( 37:秘密ばかり作ってた )

紙切れが行方知らずになるのを、易々と捕まえると、スネイプは訝しげにそれを見た。塔の最上部に足を運んでいた男の手中には、空に行方をくらませようとした切れ端が握られている。梟の落し物だろうか、送り主が誤って落としたのか、逃げ出さないよう力強く握りしめたそれを開いてみると、自身の心中を察したかのような文字が並んでいた。

「………」

神経質そうな指先が滑らかに文字をなぞり上げていくと、男にしては珍しくつっかえを起こした。その先が示すものが何であるか、スネイプは胃を重くさせながら、滑らせる。

「……」

呟かれた名前は男を一層黒く潰す材料だった。
心中を隠蔽させたスネイプのそれを、えぐり出そうとしているようで、苛立った。かといってもともとの持ち主が、男のような陰湿さを持ち合わせているかと云えば、そうではない。紙切れと化したものであろうとも、想いを込められた羅列を書き手の許可なしでなぞるほど、無粋ではない。スネイプは、さっと視線を文末へとやった。雨風にさらされた紙の残骸に拍車をかけた男の指先は、無意識に力を込める。雪の積もった階段を踏みしめ、ざくり、と厭な音を立てたにも関わらず、スネイプは平常心を保っていた。

「莫迦莫迦しい」

壮年の男ほどになれば、その意図を捕まえることは瞬きをする間に済んでしまう。
吐き捨てた言葉が捨て台詞のように響き、スネイプの波風が立っていないと思われる部分が揺らいだ気がした。

「莫迦者!」

静寂を呼んだ雪に混じり、小さな身体が宙を舞い、忌々しい長い階段を上がっていた男の視界に入る。その日はなんの悪戯か、雪が吹雪いた。そして何の気まぐれか、自らの足で梟小屋に出向いた。そんな最中の出来事。

平常心は崩れ、叫ぶスネイプの言葉を無視して、見覚えのある黒髪は白い世界を染める。すっかり雪の積もった石段は、普段以上の滑りを良くして、魔法使いであることを一時忘れさせられた男の足を引っ張った。いくらクッション性を持たせたとはいえ、潔癖を誇る白さの内側は強固で、そこから転がってくる身体は何度も厭な音を立てて、男の両腕が届く範囲まで落ちた。

「………!」

駆け上がった太腿に細長い棒切れのようなものが当たり、そこでやっとのこと、それが杖であること、魔力を持つ者であることを思い出される。美しい景観を破るような舌打ちが 、愚かな莫迦者は自身だと嗤うようで、転がり落ちた少女の苦痛に歪んだ目蓋を見つめ、思う。

(何故、繰り返すのだろう)

何故、何故、何故、宝箱にしまい全ての悪から遮断させようという欲求が、強くなればなるほど破壊に手をかしてしまう。自身の腕に絡みついた戒めは薄暗く、指先でも触れたならば、呪いは相手の心臓をも止めてしまうのではないか。かつての美しき百合も、眼下に横たわる純粋さも。冷静さを欠いた理由が、何通りもスネイプの脳内を駆け巡るが、本質を引き出そうとは思わず、忌々しく内側に隠した杖を取り出した。

「……っ、ぁ…」
「……動くな」

気を失ってはいても、身体は正直で、痛みから逃れようと身じろぐ。その小ささに深く刻まれた苦労を濃くして、スネイプは耳元に呟く。否定を吐き出しておきながら、その口ぶりは白い世界と同様の、純粋なもののように響いた。雪の中に埋もれそうになる身体は対照的な色を持つのに、それらに酷く馴染み、つられて溶けてしまいそうにみえる。若干の焦燥感を誰に咎められるわけでもないのに、隠伏させ、スネイプは杖を神経質な指先で扱い、長い階段を降った。

が眼を覚ましたのは、それから五日後のことだった。
東洋の魔女の潜在能力は男が思うよりも、ずっと膨大であり、調合した薬とその力との相性が合ったおかげで、危うさは呆気なく脱したようだった。早朝の静けさの中、ダンブルドアから知らせを受け取った男は、感慨もないといった風で「良かったのう」と目元のシワを深くした翁の言葉を淡々と受け取っていた。

「顔くらいは見せておあげ」

すっかり少女に対して、好々爺になったダンブルドアを尻目に、聞き流そうとしたが、うまくはいかない。ガラス窓の向こう側では鋭さがはっきりとスネイプを刺し、十八番の闇に溶かす思惑は容易に見抜かれてしまう。厳格な服の中で動く筈のない痣が、心臓へと這うような、おぞましさを感じ、無意識に自身の腕を握り潰そうと強く掴んだ。

「セブルス」
「………分かっています」
「ならよいが」

有無を云わせない、逆らえる力をたやすく奪う翁に背を向け、歩みを始めるとローブが一層重たく感じる。あれほど生を拒んでいながらも、いざ秤にかけられようと選択を迫らせると、怖気付いてしまう自身の卑しさに嗤いが起きる。陽の上がる前、生徒の行き来がまだない廊下は、冬の醍醐味と混ざり合い、スネイプの身体を縮めようとしているかのようだ。もともと地下室の湿度と冷気に慣れている男には、大した差ではなく、ダンブルドアの「云いつけ」を守るべく目的地を決めて闊歩した。


医務室に向かうと、マダムポンフリーは席を外しているらしく、スネイプの陰険な顔を見て顔を潰す、という場面に遭遇することはなかった。
視線を巡らせると、左右に並ぶベッドの内、右側の奥にあるベッドをカーテンが囲って視線を遮らせている。少しの逡巡の後、スネイプは革靴の響きを最小限にさせて、磨き上げられた床を進んだ。

(私は大丈夫です)
(何故教授が…?)

眼を覚ました少女の言葉を、思いつく限り浮かべてもみるが、少女から否定を投げられたことがないと知りつつも、見て見ぬ振りをする。
散々当たり散らした相手の顔を、いの一番に見に来る神経は生憎スネイプですらない。
それを理解しながらも、見に行けとは酷な命令をすると思うが、それを拒否できるほどの説得力もなければ、敵う相手でもない。爪先に力がこもり、不自然な軋みを部屋にもたらし、苛立ちを表した。

(……どうしようもない)

そうでもしなければ、受け入れてしまいそうになる処まで、感情が近くなっているということ。翁はいつ頃か、男の計り知れない中でそれらに気がついて、再三行ったスネイプの悪い癖に釘を刺したということ。カーテンの向こう側にいるであろう、少女を想像して胸の軋みは酷くなるばかり。きゅ、と摩擦を終えた足元は微動だにせず、俗世から隔離する役割を持つ薄い布を引く行為に、躊躇いをもたせた腕は微かに揺れた。

「……マダムポンフリー…?」

外界からの空気が入る余地もないのに、揺らいだ布の先からは、か細くもありながら、意志のある声がスネイプの身体を陶器にさせる。空洞になった中身いっぱいに、少女の声色が反芻されて、男の喉元を緩やかに鳴らした。

(生きている)

当たり前のことに、スネイプは動揺を隠せなくなり、双眸をどこへ向ければいいのか分からなくなった。百合は、男が想う人であり、彼女は百合ではない。混合させては引き離して、心中に残る痛みはどちらのものかと、決着などつくはずもない実験をする。(—それほどに、我輩は—)

「………どうかしたんですか?」

医務室長と信じて疑わない声が、追い打ちをかけ、閉心術を得手としたスネイプの心臓を強く打たせる。血が巡っていないのではないか、と陰口を云われた男の心はどくり、と血の巡りをよくさせ、青白い肌に些か朱を刷いた。返事のない存在は、孤独と戦う少女にとって不安材料でしかなく、布の先でそれを抱え出した雰囲気が、スネイプにも伝わってくる。(ああ、)巡りがよくなりすぎた所為か、押し留めていた情が口元から零れ落ちそうで、薄い唇を硬くさせる。消えない痣が血流のよくなった腕を戒めていたが、甲まで隠した手が静かに、仕切られたあちら側を引いた。

「…ポンフリー?………あ、」
「………」

逡巡させたのが嘘のように、容易に開かれた箱の中身は、小気味良い音と共にスネイプの眼下に現れる。薄暗い瞳を迷いなく見つめ返すのは、驚きを隠しきれない、まるまるとしたガラス玉だった。