「、随分と派手だな」
呆然と想いに捕らわれている間に、彼は姉との対面を終えてきていて、いつの間にか目の前に立っていた。先ほどの高揚感からか、青白い肌に乗る薄紅色が、彼を幸福へと導いたのを眼にすると、そこから心を閉ざしたくなり、俯き加減で、彼から視線を逸らし、らしくない行動をとってしまう。
「それ、は、似合わないってこと?」
自虐気味に唇を歪めてしまうと、まるで彼のようだ、と下唇を噛んだ。視野の隅で、彼がまた薄く笑うのを感じて、今日は良く笑う、と思った。姉の結婚式で、彼が満ち満ちた気持ちでいられるのはあの瞬間だけで、いつかは見限らなくてはいけない慕情なのだ、と思い出すと、僅かに冷静さが戻ってくる。
「似合わないわけではないが、いつもの方がいい」
不意を突かれて、思わず頭をもたげると、彼はしてやったり、と普段からはあまり見られることのない意地の悪さが瞳を焼いていた。嘘ばっかり、と喉が震えたけれど、上手に彼へと伝わり損ねて、彼の云う派手な化粧の下で皮膚が悲鳴をあげる。黒々とした双眸は、いつも通りではない私を訝しがるようだった。学生時代にはそれこそあらゆる催し物があった筈なのに、一途な彼は一時の過ちを犯すような不実さはなく、私がどぎまぎしてしまうのは、初めて眼にする彼の正装姿が様になっていたからかもしれない。
「流石は魔法薬のプリンス」
「…その呼び名はどうにかならないのか」
彼は些か厭そうに、眉間の皺を寄せあげると、重たげなローブに身を包んだ普段通りの彼が重なり、胸は安堵を覚える。着なれないのはお互い様で、彼は窮屈そうにネクタイの結び目に指をかけた。式はまだ賑わいを見せていて、これから、というのに彼自身は役目は終えたと云わんばかりで、私も彼が隣にいるそれだけで満足だった。
兄が、姉に何か申し立てをしているのを尻目に、早々に取り下げられたのか、肩が落ちるのを見ながら、彼を主軸としていた私には直ぐにどうでもよくなってしまった。
「酸素が薄い」
どちらがそう呟いて、どちらかが軽く頭を振ると、意気投合させた足は同じ方向を向いていた。テントから出る間に、彼と同色を持つ男と眼があったり、姉の微笑む表情を見つけてしまうと、内心に隠した気持ちを悟られたような、錯覚をして、ひっそりと彼に目配せする。そうすると、彼はやや忸怩の気持ちを抱いたのか、頬の熱を戻して、姉から瞳を逸らす処だった。本心をまざまざと突きつけられたように、衝撃の波が襲っている中で、祝いの席からは金管楽器がけたたましく鳴らされた。
「もう少し紳士的だったらモテそうなのに」
「あら」
時々、姉への想いが嘘のように、素っ気なく対応をする彼を見て、内心の心持ちが口をついて出てしまうと姉は、意外だ、と云わんばかりの表情で私を見た。最も見た目を重要としていないからか、伸びきった前髪や、ややべたついた髪の毛をどうにかすれば、を前提にした話だ、と糊塗する。そう指摘する言葉から、一転して姉は、自身の信念が曲げられた時にする、険しさを少し混じえてから、唇を開いた。
「セブルスは誠実よ。嘘はないの。飾り立てない態度だから素っ気なく感じるのね…それが彼の魅力だし、長所だわ。そんな処が好きよ」
見た目は関係ないと、微笑む姉は美しく、途端に自身の流れ落ちる重たい醜さを知ることとなり、淀みなく心の内を開けられるのは私には出来ないことだ。それでも姉の云う「好き」は友人としてであって、心を揺さぶられる気持ちではないのが、唯一の救いだった。
「おい」
言葉が沁みて、声を手繰り寄せると、彼が「何を寝ぼけてるんだ」とすかさず野次を飛ばす。喧騒の中から一変して、しじまの中へ飛び込んだように物音ひとつさえしない。彼はいつの間にかネクタイを解いていて、煩わしそうにスーツのポケットに突っ込まれている。姉の結婚式だと云うのに、随分会場から遠のいたようにも感じて、焦りを含めて彼を窺い知ろうとすれば、ああ、と曖昧にされた。
「慣れないことはするもんじゃないな」
意味する処は、姉への贈り物を指しているのは、詳らかだ。彼にしてみれば随分と派手な演出をしたものだし、姉への気持ちとしては物足りないくらいだったのではないか。じわり、と心中を侵食する黒さが姉の高潔さを汚すようで、見ていられなくなり、そこから視界を閉ざしてみた処で、彼を想い続ける以上、逃げ切ることは不可能だった。惚けた頭で、辺りを見回すと、見慣れない建物がそびえ立ち、頬をかすめた赤毛が屈折する。
「セブルスの家?」
姉の後ろにひっついて来たことのある彼の家は、一度という記憶のみで、ここまで静寂に包まれていただろうか、と思う。そう感じると同時に、彼は、私の問いに頷いてから、扉を開いた。ぼんやりとしてしまったのは、彼の姿あらわしに連れられたからだ、と鈍い頭はやっとのことで理解に及んだ。結託した割には、吞み込めないのは私の方だけで、彼は平然として道標を担う。結婚式はまだ続いているのに、という言葉を飲み込んで、彼に続いて部屋へ入ると、普段の忙しなさを物語るように至る所、私物が散乱していた。彼は咳払いをひとつ落として杖を振ると、やっとのことでらしさを取り戻したようだ。
「適当な処に座ってくれ」
彼の意図が読めずに、ソファーに腰掛ける。ドレスについたレースが太ももの裏を陰湿ながらに攻撃したことで、悪質な品だと気付かされて、もう二度とあの店では買うものかと思った。たっぷりと五分、十分、時計の動きだけが滑らかに動作するのを尻目に、「気まずい」という気持ちを初めて抱いた。
「…まだ式は終わっていない筈だけれど、」
「分かっている」
向かい合わせに腰掛けた所為で、絡まる視線を解く力よりも、結びつける作用が勝ってしまい、反論は一向に上手くならない。肯定を受けた処で、滑らかに紡がれた言葉に戸惑うのは、私の方だけらしい。
「なら、」
戻ろう、と提案した唇を、そっと細長い緻密さを自在にする指先が受け止めた。らしい部屋で、らしくない行動をとった彼に、憮然とする。酩酊さながらの思考回路が、彼を分析しようとしても、ふらついてしまう不安定さがそれを赦さず、あっという間に遠のく、彼の身体を見つめた。
「…あのブラックがお前を妙な眼で見ていたから、戻るのは得策ではない」
二度目の驚きと、彼のおかしげな表情と、あの男の視線の絡み方が噛み合わず、ゆっくりと咀嚼をしてから飲み込むと、これはまた不味い味がした。「妙な眼」の正体が掴めずに、彼の背にそびえる棚に並ぶ本の背表紙をなぞっていくと、一向に動揺を見せない双眸と何度目かの混じり合いをする。
「あのブラックが?」
折り目をつけて、動揺を隠しつつ、気の高ぶりで可笑しくなったのでは、という思いを混ぜ込んで云うと、彼の鋭利な瞳は、とりわけ顕著になった。彼の云う「妙な眼」は嫌悪の表れ以外の何者でもなくて、互いに蛇蝎の如く啀み合っているだけにすぎない。考察の上に検討する冷静さと正確さを保持している、彼にしては早急な答えのように思えた。けれども、そんなことだけで姉の結婚式から遠く離れたスピナーズ・エンドに来てしまう、彼の内側が不明瞭で、そっちの方が私には妙に映った。
「私には分かる」
軽視している私に、彼はやや機嫌を損ねたようで、いつもよりも音調を一段階下げた声色で呟いた。ブラックについて、考慮するのが最も苦痛というように、眉を寄せ、唇を歪ませる。往々にして彼は、ぼやかした云い方をして困らせるものだから、切り出せる言葉に迷う。案外、彼は言葉を欲してはいなかったようで、何度も交差する視線から、漠然としていても分かった。
たっぷりとした沈黙に、心地悪さを感じることが不思議であり、式場では彼がいればそれで十分だと思った気持ちは、風化してしまったように脆くなってしまって、時間を戻したくて仕方なくなった。彼の寡黙さは持ち前のもので、珍しさなんてちっともないというのに、足を刺激する繊維も相まって腰を下ろしているのが辛い。姉ならば、と自然に思考が流される様を感じて、瞼を瞑った。随分と真似が板についてしまっていて、素を置き忘れた私を、私が笑ったような気がした。
「…具合でも悪いのか…?」
私には伝えきれない、伝えずにいると誓った気持ちが、暗がりで渦を巻いている。彼の不安が優しく飛びながら、それと同時にソファーが重さで沈み、左側へ身体が傾いた。彼の身に染み付いた独特の薬草の香りが、ふわり、と鼻腔をくすぐった。瞳を持ち上げて彼を見つめる行為は容易で、呆気なくて、勿体ない気持ちで傾倒した身体を持ち直すことはしないでいた。
「らしいな」
彼は、ゆっくりと時間をかけて咀嚼したように、ふっと、笑う気配を漂わせて、私の我が儘をそのままにする。今なら云えそうでいても、唇は貝のように頑なで、意固地は持ち主ゆずりのものだった。傷心している筈の彼を差し置いて、私の修復を優先させる優しさは、私だけしか知らないものだと思いたい。一層強く香る薬草臭に、瞼を軽くさせた。持ち上げた赤毛で、聞く耳をきちんと設けた私の耳元で、彼は涙を呟いた。