( 35:くしゃみに弾ける秘密 )

感情を認めたところで、そこから次の段階へ進むにはどうすればいいのか。避けて来た恋に対して真っ向から向き合った事のないは大広間に来ていた。力が張っていたのか、あれからすっかりと身軽になったはベッドから起き上がるのも億劫で仕方なかったというのに少し前のように活発な少女に戻りつつあった。不摂生だ、健康に悪い、と叫んでいたアマンダはあの一件以来心中で区切りをつけたのだろう。とやかく煩く、構っていた彼女は居なかった。しかし、以前よりも分け隔てのない付き合いになれた気がして、良い方に結果は転がったようだ。それでも寮を出る順番に変化はなく、いの一番にはベスが恋人の元へ出かけて行くし(すっかり見慣れてしまった光景だ)アマンダもよりもずっと支度は早い。女子寮から出て行く際には「大広間で待っているから、早くきてよ」と云う言葉は変わりなかった。

!こっちよ!」

まばらな人たちの間を縫ってアマンダの声が響く。が視線を向けると、彼女の向かいにはベスと他寮である筈の恋人が並んで食事をとっていた。朝食だからか、席は選び放題であるし咎める者も居ないと眼を瞑った。意識的に教職員の席へ顔をやると、校長であるダンブルドアと自寮の寮監であるマクゴナガルが仲良く並んで食事をしていた。蝙蝠のような男を頭に思い浮かべていた少女は姿の無いと分かると傍目からでも分かる程に落胆した。

「じきにくるわ。食べましょ」

心情を知るアマンダはの気持ちを汲み取り言葉をかける。誰の事か、問わずともには分かる。些か恥ずかしくなり俯き加減で着席すると、アマンダは眼で向かいを指した。そこに腰掛ける二人組は自分たちの世界へ旅立ってしまっているので、彼女が濁さなくても耳には入っていないだろう。フォークに刺したフレンチトーストには蜂蜜がたっぷりかかっており、それだけでも朝にはきついと思った。それに加えて「あーん」とバカップル同士の常套句であろう、食べさせ合いの言葉が足されてはたまらない。何故この席を選んだのだろうと、平然と食事を取る友人を尻目に見た。

「何か、もうお腹いっぱいかも…」
「胃に物を入れていれば気にならなくなるわ。ほら、食べて」

差し出された皿の上に乗る目玉焼き、ウィンナーが湯気をたてて食欲増進を図っていた。フレンチトーストを盛らなかったのはアマンダのささやかな気遣いというもので、それをは受け取り「ありがとう」と呟いた。

アマンダの発言通りに事は進み、食べ物をフォークに刺して、食べようとした処に男はやってきた。春色の淡さに酷く不釣り合いな黒衣を纏った男は寄り道することもなく定位置に腰掛けた。真ん中と隣に居るダンブルドアとマクゴナガルは挨拶を投げ掛け、それに最小限の動作で返したようだった。気を取られた所為で手元からウィンナーが逃亡を図り、洗いたての制服に無慈悲にも鎮座する。

「ちょっと、…汚い」

男はしぶしぶと云った表情を顔にはりつけながら、ダンブルドアから回された皿を受け取る。やや過剰に盛られた食べ物に、心底うんざりしたようで、口に運ぶ前から満腹感を感じているようだった。校長の好意を無下にする程、男は無愛想ではないらしく大盛りの食事に手を付け出す。陰険教師から眼を離さなくなってしまった友人に指摘をするが、右から左に零しっぱなしの言葉をやや呆れながら、膝に寝ているそれを変わりに拾い上げた。

「見るのは自由だけど、ちゃんと食べて欲しいわ」
「……うん」

取りこぼしたウィンナーを横に避けながらアマンダは、を普段の調子で叱りつけてしまい内心しまった、と思ったのだけれど彼女はあまり気に留めていないようだった。スネイプはひとくち口に入れるたびに、遠目からでも分かるほど濃く眉間に筋を残して、手元の飲み物で流し込む作戦に出ていた。凝視するほどのことでもないのに、目が離せないくらいに熱中してしまっているのを傍目で感じていたアマンダは、目の前でいちゃついている二人とあまり変わらない気がしていた。「恋にやられると、本当…どうしようもない……」間に挟まれたひとりはただ、食事を平らげることでやり過ごそうと思った。

専攻する教科を間違えたと占い学を終えた後に、今更ながらに後悔の気持ちが押し寄せてきていてはスネイプどころの話ではなかった。他の教科と比べて比較的楽だと思ったものをとったつもりが、自分にとっては最悪の選択となってしまうとは。階段を下っている最中でもさっきまでトレローニーが蜻蛉のような眼を更に大きくさせて、仰々しく予言をする言葉を思い出しながら厭な気持ちでいっぱいだった。

「あなた、死にますわ!」

一学期ごとに死の予言はされている、けれど今まで現実になったことはないと、半笑いで云う他のグリフィンドール生に憐れみと、励みの言葉を貰いながらは次なる試練である魔法薬学へまでには、この重たい心を少しは軽くしなくては、と思った。

自然と足はいつもの中庭へと向かい、この間、テッド・ボナと会った時を思い出しながらはやっと、と云った気持ちで息を吐いた。何故かいつも気分が優れなくなるとここにきてしまう。理由はわからないけれど、呼ばれているような感覚が手を引っ張って、気がつくとここにきていて、それは季節問わずの不可解な行動だった。

(————死にますわ————)

甲高い声が残響のようにの頭の中でぶつかり合い、死を連想させては元々調子の良くない身体を一層重たくさせた。もう半分死んでいるようなものだ、と自分を納得させて言霊を払い退ける努力をしてみるも、飛び出さんばかりの大きな瞳と声はなかなか忘れることはできない。

自然な流れに思考を自由にさせると、好少年の鏡のようなテッド・ボナが浮かび上がり、付随するように手のひらもぼっと熱が集まった。彼はまたホグワーツから去ってしまったけれども、あれ以来何度か交流を重ねて、時々梟を飛ばし合う仲になった。自身の周りには居ない異性の、それも友人という形で出来た相手は特別でありながら、あくまで同等からはみ出すことはない。

「それでもいいよ。君とお近づきになれただけでも僕は満足だから」

何度目かの手紙のやりとりの中で、気になる人、の話題にさしかかった時、は本心を打ち明けてしまおうかどうしようかと迷った。校内に居ない彼の口からが、校内一陰湿な男に想いを寄せている、などと暴露される恐れもないし、それを抜いたとしても彼が軽快なフットワークをみせたとしても、軽率な言動はしないと根拠の少なさを差し置いて、買っていた。

「少し、淋しいから…なのかな」

手のひらが意識を持つのも、中庭につい足を踏み入れてしまうのも、彼を恋しく思う自身がいるのかもしれない、と思った。腰掛けることなく通り過ぎたベンチは、そんなの気持ちを汲んだように陽の栄養をたっぷり身に浴びて、回復を試みているように映る。自覚が出来たとしても、それが叶うか否かは自身の裁量にかかっていることをすっかり忘れていた。死にかかっているのは、何も生命に限ったことではないと気づくのにそう時間はかからなかった。

「あなた、最近梟小屋ばかり行っているけれど、もしかして…」

週間の中で一通だったのが間隔が狭ばり、二、三日の間に手紙の行き来がされる頃には、夏の暑さが身体に纏わり付き、空中に舞う羽毛に苛々しなくてはいけなくなっていた。理解の範疇を超えた想いは、思春期に多くみられる移ろいやすさを発揮しなかったが、相手からのはねつけが激しい為か、前進することも出来ずに苦しいまま。アマンダは談話室でくつろぎながら、やや離れた場所で腰掛けて忙しなく羽ペンを動かしているの様子をやや呆れたように見ていた。しかし、件の教師への想いをさらけ出した時のような絶望感を滲み出してはおらず、良くある移ろいやすさ、という結論に落ち着いたような表情をしていた。

「もしかしてって…アマンダ、私のことを疑ってるの?」
「だって、最近のあなたったら休み時間ほとんど、その手紙の為に使ってるじゃない」

せかせかとしていた羽ペンの動きがものの見事に、ぴたり、と止まったかと思うと、その持ち主の頬も同調するように固まる。(もしかして、気づいていなかったの?)と一層結論を強めたアマンダは、盲目もいいところだと非難めいたため息をつきながら、彼女の幸せを考えるのならばこれは喜ぶべきではないのか、と考え直す。端からみた時、彼女と彼女が想いを寄せる壮年の教師との間に醸し出されるのはお世辞にも甘くもなく、過度にしても苦々しさを取り除くことは困難に近かった。

「まあ、私は新しい恋を応援するわよ」

返答を貰えないまま硬直したの一瞥したアマンダは、昨日の魔法薬学での出来事を思い出して、煮え湯を飲まされたような気持ちに陥る。教鞭を振るう男ースネイプは、が想いの丈を吐き出した頃より、些か以前から変調して、当たりが強くなっていた。(ある寮に対して意外は当たりが強いが、それ以上だった)しかも、的確に、に対してのみ、その強烈な鞭を振るうのだ。以前から魔法薬学を不得手としていたから、眼をつけられていたのもあるだろうが、それが顕著になったのは最近だと思う。同年代と比べて、思慮深さを自負していたアマンダは、それを見て見ぬふりが出来なかった。

「聡明であるグリフィンドール生であるならば、これくらいは当然であろう」
「ですが、先生——」
「ほう。口答えを覚える前に教養のひとつでも身につけたらどうかね」

不遜な態度は関心しない、と続けたことによって少女のつぶらな瞳に涙が貯蓄されつつあるのを、スネイプは無情にも見つめた後、仰々しく鼻を鳴らし、他のお気に入りの生徒へと歩みを進めた。ゆっくりと相手を詰るように名前を呼ぶ唇は、一切の拒絶を行い、少女に対してはグリフィンドール生、と云い、その他全てに眼を閉ざしてるように思えた。何故、という疑問は一向に晴れることなく、友人の涙を止める手立てを差し出すことのできないこの状況下では、ただ歯がゆいばかりだった。

「だから、違うって。ただの友達」

の言葉に、我に返ったアマンダは気恥ずかしそうに笑う友人の姿に胸が傷んだ。愛らしく微笑む姿は、壮年の教師を相手取った時には決して引き出されることのないもので、年相応の恋する少女そのものであるのに、受け取ろうとはしない。あくまで、彼女の中ではスネイプという陰湿で狡猾な男が相手であってほしく、倒錯であろうとも気にも止めない姿は蝙蝠のような男の云う、聡明さからはかけ離れているように思う。

「じゃあ、諦めていないのね?」

確認を取りたくもない事実を、アマンダは恐る恐る問いかけると、の瞳は先ほどの愉しさから一変して、苦痛に歪み、手にしたままの羽ペンが動揺を如実に表していた。そこまで傷つきながら、見込みのない恋心を持ち続けることに、アマンダは驚きながらも、同時に失望した。奥底に癇癪玉を隠し持ったような男に、的確な傷を入れられる姿は痛ましいばかりか、それが想い人とあれば尚更のことで、スネイプがそれに気付かないほど、愚鈍ではないことは分かる。故意か否か、どちらにせよ、アマンダは一向に進展を見せない恋を応援する程、出来た友人ではなかった。残された時間が刻一刻と迎えにくる間に、友人には悪いが、このただの友達が恋人になればいいのに、と願わずにはいられなかった。