あ、莫迦師叔と誤って心の声を口に出してしまい見事に師叔の耳に入る。師叔は視線をこちらに向けてそれはそれは末恐ろしい表情を作っていた。この間もうっかり口に出してしまい、鉄拳を食らったばかりだというのに懲りない口だと、自身をなじる。けれども今日の師叔はこの間、よりも数段機嫌が優れないようだった。泣く子も黙る顔というのはこういう顔の事なんだろうと他人事のように思った。場の空気に関係なく心地いい音で水を流す川に不機嫌さを持って行ってしまった師叔の隣に怖いもの見たさで近づいた。胡座をかいて場を陣取る師叔の表情は川の美しさを持ってしてでも晴れないようだった。(その理由に自分の言葉が原因とは思っていない)

「何か、悩み事でもあるの?」
「…うむ、」

珍しい。師叔に悩み事なんて、明日は嵐が来るのではないかと空を見上げるけれども天候は快晴。西を見ても東を見ても、怪し気な雲はやって来る気配はなかった。「悩みがあれば、きくよ?」と投げ掛ければ、尻目にこちらを見た。なんだかいつも通りの師叔ではない雰囲気を打破する為におどけてみせる。それが癪に障ったのか盛大にため息が落とされ、川のせせらぎを邪魔した。確かに妹弟子相手に相談出来る内容なんて晩ご飯の相談くらいだ。と自身を貶めてみたけれども悩みの片鱗さえも掴めずに、師叔の次の手を待つしかなかった。

「…………」
「…………」

釣り竿も、糸さえも垂らさない娯楽なんてない。そういえば、今日はお手製の竿が手元にない。沈黙に早々耐えきれなくなった頭がやっといつもと違う師叔を捉えた。グローヴをはめた両手は礼儀正しくふくらはぎに置かれ、背をまんまるくする。猫背気味になった師叔の唇は自然とツン、と前のめりになった。秘かに人気のある師叔は女仙人達に「可愛い」ともてはやされていた。何処が、と毒を吐いてみたものの、こういう処が可愛い、と云われるのだろうか。と少し理解出来た気がした。

「んぎゃあ!…って何すんじゃい!」

その間の抜けた顔を見ていたら仙人骨のある一般人間より些か大きめの頭を叩いていた。元始天尊さまの好みなのか、オンナノコらしい色と付けた桃色のグローヴは頑丈に出来ている。それで叩けば幾ら少女の軽さとは云え、そこそこの打撃を相手に受けさせる事が出来たようだ。

「あ、つい…」
思わず漏れた本音に師叔は突き出した唇を更に大げさにして、痛みを訴えた。

「おぬしはつい、で人を殴るんかい」
「そうみたい」
「…………」

流し目で見られ、押し黙る。鉄拳を与える気はなさそうだ、と頭を防御していた手を退かした。これは一大事。こんな事は今の今まで無かった筈。調子が狂うよ、と口に出さず心の内でぼやいた。「で、悩み事って何?」と聞くと、もとより答える気のない師叔の眼が否定を示していた。悩み事は解決出来なくても聞く事は出来るのだから、云うだけ云ってみても、と無責任な言葉が浮かぶ。

「教えぬ」

頑さに拍車をかけてしまった。失敗だ、と思った。師叔は拗ねた態から脱却する事を拒み、子供のように首を背けた。これではどっちが下なのか分からないじゃない。と同じように拗ねたい気持ちをぐっと堪えつつ「けち」と文句を垂れた。

(欲しいものを手に入れたいだけ)

(20110917)(×)(云えぬ。おぬしに色めき立つ導士に腹が立ったなんて)