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笑いと悲鳴が交じり合う中、同じように赤も混じる。 赤は意味もなく、その手に持っている長く鋭い刃を周りにあるものに次々と振りかざしていく、それを他人事のように見ている私が居る。水溜りを沢山作った後、その赤は私に気がつき、嫌味なくけれど卑しく笑ったのを目の当たりにする。逃げろ、と思っても足は竦んで動かず。立ち向かおう、と思っても己の手の平には何もないことに気がつく。 逃げなさい!聞き覚えのある懐かしい声が私の聴覚を刺激するけれどそれ以上に目の前に迫ってきたそれの方が遙かに支配する存在が大きすぎてしまい私には動くことも出来ない。 そして赤は私に向かって走り出しその長くて鋭い刃を振り下ろした。 動かなかった身体はやっと金縛りから解かれたかのように動いたのだけどもう手遅れだと頭では分かってる、だから目が潰れてしまいそうな程瞑ったのだった。何かが潰れる音がすると同時に痛みが来ると思っていたのにその予想は外れてしまう、痛みなどなかった、私も赤に染まる感触が頬に飛び散ったと思われる生暖かいそれ。驚いて目を見開くと視界いっぱいに赤が広がっていた。頬に飛び散っていたそれはそいつでもなく、私でもなく私の親だったことに下を見ることで初めて気がついた。 「………っうあ…」 夢を見た。時間を見れば短いものだった、夢の感覚、自分の脳が見せたそれによれば眠りについていた時間より遙かに長く感じていたし向こうの方が現実だと思えてくる。これは一種の錯覚に似ていた。気分が悪くなり、頭を抱えると今この瞬間が自分の現実という時間なのだと頭痛のお陰で冴えてきた頭が語る。 あれは夢であって夢ではなかった、いつかかは忘れたがある日から見ることのなくなったその現実という名の夢は今更になって記憶の底から飛び出してきたのだ。久しぶりすぎて慣れきっていたあの日までとは違い心が壊れてしまいそうだ。ひゅうひゅうと喉から発せられる音の苦しさに涙が一粒二粒落ち、シーツを濡らした。 「、い……」 言葉にすれば以外と答えは頭に浮かんでくるものだ、ある日までのあの人は云った。名前や顔は覚えていないがその言葉だけは覚えていた。太公望と交わした言葉ひとつひとつに、今までとは違った暖かな雰囲気がいつの間にか好きになっていた。それに自分も乗ってしまおうと決めた私に罪を忘れることなかれと云われている気がしてならない。否そうなのだろう。 涙が溢れて、息をすることもままならなくなる。苦しい苦しい苦しい頭の中で響く残像と音は何処まで行っても痛みだけだった。顔を手の平の中に埋めてみてもその痛みは留まるばかりで落ちていかない、思わず助けを呼ぼうと口を開きかけるがそこでまた気がつく、自分には助けを求めれる相手がいないことに。そう実感してしまったら最後眠りにつくことは出来なくなってしまった。 外は嫌いじゃない、空を見ていると迷っていた自分がちっぽけに見える。と云ってもそれもあの師兄が夜な夜なに連れ出して無理やり見せたりしてくれたお陰で夜の外は素敵だと知った。その素敵、もあの映像によってどうしても今は無意味なものに感じてしまうけれど部屋の中にあのままいるよりは何倍もいい。浮かんでいる岩に飛び移り足を宙に浮かべ、足元を見ながら深呼吸を繰り返すと自分に少しの余裕が戻る。まだ荒い息を整える為に最後と云うように大きく息を吸って出すとまだ残っていたのか涙がぽとんと流れ星のように落ちた。 「…き…て…し、まい…た…」 一滴だった涙はわからなくなった感情と一緒にぽろぽろと落ちる。 嗚咽が口から漏れているのも、涙が落ちているのももう自分の理解力が追いついていかない程の悲しみ。それがどっと押し寄せて自分ではどうしようもなくて、誰かと助けを求めて見るけれど呼べる名がいなければ誰も来るはずもない。それにまた涙が溢れて顔が歪んだ、顔を埋めて膝に溜めるばかりだったそれが隣に感じた微かな温かみによってはっとなる。 「今宵の月は見事だのう、夜中に抜け出して外に出る理由も分からんでもない」 「…っ……、…師兄…」 気配なしでいきなり現れた師兄に思わず顔を伏せた、何故か涙を流しているのを見られたくなかった。そして今精一杯の少し震える声で彼に言葉を返すと、隣に腰を下ろした師兄が笑った。笑ったというのは空気で、だ。緩んだ感触が隣でしたからきっとそうだろうという憶測だが間違ってはいないという核心があった。 「ん、なあに。月の匂いに誘われてのう、来てみれば大当たり」 「そう、です…か」 「うむ」 おぬしも見てみろという言葉に否定することよりも、服で涙を拭いおずおずと顔を上げて空を見上げることにした。するとそこには確かに見事な満月が空に浮かんでいた。あの夢の目覚めから此処まで来て涙するときには気がつかなかったその月の存在感に目を奪われる。 「…きれ、い」 「だろう?」 首を上下に動かして肯定し、師兄を尻目に見ると彼は此方を一向に見ることなくその瞳は月だけを見つめていた。そして気がついてしまった、無意味などと思っていたものはこの人によって掻き消されてしまう、悔しくなって無意識に唇を噛み締めた。けれど、それが師兄の持つ優しさのひとつなのだと。きっと師兄は気がついている、私が泣いていた理由を。それに気がつかない振りをしているのだ、だから此方を見ることをしない。見てしまえば厭でもお互い悟ってしまうから。こんな時代だ、珍しくない生い立ちなど容易に彼ならばその答えに行き着く。 師兄は隣で笑っているそれもきっと優しさ。この一メートル程離れている師兄との距離がこんなにも心地よいものになるなんて知らなかった。もしかしたら知っていたのかもしれない、初めてあったときから。悔しいと噛み締めた唇は知らず知らずのうちに弧を描いていた。 「もっとおぬし…、息抜きというものをしたらどうだ」 「いき、ぬき…です、か」 「うむ、今の状態ではおぬしはいつか壊れてしまう、そんな気がしてのう」 「、そんなことない…です。だって本を読むのも修行も、」 「ならば何故あんなに詰まらない顔をしておる?少なくともわしにはそう見える」 「それはっ…」 「、もっと気楽になればよかろう。誰の所為でもなければおぬしの所為でもないのだ」 師兄はくしゃりと頭を撫でた。とても暖かかった、それは彼が差し伸べてきた名前の呼べる人のいない私への助け。髪の毛がぐしゃぐしゃにされたときなどこの少ない期間で何度もあった、それに反発しての繰り返しを今はすることなく素直に受けた。その手の平の温かさがあまりにも心地よすぎたから。これだけのことが、言葉が自分の心を軽くするとは思ってなかった。頭を撫でる手は止まることなく、彼の視線も此方を向くことはない。そのたまらなくなる程の優しすぎる感情に止まりかけた涙が一粒、服に染みを作った。
気まぐれな訪れ人 (20090721)(← ↑ →) (それが夢でないことを語る) |