太公望が生きていたと四不象と武吉君が血相を変えて現われたことに私は太公望が生きていた、ということよりも二人の切羽詰ったような表情の方が驚いた。ああそう、と返す私に二人は不満そうにして嬉しくないんですか(ッスか)と云ったのだけど私は笑うだけだった。諦めたように四不象と武吉君が帰っていく背中を見やりながら、手元の洗濯物のシワを左右に広げて布が張るまで引っ張った。本当は何処かで生きているんじゃないのかなと思っていた、最初から死んでいないと思っていた現実逃避をしていた私には大したことではなく至って冷静に答えることが出来ただけ、ただそれだけだ。

そう思いながらも楊ゼンに通行許可書を貰いに急ぐ自分に厭きれた。楊ゼンは知っていたかのようにいつもなら少しばかり時間が掛かるその手続きも部屋に入った途端押し付けられた。

「一発くらい殴ってもバチは当たりませんからね」

「、ありがとう楊ゼン!」

あの出来事から人間界に降りていなかった私は相変わらずの綺麗過ぎる景色に見惚れた。ひゅうと風を切って地面に降り立つとしっかり踏むことの出来る土に安心感が沸く。何処にいるかなんてわからないし太公望が必ずしも自分に姿を見せるとも限らない。解らないこそ此処に来ようと思った、太公望と初めて顔を合わせたこの岩の上で。

一面は野原、少し離れたところには羌族の村が見えた、あそこに太公望がいるような気がすると思ったのだけれどももしこの期待が外れた時の絶望感のことを考えると躊躇われた。すとんと腰を降ろして遠目からその村を眺める。手を伸ばしてもその村はずっと向こうにあり腕の長さじゃあまりにも足りなさ過ぎる、当たり前だけど少し哀しいと感じた。空を夕陽を、雲を朱く染め上げているのを見ても彼は現われることはなかった。実は二人が嘘をついたのかと疑えばそうではないだろうし、きっと自分に運がなかっただけだ。太公望に会うためのそれ相応の運が。重たくなった腰を上げると涙がぽつりと岩に落ちたのを見てこしこしと袖で目を擦った。


泣いたことなかったのに、と苦笑いを零して宝貝を握りしめた。(ダアホ)そんな声が不意に聴こえて、凄い勢いで後ろを振り向いた。けれど彼は、私の会いたいと思っていた太公望はそこにはいなかった。また涙が落ちた。今度は一粒だけではなく何粒も、袖で目を擦っただけじゃ止まらなくなった。持っていた宝貝が手の中からすり抜けて岩から転げ落ちていったのを取ろうと手を伸ばしたけれど遅かったそれは地面につく、手前で止まった。止まったのだ、もう一人の誰かの手によって。

「やはり、おぬしはダアホだのう」

(後ろを振り向く勇気が無かっただけ)

(20090911)(×)(振り向いたら嘘になってしまいそうだったから)