要ではないと云うかのような笑顔で、姉は「さっき、セブルスに会ったわ」と云った。

彼は来る。招待したのが主催本人からで、彼が最も愛する相手であるなら尚のこと、断る理由は見当たらない。その時どんな顔をして彼は、姉を見たのだろうか。感情任せの正直な彼を見たことのない私には、想像もできなければ表現のしようもない。眉間を寄せた皺が彼の愛嬌であると笑える姉に、彼は変調をきたして、羞恥心に青白い頬が染まったりするのだろうか。胸の縁であふれ返る、怒りとも取れない感情の波に、想像出来ないのではなくて、考えたくなかったのだと知った。

「友人として当たり前だから、と。彼らしいわ」

買い出し途中の偶然は、幸か不幸か、測りかねた想いを知らん顔をして、呼び寄せられた。姉が友人として彼を思ってことは、彼自身が痛いほど分かっていることが言葉から滲み、溶け出して醜くなっていくようだ。当たり前に含まれた情緒は、きっと姉の想う友人とはかけ離れている。彼は来るのだ。その事実だけが呆然と突っ立っていて、私を笑うかのようだ。

「ペチュニア姉さんは、」
「この間の一件でね、まだ腹の虫が収まっていないみたい」

肩をすくめた姉の表情からは、苦々しさ具合で詰まり、手の打ちようがないと、若干ながらに諦めているようだった。話題を彼から遠ざけたいが為の、苦肉の策が、姉の地雷に踏み込んでしまった。長女であるペチュニア姉さんからしてみると、ジェームズ・ポッターという存在は、獅子身中の虫であることは、ある一件で明白にされ、それが今となっては、私やリリー姉さんにも当てはまることだった。

「私、この料理の匂い好きなの」

一度決心をすると、屈折を覚えない強固な心を持つペチュニア姉さんの性格を、お互いに厭なほど理解を示し、きっと彼女は来ないだろう、という結論が頭に浮かんでいるのが噛み合う視線で分かる。だからと云ってそれを口にしてしまえば、事実として享受しなければならなくなり、そこまでの力はまだ欲してなくて、さらなる話題の転嫁を図った。

「あなた、これ前に嫌いだって云っていたじゃない」

杓子をとっていた指先が離れて、力なく落ちた腕を追った後に、姉を見るとやや淋しげにも、私の下手くそな会話の種を育もうとしてくれる。その優しさは、どんなに焦がれても届かないものだと知っている。それは、彼によく似ていた。

式に出たくない、と朝日を浴び、外野にて聞きなれない声たちの行き来を聴きながら、布団を被りなおすと、すんなりと夢心地に浸れそう。その瞬間、何もかもがどうでも良くなり、身をどっぷりと沈めたい気持ちは、良く聞きなれた声にお尻を叩かれてしまった。

「…眠い」

雑多とした家の前は、先週までの殺風景な庭からは、到底想像し得ないほどの華やかさで蔓延していた。高々と上がっている白い布の周りには、姉の好きな百合の花がそこかしこと飾られていて、垂れ下がるレースの滑らかさから、飛んでいく金貨の数を数えてみたりする。祝いの場であっても現金な気持ちが思い浮かんでしまうくらいには、高揚としているらしい、と自己分析して、眠気から立ち上がれない身体を支えながら、姉の登場を待つ。

「似合う似合う、馬子にも衣装ってやつだね」

周囲に負けんじと、賑やかさを引き立てる言葉を放つ兄が、立っていた。幕のしだれ具合も程々にして、兄は細身の白いタキシード姿で、平然と失礼な言葉を放つ。兄の背後からは、悪友であるシリウス・ブラックをはじめとする面子が正装をして、こちらを見ていた。

「そういうジェームズこそ、マトモに見えるね」

兄はやりかえしを意に介さずに、にっこりと満面の笑みを浮かべて、打ち明けた時のように「まともに幸せになるよ」と云った。眼鏡の向こう側で細められる瞳は、満ち満ちた幸福に溢れていて、ああ、本当に姉と結婚をするのだな、と実感する。いつの間にか姉と良く似た表情をするようになった兄に、「おめでとう」と告げた。

早朝の涼しさから一変して、湿度と気温の上昇を肌で感じていると、それが合図であるかのように誰かが開式の合図を出した。着席をしていく面々を見つめて、彼を見つけようと躍起になっていることに気付かされて、心を潰すように思い切りよく瞼を閉じた。彼が来ても、来ていなくても、私にはどう声をかけたらいいのか分からない。瞳孔のより深い処から、何かを感じ取ってしまったら最後、せき止めていた気持ちを吐露してしまうのが眼に見えていたし、なによりも自分自身が耐えがたかった。

「セブルスはまだ来ていないよ」

せわしない視線に、意図するところを汲んだ誰かが、こそりと耳打ちをする。
少し驚いて、振り向くと、兄の悪友のひとりであるリーマス・ルーピンが、色白な肌と酷く不釣り合いにも、眼の下に色素沈着を蓄えて、微笑んでいた。気疲れにも思えるものは、それ以外の様々を含ませているからで、間接的に知ってしまった身としては苦々しい心持ちを抱かずにはいられない。やや身を乗り出してまで、知らせてくれるほどに、私は彼を追いかけることに意識を持って行き過ぎていたことに気付かされる。

「そう、」

取り急ぎ、無関心を装ってもみたけれども、若々しさから遠ざかる目尻の皺が、それらをやんわりと跳ね除けたことを知る。珍しく後頭部に纏めた赤毛が、違和感をもたらして、つい不必要な言葉を紡いでしまい、下唇を噛んだ時にはもうそれは、しっかりと相手の耳にも届いていた。

「彼は来るよ。大丈夫」

何を根拠に、と場の雰囲気に不釣り合いな睨みを効かせると、リーマス・ルーピンの後方で大人しくしていた不遜な態度の男が、同じくして首を前に出す。厳粛かつ神聖な時であることに理解を示しているのか、かき消えそうなほどの消極的な声色で呟かれる言葉に、鼓吹の如く不快感を催すものだったのを、優男さながらの悪友が制した。すると、尊大そのものだった男の態度は、火を見るよりも明らかに、しゅるしゅると大人しくなった。

「おめでとう、綺麗よ。姉さん」
「あら、ありがとう。あなたもよ」

婚約式が終わり、無礼講になると、面々は堅苦しさから解放されて、一段と賑やかだ。姉に近づく間、焦がれる黒色に目を配らせても、見つけられるのは鬱陶しいほどの、黄色い声を一心に集める男だけだった。主役が別であれども、視線を一点に集めてしまえるのはある種の才能ではあるが、こういう時くらいは影を薄める術でもかけてくれないか、と思わずにはいられない。姉はそれを見ながら、「彼も大変ね」と云い、純白に身を包んだ身体をおかしそうに揺らした。それに合わせたイヤリングが揺れる度に、突きつけられるものから、姉には一生叶わないのだ、という想いが緩やかながらにも、深く、胸を蝕むのが分かった。

「わあ…!」

滅多なことでは驚嘆の声をあげない姉が、この時ばかりは珍しく心の底から驚いたようで、心ゆくままに声を広げた。その姉の見る空を、辿っていくと、真っ白な何かが大量に落ちてくるのを眼にする。それが、姉の愛すべき百合の花であることに気付くと、知りもしないのに、彼を彷彿とさせた。吸い寄せられるように、私の視線だけが下に落ちて、遠くの一点に向かうと、白い美しい雨の間から、場にそぐわない仏頂面をぶら下げた男が、立っていた。それを眼にした途端、何故か無性に泣きたくなってしまった私を見透かすように、遠くにいる彼が憎らしげに唇をあげた。

「セブルス!来てくれたのね!」

暫く花の流れに眼を奪われていた姉は、彼に気付くと、大きなアーモンド型の瞳が丸々とさせて、彼を捉えた。その頃には遠のいていた彼も、すっかり近くなって、姉が小走りで数歩足を進めれば、あっという間に彼の腕の中へ飛び込めた。

「…何かあったんじゃないかと思って心配したわ。あなたが約束を違える筈がないもの」

彼は突然のことに身を強張らせて、まるで繊細な陶器に触れるような、恐々とした腕が宙を彷徨ってから、ぎこちなく姉の背中に回される。まるでふたりの結婚式のような、親密さが漂うことで、どうしようもない苦しさと、云いようのない醜さがとぐろを巻いてしまいそうになるのを、降り続ける百合の花を注視することで、押し留められた。降らされた百合は地面につくと、雪のように溶けてなくなり、幻影のような演出が、私の思う処の彼らしさ、だった。

「あのやろう…!」

私の後ろで兄の批難と、悪友の悪罵が間を割っていきそうになるのを、静かに牽制する言葉が覆いかぶさることで、ふたりの雰囲気が破壊されずに済んだ。

「すまない…少し、手間取ってしまって…遅れた」
「いいのよ。来てくれたことが嬉しいわ」

たっぷりとした時間を使って、抱き合ったように思えたふたりは、やっとのことで離れていっても、彼はまだ緊迫した気持ちから脱することはできないようだった。無条件の信頼を口にした姉を、些か驚きつつ、喜びが滲みだされるのを眼にする。

「…おめでとう。その、良く似合っている」
「ふふっ…ありがとう」

寿ぎが花びらとくっついて、そよ風に流される様を見ていると、折角留めた感情が溢れそうになった。それぞれの思うところを存分に感じながらも、私の心は全て彼の感情下にあって、今、どんな想いで姉を見ているのか知りたいようで、知りたくない複雑さで胸はいっぱいになる。彼と同じ黒を持ちながらも、崇高さを些か取り違えたような男が、小さく舌打ちをするのを聞き、振り向いて、隠れもない不快感を眼にすると、一層違いを見せつけられたように感じた。

「姉の結婚を汚さないでくれるかしら」
「それはこちらの台詞だと思うが」

艶のあるまっすぐな前髪の下に湛えた双眸を見る。垂れ幕のように伸びた黒髪から窺い知る、鋭さとも違う男の瞳は、ただ反骨精神をより顕著にさせるだけで、いい反応を示さない。男の云うところは最もで、不完全な祝福は、地面に溶ける魔法をかけてしまった方が良かった。

2016.07.15