( 26:いまでもきっと泣いている )

何度眼を覚まし現実に引き戻されてみても夢の中の彼女は泣き止みはしなかった。
スネイプは徐々に蓄積していく苛立ちを次第に隠せなくなっていた。朝食の席で隣接したくもない時に限りダンブルドアが居るとなるとスネイプはついに何も口をつけず朝食を終えようとした。しかし、それをダンブルドアが気付かぬ訳はなく髭を蓄えた唇は弧を描かせてどうしたのか、と問うのだからスネイプは珍しく舌打ちを落としたくなった。

「此処の処機嫌が頗る良好のようじゃのう、セブルス」
「茶化すのは止して頂きたいものです、校長」
「わしの眼がまだ曇っておらぬのならば今のは間違いではないぞ」

ならばとっくに眼は腐ってしまっているのだろう、とスネイプは口にしかけてどうにか喉元で押し留めた。面白可笑しげに笑うダンブルドアがこれほどまでに憎らしいと感じたのは夏休み前と何ら変わりは無い。しかし、夏休み間に起きた出来事を勘定に入れるのならば今までとは比べ物にならない程に恨みつらみが男を支配していた。ダンブルドアは生徒席へゆっくりと視線をめぐらせると嗚呼、と目尻に皺を作った。こういう時の翁はろくな事に気づかない、気付いて欲しくないような事までこの数秒の動作で理解してしまうのは時に苛立ちに繋がる。翁はまた唇を緩め、朝食に口をつけようとしない不機嫌な男を見た。

「君の他に同じような状態の者が居るが、」
「早朝ならば皆似たような心持でも可笑しくないと思いますがね」

白を切りながら視線を合わせる事をしない男にダンブルドアはここぞとばかりに笑った。それが喩え男の反感を買うことになったとしても、感情を露わに出来る処が出来たと云う吉報をそうそう見逃す彼ではない。見た目優しい翁に見えるだろうが名を馳せているだけあって幾ら閉心術に長けている男でも偉大な魔法使いには敵わないのだった。だからこうして翁に見事遊ばれてしまっている。スネイプは今すぐにでも席を立ちたい一心を隠しつつ忌々しい敵寮へと視線を寄せないよう細心の注意を払った。それが話の主軸となるものへ肯定と取っているのだが男はすっかり翁の作中に嵌ってしまっていた。

「セブルス、わしは善い事じゃと思うておる」
「——…」

言葉に詰まるスネイプに対し翁は相も変わらず笑顔は絶やさなかった。それが酷く男の癪に障るのだが、それを口にする必要はない。翁はそれを踏まえて笑っているのだから。男はこれ以上翁の手の内で遊ばれるのは勘弁と云うように無言を貫こうと勤めた。

「セブルス、気付いておろう?」
「意図が分かり兼ねます」

逃げられはしないと悟ったのか、スネイプは目の前に置かれた食事に手を付け始める。それを見ながら翁はその年齢にはそぐわぬ軽やかな笑いを男の耳に轟かせ、既に食べ終わっているお皿を手を翳す事で消して見せた。口に運んだ食べ物の味が一向に感じないと男が顔を顰めている間に敵寮から三人の女子学生が席を立つ。男自身興味を引かれるものではないのだが、隣に腰掛ける翁はその三人の姿を常に視界に入れており、ほらと云わんばかりの視線でスネイプを見遣った。

「まだお主も若いと云う事じゃのう」

三十になろうとしている男を捕まえて若い等と善くも云えたものだと男は別の意味で顔を歪ませると翁は髭についてしまったソースを拭いつつ三日月型をした眼鏡の向こうで眼をきらりと光らせた。スネイプはこの眼が嫌いだと思った。喩え開心術のそれとは些か違いがあろうとも出来るならばその硝子玉のような眼球に自身を映らせたくはない。スネイプは視線をやるまいと意識を味も分からない食べ物へと視線を固定させる。喉もそれらを通したくないと必死で抵抗を見せるが無理にでも詰めようとする男の前では意味が無かった。ただエネルギーを蓄える為だけの食事にダンブルドアは眉を顰め、まだその呪縛から解かれていないのかと硝子玉が刹那光った。

翁の云いたい事が手に取るように分かりスネイプは苦々しい思いでいた。自身の心を善く知ってしまっているのは良くも悪くもこの翁だけ、彼女を愛していたと云う事実を知っているのも、何故自身が向いても居ない教職についているのかと云う事も全て。来年から入る彼女の子供を思えば何とも形容し難い感情が心を渦巻くのを感じる。そしてその間に入ってくるのは何故かあの少女の顔。新学期になってから一度たりとも触れようとも声を彼女に向けようともしなかった。授業中何度も此方と視線を交わらせて欲しいと懇願するかのような眼差しが視界の端からでも分かっていた、それを受け取ろうとは一切せず知らぬ振りを続けた。それが少女の痛みを増幅させると分かっていても、だ。明らかに向けられる視線の違い、少女の今までとは違う魔法薬学、自身へ対する感情の違いが手に取るように理解出来た。それは歳相応である感情の見せ方が男にそれを気付かせていた。もし少女が耐え忍ぶ性格であったなら(今でも彼女なりに耐え忍んでいるだろうが)、男の転化にも臨機応変に答えるような少女であったなら男はこうも眼を奪われる事はなかっただろう。彼女もまたそうだった、心の底で燻っている思いをそのままにしておくことはせず、感情の赴くままに発言していた。それに男は心惹かれていた。そこで男は自身の心持を自覚しかけていることに気付き慌てて楔を打った。

(何を、世迷言を)

自傷気味に笑う男の隣ですっかり忘れ去られている翁は男の笑いに気付いたが今までのそれとは異なるものだと直感する。そして珍しく露呈されている男の感情線に翁は何と言葉をかけてやれば善いものかと喉に詰まる沢山のものたちと声を交わした。

(永久に)
そう云い守護霊を消し去った男の姿を思い出し、翁は大広間を出て行った少女の姿を思い浮かべた。