( 08:夏の匂いのする背中 )

梅雨が通り過ぎ夏の香りがし始めた。
その間何か特別な事がこれと云ってあった訳でもなくただただ過ぎていく時間に身を委ねていた。ベスは一種の熱病みたいなものだったらしく、暫くしたある日スネイプ先生は恋とかの類の感情ではなくただの憧れみたいなものだったと聞かされた日には拍子抜けしたものだ。憧れだったとしてもには相変わらず理解出来ない事だったし、理解しようと勤めた処で分からない事は分かっていた。雨が続いていたホグワーツでは箒に跨ってクディッチの練習をするものも居らず、ただ雲が浮かんでいる少しだけ淋しい空が続いていた。

は最近一人で行動する事が多くなり、ふらりと何処かで善い場所を見つけては昼寝に没頭する日々が続いた。授業は勿論ちゃんと出席し、嫌いで仕方なかった魔法薬学教授を観察する事もなく、格別厭でもなくなった彼女はあれ程遅刻が多かったというのに全くする事はなくなり、あのスネイプでさえも驚いた。一人行動が好きになった訳ではなく、ベスに恋人が出来た事が主立った原因だった。邪魔ではないと最初のうちは共に行動していた三人ではあったが直にの方が二人の雰囲気に耐えられなくなり声をかける間もなく一人で先に行ってしまう事が多くなってからはベスから声がかかる事はなくなった。とは云っても友情に罅が入った訳でもなく衣食住は相変わらず同じ時間を過ごしている。休憩時間に入ったは昼食を取る事も忘れ、湖のほとりまでやってきていた。夏の匂いがする一番の場所だと吹く風を思い切り肺に入れた。

「此処で寝ても大丈夫だよね」

自分の他には誰もいないと云うのについつい独り言を云ってしまう自分を恥じながらも、ほとりの傍にある木の下のベンチに座り持参してきた小さな毛布を膝にかけた。此処数ヶ月で自身でも驚く程に変わっていた。教師に対してのあからさまな態度を改め授業を真剣に取り組むようになれば不思議とその科目が好きになれた、土の匂いも、魔法薬学の教師も少しはましに見えるようになった。まだ少し肌寒い風が吹いてくる。湖が近くにある所為で余計かもしれないと思いながら今日梟が運んできた日本からの手紙を開封した。そこには簡潔に、今年はホグワーツに残れないかと云うものだった。夏休みは全員が帰宅しなければいけないと云うのに残れる筈がない、どうすればいいのだろうとは頭を捻ってみるけれども善い案がそうぽんぽんと浮かんでくるわけがなく、寝ようと用意してきた毛布が無駄になるだろうと溜息がひっそりと零れ落ちた。

「どうにかなりませんか、マクゴナガル先生」

思い立ったら実行に移すのみ、先程からグリフィンドール寮監に休暇中の在住を求めているが許可は一向に下りる事ない。綺麗に並べられた教科書や書類たち、口を窄めて、きちんと整えられた眉と結わえられた髪の毛を綺麗に帽子の中へ締まっているその人の人格を示していた。は夏休みの間、グリフィンドールに残る事は出来ないかと交渉してみるものの、外見に沿ってマクゴナガルは眉を寄せ、仕舞いには呆れ返っている。

「例外は認めません、何か戻れない理由でもあるのですか?」

鋭い視線が直接的ではないものの感じ取りは云っても善いのか否か、口篭る。どこぞの教授と比べれば恐ろしさ等比でもないが、これはこれで威圧的だ。ああ、ええと、違う答えを探してみるけれども意外に思いつかないものだ。出来れば云いたくなかったは言葉を濁す。

「あ、いえ…」
「ならばお帰りなさい。話は以上ですね、Ms.

渋々部屋を出ようと扉を開いたに次は授業を選択していましたね、最近はしっかりやっていて感心ですが気を緩めないようにと念を押されて外に出た。生徒一人一人の予定を把握しているのか、と思いながらも結構な年齢であろう自身の寮監に感激したものだ。にしてもどうすれば、夏を過ごすかと云うのが今最大の問題であり、直ぐにその感情は何処かへ消え去ってしまったのだけれども。頼みの綱はもうベスしかなかったのだが、彼女はつい最近出来たばかりの恋人に夢中になっている、きっと休みの間も頻繁に会う事が予想された。そんな中で自分がその中に入っていては水を差す事になるだろうと頭をがぐりと項垂れさせた。

「おや、青春かね」

階段の壁に綺麗に飾られている絵画の一人がそう愉しげに声を発する、青春ならばどれ程いいか、休みの間住める場所の検討がつかないはそれに反応するのも億劫で仕方なく、絵画の言葉に返事をする事をせず足を歩めれば階段もそれに便乗するかのように動き出した。無視された所為か絵画が何かを云っていた気がしたが都合の善い事にの耳には階段が動く音しか入らなかった。いっその事絵画の中で暮らす事が出来たならばこんなにも苦労しないのにと思った。