( 15:少し霞んだ媚茶色のリボン )

眼が醒めた時、外は蝉が飛び交ってガラス窓に張り付いて落ちた。
は窓を開けてなくて善かったと心から思い、黒いクロークを抱きしめた。彼女が再び眼を覚ました時には既にスネイプは居らずかたんという物音に埋めた顔を布から上げれば丁度善く紅茶と朝刊を手にした普段と何ら変わりの栄えのしない男が部屋に入ってきた。起きているに一瞬だけ目配せした後何もないようにソファーに腰掛け、カップが高音を奏でて震動は止まる。持ち主の手前再度顔を埋めて心をときめかせる勇気はなく、膝掛け状態になったクロークの上に手を置いた。いつもはそこに居るのは自分の方なのに今は教授が座っていると変な気分なのと、少し嬉しい気持ちがを包んだ。

「帰って来たの、早かったんですね」

と、何気ない振りを装って声を発するも起床してから初めて出した為声帯から発せられる音は酷く霞んでいてスネイプと視線を交わらせれば朝でも関係なく不機嫌そうになる。返って来る言葉もなくは免疫により心の中で溜息を付くだけに留まる事が出来た。返事をくれないのは肯定している時が多いからだと学校では気付けない事に気付く事が出来た。紅茶を啜る音だけが聴覚を刺激し、は手元にあるスネイプのクロークをどうしようかと考えていた。

「今後からは部屋で寝るようにして貰いたい」
「…あ、え…?」
思考を他所に持っていっていた事と、ティーカップが皿に乗る音とスネイプが言葉を発したのは同じだったことから鋭いが静かな男の声は善く聞き取れなかった。状況を掴めていないを置いてスネイプは言葉を続ける。

「風邪を引いて貰っても対処が億劫だ、気をつけたまえ」

注意と云う名の配慮だと云う事を知るのには数十秒、否それ以上掛かったのだがスネイプの紅茶はと云うぶっきら棒な声に返事を返した後そこでやっと気が付く。奥へ消えていく男の背中は相変わらず黒一色に染め上げられているのだがほんの少しだけ優しく見えてしまうのは彼の優しさを知った所為だろう。

は昼食を終え、二階へ続く階段を上る。スネイプは余程の用が研究室で行われているのか食べ物を無理やり喉に押し込み、少し、否かなりむせ返りながらも足取りはしっかりと薬品の並べられている扉へ向かっていた。する事がないは自室で多く出された課題(主に魔法薬学)を終わらせようと思っていた。初めの時は何度か部屋を間違えそうになり、暫くの間はスネイプが背後で見張っていたお陰か他の扉を開けるような事はなかったのだけれど、今日はどうやら彼女にその好機を与えてくれているらしくスネイプの自室扉が数センチ開いていた。

「我輩の自室へは何人たりとも入室する事はならん」

とスネイプが発する声色の天の声が少女の頭の中に響き、身を震わせ振り返ってみるが、声の主が恐ろしい剣幕で居る事もなかった。借りている部屋の隣にあるスネイプの自室へ少し足をずらせば入れる、少しばかりの好奇心が少女を揺さぶり倒し、(駄目だよ)と云う声を押しのけたは扉も同じようにする。きい、と僅かに油の足りていない音がしてそこは開く。

思っていたよりも普通、思った以上に何もない部屋が視界を包む。居間のように無駄なものは一つ置く事をしない教授の姿を思い浮かべて思わず笑ってしまう。ベッドと机、最も必要な本等は此処に揃えて置いてあるのだろうというのが分かったがその数も半端なく多かった。足を踏み入れるつもりは毛頭なかったのだけれど思わない処で興味をそそられてしまい床に足をつければぎいとを批難する音。それでも足は止まらずついには身体が全て部屋に入ってしまった頃には床も観念したかのように何も紡ぐ事はなかった。机の上に無造作に置かれた羊皮紙と羽ペンを見る限りでは余程急ぎの手紙でも書いた後なのだろうか。ベッドの整えられようを見た後では机の上の惨事は一層酷いと思わせる。本棚も居間と同じようにきっちりと揃えられ、しかも著者順になっている処がまた教授らしかった。一冊、と一番近くにあった本棚の本を手に取ってみようと、板と本の上下空間の間に指を差し込んで力を入れてみてもどれ程綺麗に入れたのか本は一ミリも動こうとはしない。第一関節が根性負けしてしまうくらいの力比べを数十秒繰り広げればそこでやっと本の方が白旗を上げ、に本の中身を見せるように動いた。魔法薬学の本だとばかり思っていたはその中身の違いに驚いた。

(闇の魔法…?)

背表紙は普通のそれの中を知ってしまえば、何もない只の本が途端に恐ろしくなる。一枚捲ってみれば、禁じられた呪文の三つが最初に来ており隣の頁に描かれた挿絵がまた恐怖心に拍車を掛けた。慌てて閉じた本の背表紙には確かに魔法薬と描かれているのにも関わらず中身だけが違っている。はスネイプの意図が掴めず心臓が勝手に速度を上げた。 もう先程のような新しい処を探検するような愉しさはすっかり消えてなくなり血の気が引くのが自身でも分かった。それを戻そうと狭い空間に詰めれば紐のようなものが垂れて、まるで引っ張って欲しいと云わんばかりのそれを震える指先で手前に引けばに向かって本棚が襲いかかってくる。

「ひゃ…!」
悲鳴を上げる暇もなく、落ちてきた大量の本と棚はあっという間にを覆い隠してしまい、家を揺るがす程の音にスネイプが研究室から二階の自室まで駆け上がってくるのはそう遅くは無い。